タヴィストック人間関係研究所



[分離はしているが、性質は変わっていない]
切っても切れない所有・所属、周囲にわたるその関係

アメリカ合衆国の道徳的、精神的、文化的、政治的、経済的衰退を形成する。

Dr. John Coleman

参照:英文テキスト
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タヴィストック人間関係研究所

その目的~指さし向かう方向、求めるもの

タヴィストック人間関係研究所は、アメリカ合衆国とイギリスの道徳、精神、文化、政治、経済政策に大きな影響を及ぼしてきました。米国憲法と州憲法に対する攻撃(議論)の最前線にいたのである。アメリカ国民の大多数が反対していた第一次世界大戦に参加するよう、アメリカをこれほどまでに扇動(プロパガンダに関与)した集団はなかった。

同じような戦術が、タヴィストックの社会科学者たちによって、アメリカを第二次世界大戦、韓国、ベトナム、セルビア、そしてイラク戦争に引きずり込むために使われたのである。タヴィストックは、第一次世界大戦の直前、ロンドンのウェリントン・ハウスでプロパガンダを作成し広める組織として始まった。トインビーはウェリントン・ハウスを「偽情報のブラックホール "嘘の工場 "」と呼んだこともある。ウェリントン・ハウスは、当初は粗雑なものであったが、その後タヴィストック研究所に発展し、ドイツ、ロシア、イギリス、アメリカの運命を大きく左右することになった。これらの国の人々は、自分たちが "洗脳 "されていることに気づいていなかった。「マインド・コントロール(mind control)」「内的方向づけ(inner directional conditioning)」「大衆洗脳(brainwashing)」の原点を、卓越した筆致でわかりやすく解明した一冊です。

王朝の崩壊、ボルシェビキ革命、第一次世界大戦と第二次世界大戦は、古い同盟と境界線の破壊を見ました。宗教、道徳、家庭生活、経済・政治行動の混乱、音楽と芸術の退廃はすべて、タヴィストック研究所社会科学者が実践した集団教化 mass indoctrination ~(集団洗脳 (mass brainwashing) )に遡ることができるのです。タヴィストック研究所の教授陣の中には、ジークムント・フロイトの二重の甥であるエドワード・バーネイズが名を連ねていた。ドイツ第三帝国の宣伝大臣ゲッペルスは、バーネイズやウィリー・マンゼンバーグが考案した方法論を用いたと言われている。タヴィストックがいなければ、第一次世界大戦も第二次世界大戦も、ボルシェビキ革命も、韓国戦争もベトナム戦争も、セルビア戦争もイラク戦争もなかっただろう。しかし、タヴィストックがいなければ、アメリカは分解(堕落 機能の消滅 dissolution)と崩壊(collapse 共に落ちる・崩れる→滑り落ちる)への道を突っ走ることはなかっただろう。


CONTENTS

   FORWARD IX

  1. 世界初~世界最高峰の洗脳研究所の設立 1
  2. 欧州は崖っぷち 9
  3. 「時代」はいかにして変化させられたのか 13
  4. 操作[処理]の巧みな社会工作者による社会的工作活動と社会科学者 19
  5. H.G.ウェルズの言う「見えない政府」は実在するのだろうか? 25
  6. マス・コミュニケーションは世論調査[投票操作]産業の草分 29
  7. 世論を作り出し、民意を動かすマスコミの世論形成について 33
  8. 女性を劣化させ、道徳的基準[士気]の低下を引き起こす 37
  9. 事実とフィクションの混ぜ合わせることで、個人と集団はどう反応するのか。 41
  10. 成熟した世論調査の時代へ 47
  11. 教育における矛盾と課題 51
  12. レヴィンの "自我変革 ~ 個体変異・個体改造 57
    (個体差[身分][識別情報]の変化) " の教義
  13. 二つの世界大戦の間で引き起こされた西洋文明の衰退 61
  14. アメリカは "祖国 (Homeland) "ではない 69
  15. プロパガンダにおけるメディアの役割 79
  16. 科学的なプロパガンダは、有権者を欺くことができる 85
  17. プロパガンダと心理戦 89
  18. プロパガンダ宣伝効果により、ウィルソンは米国を第一次世界大戦に引き込んだ 95
  19. 歴史は繰り返されているのか?ブライス卿の場合 99
  20. 嘘の魔術師たちの巧妙な成功法則「黒魔術」: 1991年湾岸戦争 109
  21. 兵士の記念碑と第一次世界大戦中の墓地 113
  22. 平和は歓迎されないもの~平和は大衆のものではない 121
  23. タヴィストック研究所:イギリスのアメリカ支配 133
  24. 洗脳がアメリカ大統領を救う 145
  25. タヴィストックのアメリカへの攻撃 153
  26. 平凡な政治家、俳優、歌手がいかにして「もてはやされる」ようになるのか 157
  27. 米国を第二次世界大戦に巻き込んだタヴィストックの方程式 165
  28. タヴィストックが健康な人を病気にする理由と、その仕組み 173
  29. トポロジカル心理学が米国をイラク戦争に巻き込んだ 183
  30. 私が選んだ候補者、私が選ばなかった候補者 195
  31. 農業と工業のゼロ成長: アメリカのポスト工業化社会 207
  32. 上層部に並列する秘密政府を暴く 213
  33. 米国における国際刑事警察機構。その起源と目的目的を公開 221
  34. 東インド会社というカルト的存在による呪縛 233
  35. 音楽産業:マインドコントロール、プロパガンダ、そして戦争 243

 付録:世界恐慌 259


IX

FORWARD

タヴィストック人間関係研究所は、コールマン博士がその単行本『タヴィストック人間関係研究所』でその存在を暴露するまで、アメリカ国民には知られていなかったのである。イギリスのアメリカ支配。それまでタヴィストックは、1913年にロンドンのウェリントン・ハウスで設立されて以来、米国とその政府、そして国民の情勢を形成する上で、秘密裏に成功し、気付かれることなく、その役割を何とか保ち続けていたのだ。

コールマン博士がこの超秘密組織を暴露した最初の論文以来、他の人が著者の主張をしてきたが、彼らはそれを立証することができなかった。

タヴィストックは、ウェリントン・ハウスを中心としたプロパガンダの作成と発信を行う組織として始まりました。そこで、迫りくる英国とドイツの間で起こる戦争に対する国民の厳しい抵抗を打ち破るプロパガンダを形成することを目的として、当初の組織が結成したのです。


X

このプロジェクトは、ローズマイヤー卿とノースクリフ卿に任された。彼らの任務は、世論を操作することができる組織を作り、その作った世論を理想的な形で誘導して、イギリスによるドイツへの宣戦布告を支持させることであった。

資金提供は、英国王室と、後にノースクリフ卿と婚姻関係にあったロスチャイルド家が行った。アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee)が未来研究の主任(ディレクター)に選ばれた。ウォルター・リップマンとエドワード・バーネイズという二人のアメリカ人が、アメリカの第一次世界大戦参戦に備えて、アメリカの世論操作に関与し、ウッドロウ・ウィルソン大統領に情報を提供し、誘導するために任命されたのだ。

ウェリントン・ハウスでのやや粗削りなスタートから、ドイツ、イギリス、そして特にアメリカの運命を形作ることになる組織は、世論を操作し作り出す、俗に言う「大衆洗脳」と呼ばれるような形で高度な組織へと発展していったのです。

タヴィストックは、その進化の過程で、規模が拡大し、野心も高まっていきました。1937年、ドイツの作家オズワルド・シュペングラーの記念碑的著作『西洋文明の衰退 (Untergange des Abenlandes 西洋の没落)』(第1巻発表1918)を手本にすることにしたのである。

以前、ウェリントン・ハウスの理事であるローズマイヤー、ノースクリフ、リップマン、バーネイズは、コレア・モイラン・ウォルシュの著作、特に『文明の絶頂 (The Climax of Civilization)』(1917年)という本を読み、一つの世界政府の新世界秩序が到来する前に作られなければならない条件と密接に関連しているとして、その指針として推薦していました。


XI

この試みでは、委員会のメンバーは英国王室と相談し、「オリンピアン」(300人委員会の中心人物)の承認を得て、戦略を練ることになった。資金提供は、王室、ロスチャイルド家、ミルナーグループ、ロックフェラー家の各信託が行った。

1936年、シュペングラーの記念碑的著作は、後にタヴィストック研究所となる団体の目に留まることになった。12年足らずの間に2度も世論を変え、再形成するための準備として、理事会の全会一致で、シュペングラーの膨大な著書が、一つの世界政府の内部に新世界秩序を創造し確立するために必要な西洋文明の衰退と崩壊をもたらすための新しい作業モデルの青写真として採用されたのである。

シュペングラーは、西洋文明の中に異質な要素がどんどん持ち込まれ、西洋はその異質なものを追い出すことができず、その結果、内なる信仰や健全な信念が外なる職業と食い違う社会と対立し、ギリシャやローマの古代文明のように西洋文明が淘汰され、滅びる運命にあると主張したのである。

タヴィストックの考えでは、シュペングラーが西洋文明を洗脳して、ローマ文明の側に立ち、異星人を追い出すという信念を植え付けたというのである。ヨーロッパ、特にスカンジナビア、イギリス、ドイツ、フランス、(アングロサクソン、北欧アルプスゲルマン民族)が第二次世界大戦の直前に受けた悲劇的な影響は、すでに予想を超えるほど大きく、タヴィストックの管理者の熟練の指導のもと、驚くべき速さで続いていた。


XII

非常に稀な例だったものが 常態化しました。黒人男性が白人女性と結婚したり、その逆をしたりするのです。

二度の世界大戦によって、ドイツ国民は人口の4分の1近くを失った。 ドイツの知的エネルギーのほとんどが、祖国防衛のための戦争手段に流用され、ドイツ国民の知性の多くは、科学、芸術、文学、音楽、国民の文化的、精神的、道徳的な向上を犠牲にして、祖国を守るための戦争の道へと流されたのである。 同じことが、イギリスの国家にも言える。タヴィストックの指導のもとにイギリスが燃やした炎は、全ヨーロッパを火の海にし、シュペングラーの予測したタヴィストックの青写真に従って、計り知れない損害を与えたのである。

古典文明と西洋文明は、世界に近代的なルネサンスをもたらすことができる唯一の文明である。これらの文明がアングロサクソン・ノルディック・アルパイン・ゲルマン民族の支配下にある限り、それらは繁栄と発展を遂げ、進歩してきたのであった。彼らの文学、芸術、その古典の比類なき美しさ、女性性の精神的、道徳的向上とそれに見合う極めて大きな保護の度合が、西洋文明と古典文明を他から区別するものであった。

シュペングラーは、この文明の支柱がますます攻撃されつつあることを察知し、タヴィストックでは、まったく異なる標を掲げて、並行して思考を進めていた。タヴィストックは、この文明が新世界秩序を実現するための障害になると考え、女性の保護と、女性の性を高い尊敬と名誉の場所に高めることに重点を置いたのです。


XIII

このように、タヴィストックは、女性性(女性)や、そして西洋文明の基盤である人種的、道徳的、精神的、宗教的な基盤を攻撃することによって、西洋を「民主化」しようとしたのである。

シュペングラーが示唆したように、ギリシャ人とローマ人は社会的、宗教的、道徳的、精神的な向上と女性性の保持に尽力し、彼らが支配権を握っている限りは成功し、政府がその下の一般民衆に支えられた限られた数の責任ある市民(全員が純粋で汚れのない同じ人種)によって実行されてきたが、全員が純粋で汚れのない同じ民族・人種であるように、統制と手配さえすれば成功できるのである。タヴィストックの計画者たちは、西洋文明のバランスを崩すには、古代ローマの指導者がかつての奴隷や異国人に取って代わられたように、支配権をふさわしい人々からふさわしくない人々に移すことによって、人種に好ましくない変化を強いることだと考えたのである。

タヴィストックは、1937年までに、ウェリントン・ハウスで始まり、1913年に強く反戦を主張していたイギリス国民を、報道機関の協力を得て、ニュース通信メディアの自発的な協力による情報操作の工作技術によって、進んで戦争に参加するように仕向けたプロパガンダ・キャンペーンの成功から長い道のりを歩んできたのである。

この手法は、1916年に大西洋を渡って、アメリカ国民をヨーロッパでの戦争を支持するように操るために使われることになった。少なくとも50人のアメリカ上院議員を含む大多数は、アメリカが、主に貿易と経済をめぐる、イギリスとフランスとドイツの間の本質的な争いに巻き込まれることに断固として反対していたにもかかわらず、陰謀家たちはめげなかった。 この時、ウェリントン・ハウスは、アメリカの戦争参加に反対するアメリカ人を揶揄する言葉として「孤立主義者(分離主義者、孤児院、Isolationists)」という言葉を作り出したのである。


XIV

このような言葉やフレーズの使用は、タヴィストックの社会科学科学者の専門的な洗脳のもとで増殖してきた。「政権交代 regime change」「巻き添え被害 (人身事故・担保物件・周辺住民の被害・核家族化・二次災害・身代金請求・人質救出・人質交換・人質解放・人質拘束・人質殺害・人身売買・核爆弾・核兵器廃絶・核武装・核兵器保有国・核戦争・核実験による被害・核汚染・核物質拡散防止法・核物質輸送 collateral damage 」などの言葉は、ほとんど新しい英語となった。

タヴィストック・プランがアメリカの事情に合わせて修正される中、バーナーズとリップマンはウィルソン大統領を率いて、タヴィストックのプロパガンダによって作られたいわゆる世論を調査(製造)するタヴィストック法の初期の手法を確立していったのである。 また、ウィルソンに、戦争を管理する「マネージャー」と、大統領の意思決定を補佐する「アドバイザー」の組織を秘密裏に設置するよう指導した。 このような世論形成機関は、米国ではクリール委員会が最初であった。

ウッドロウ・ウィルソンは、社会主義的な「一つの世界政府」の中にある社会主義的な新世界秩序を支持することを公に宣言した最初のアメリカ大統領であった。彼の新世界秩序の驚くべき受け入れは、彼の著書『新しい自由』の中に見出すことができます。

我々は「彼の」本と言っていますが、実は社会主義者ウィリアム・B・ヘイルが書いたものです。ウィルソンは資本主義を非難した。ウィルソンは「庶民の生活に逆行し、我々の経済に停滞させた」と書いている。

しかし、当時のアメリカ経済は、歴史上類を見ない好景気と産業の拡大に沸いていた:

「私たちは革命の前に立っている—血なまぐさい流血革命ではなく(血の気の多い革命ではない、血の通った革命ではない)、アメリカは血を流すことを良しとしない(許さない)—しかし、沈黙 [匿名、黙示] の革命であり、それによって、アメリカは、これまで公言してきた理想を実践するために回復することを主張するだろう。特別な利益ではなく、一般市民・社会の一般的な利益に献身する政府を確保することによって。


XV

私たちは、国の組織的な生活が、あらゆる点で政府の活動によって維持されるか、少なくとも補完される時代の入り口にいるのである。そして今、われわれは、それがどのような種類の政府活動であるかを決定しなければならない。まず第一に、それが政府自身によって指示されているのか、それとも、すでに組織され、政府に取って代わる準備ができている機関を通じて間接的に指示されるのかを決定しなければならない」と。

ウィルソン大統領の時代、アメリカがまだ中立国であった頃、ウェリントン・ハウスはドイツがアメリカにとっていかに脅威であるかということを、嘘八百を並べ立てて流した。

我々は、1814年にバクーニンが行った声明を思い起こす。なぜなら、ウィルソンが自分の主張を裏付けるために利用した恥知らずなプロパガンダとあまりにもよく似ていためである。

「外交で嘘をつく:外交にはそれ以外の仕事はない。ある国が他の国に宣戦布告しようとするときはいつでも、まず自国の国民および全世界に向けて宣戦布告をしなければならない (全世界に向けて檄を飛ばすことから始める)。

このマニフェスト(この宣言の中)では、(右派・保守系の)正義(right)にかなった正当性(justice 合法性=法律や憲法)は自分たちの側にあると宣言し、平和と人類(と民主主義)への愛によって行動していること、そして寛大で平和的な感情に包まれて、敵の不義が強まるまで長い間沈黙して苦しんでいたことを実証しようと努めているのです」と。

「同時に、あらゆる征服を軽んずると共に領土の拡大を求めず、正義(justice)が再び確立され次第、この戦争に終止符を打つと宣言している。そして、その敵対勢力も同様の宣言で答えている。この宣言では、当然ながら、正義(right)、公正(justice)、人道(humanity)、あらゆる寛大な感情が、それぞれ自国の側に見出されることになる。


XVI

これらの互いに対立するマニフェストは、同じような雄弁さで書かれ、同じ義憤の息を吹きかけ、一方は他方と同じように誠実であり、つまり、どちらも嘘の中に図太さがあり、それに騙されるのは愚か者だけである。良識ある合理的な人々、政治経験のある人々は、このようなマニフェストを読もうとはしないのです。

ウィルソン大統領が議会で憲法に基づく宣戦布告を求める前に行った演説は、バクーニンが感じていたあらゆる感情を体現していた。

彼は「外交による嘘」をつき、ウェリントン・ハウスで作り出された粗悪なプロパガンダを利用して、1914年にドイツ軍がベルギーを横断する際に犯した残虐行為を説明しアメリカ国民を煽り立てた。しかし、これは真実の皮を被った大ウソであったのである。

私が5年間かけて、綿密な調査を行った大英博物館で、大量の古新聞の山に目を通したのを覚えている。これらの新聞は1912年から1920年までのものである。その時、こう思ったのだ。「新世界秩序の確立に躍起になっている全体主義的な社会主義政府が、自由の砦であるはずの米国に誘導され主導権を握られるとは、驚くべきことではないだろうか?」と。

その時、私の記憶では、300人委員会は、米国の最高レベルにも最低レベルにも、銀行、産業、貿易、防衛、国務省、さらにはホワイトハウスにも、その関係者がいることがが、はっきりとわかったのです。私の考えでは、米国上院というエリートクラブは言うまでもなく、新世界秩序推進のためのフォーラムであることが、はっきりとわかったのです。


XVII

ウィルソン大統領がドイツとカイザーに対して行ったプロパガンダ(実際はロスチャイルドのエージェントであるノースクリフ卿とロザミア卿、そしてウェリントンハウスのプロパガンダ工場の成果)は、真珠湾攻撃の「仕組まれ慎重に計画された架空の状況」と大差ないと思ったことを思い出します。トンキン湾「事件」、そして今振り返ると、1914年にドイツ兵がベルギーの子供の手足を切り落としたとされる残虐行為に関するプロパガンダの嘘と、ブッシュ政権がイラクを侵略することを許すようにアメリカ国民を騙したり酔わせたりするための方法との間に違いがないように思われる。1914年にはカイザーが「野蛮な」「冷酷な殺人者」で「怪物」で「ベルリンの虐殺者」だったのに対し、2002年にはフセイン大統領が「バグダッドの虐殺者」を含むこれらすべてとそれ以上の存在であったのである。哀れにも、騙され、欺かれ、策略をめぐらし、信用を重んじる、アメリカ人よ! いつになったら学ぶんだ?

1917年、ウッドロウ・ウィルソンによって新世界秩序の議題が下院と上院を通過させられていた。ブッシュ大統領は2002年、イラクに対する新世界秩序の議題を審議なしで下院と上院を通過させ、恣意的な権力の行使と合衆国憲法の重大な違反を行い、アメリカ国民が大きな代価を支払っているのである。しかし、アメリカ国民は、タヴィストック人間関係研究所によって引き起こされた毒性ショックに苦しみ、リーダーシップのない夢遊病のような状態に陥っているのです(夢遊病者のようにリーダーシップを発揮するようになっていたのです)。

彼らはその対価が何であるかを知らないし、知ろうともしない。300人委員会は、ウィルソン大統領やルーズベルト大統領の時代と同じように、米国を支配し続けている。その間、米国民は「パンとサーカス」に気を取られていたが、今日では、野球、フットボール、サッカー、尽きることのないハリウッド、そして社会保障に気を取られている。何も変わっていないのだ。


XVIII

米国は、嫌がらせを受け、追い回され、押され、突き飛ばされながら、新世界秩序への道を突き進んでいるのです。タヴィストック人間関係研究所の科学者に乗っ取られた戦争党の急進的な共和党員によって推進されています。

つい最近、私は購読者から 「タヴィストック研究所はどこにあるのですか?」と聞かれた。私の答えはこうだ。「上院、下院、ホワイトハウス、国務省、国防総省、ウォール街、フォックステレビ(偽テレビ)を見て回れば、これらの場所のすべてに彼らの改革促進人 (変革者) を見ることができるだろう」。

ウィルソン大統領は、ウェリントン・ハウスのバーネイズとリップマンによって指導・監督する民間委員会を通じて戦争を「管理」した最初のアメリカ大統領であり、それについてはすでに言及した。

ウェリントン・ハウスの大成功と、それがアメリカの歴史に与えた多大な影響は、1913年以前から始まっていた。ウィルソンは、ほぼ1年をかけて、アメリカ国内市場が「自由貿易」に席巻されないように守ってきた保護貿易関税を解体した。自由貿易とは、要するに、インドで安い労働力を使って作られた安いイギリス製品がアメリカ市場にあふれるのを許す慣習のことであった。1913年10月12日、ウィルソンは、フェビアン社会主義者が長い間ターゲットとしてきた、アメリカ独自の中産階級の終わりの始まりとなる法案に署名した。この法案は、「関税の調整」のための措置(関税調整法)と説明されていたが、「関税の破壊」のための法案(関税撤廃法)と表現するのが正確であろう。

ウェリントン・ハウスの隠された力は、大多数のアメリカ国民がこの嘘を受け入れ、それがNAFTA、GATT、世界貿易機関(WTO)につながるアメリカ商業の死の宣告であることを知らなかったり、気づかなかったことであった。


XIX

さらに驚くべきことは、貿易関税に代わる連邦政府の収入源として、1913年9月5日に可決成立した連邦所得税法を受け入れたことであった。所得税は合衆国憲法にないマルクス主義の教義 (doctrine) であり、連邦準備銀行の存在も憲法にはないものである。ウィルソンは、憲法違反の二つの暴挙を「人民のため、そして自由なビジネスのための戦い」と呼び、「偉大なビジネスの完成(大義の達成)に参加したことを誇りに思う」と語ったが......。ウィルソンによって説明された連邦準備法は、「国家の銀行と通貨・金融システムの再構築」として、ウェリントン・ハウスから発せられるプロパガンダの洪水の潮流に乗って、(恐怖の始まり)第一次世界大戦の惨劇が始まる敵対行為に間に合うように、急いで可決通過させられたのである。

ほとんどの歴史家は、連邦準備銀行法の可決成立がなければ、グレイ卿はあの恐ろしい大火を始めることができなかっただろうということで意見が一致している。

連邦準備法の詐欺的な表現は、バーネイズとリップマンの指示で行われた。彼らは、悪名高いサミュエル・アンターマイヤーを議長とする「全国市民連合」を結成し、国民のお金と通貨の支配・管理を確実にし、被害者(犠牲者)の同意なしに、私的独占(民間)に移行させる連邦準備銀行制度を推進したのです。

外国人金融奴隷制の施行にまつわる歴史の中で最も興味深いことの一つは、この法案がウィルソンに送られて署名される前に、ウェリントン・ハウスと銀行家J.P.モルガンに代表されるイギリス寡頭政治家の代表として、邪悪なエドワード・マンデルハウス大佐にコピーが渡されていたことである。


XX

この悲惨な措置(法案)が誰の名で制定されたのか、アメリカ国民は、自分たちがいかに策略にはまり、騙され、嘘をつかれ、完全に欺かれていたのか、微塵も考えていませんでした。奴隷制度という道具は、犠牲者たちが気づかないままに、彼らの首の周りに固定されたのだ。

ウェリントン・ハウスの方法論は、ウィルソンが、当時ヨーロッパで激化していた戦争にアメリカを巻き込まないという厳粛な約束で当選したにもかかわらず、ドイツに宣戦布告するよう議会を説得する方法を指導されたときに全盛期を迎え、新しい世論形成術の大勝利を収めたのだった。それは、世論調査の質問に陰影をつけ、その答えが大衆の意見を反映するようにしたもので、質問に対する大衆の理解や政治学のプロセスに対する大衆の理解とは異なっていたのだ。

筆者が1910年から1920年までの議会記録を徹底的に探し出し、読み込んだ結果、1913年12月23日にウィルソンが不当な「通貨改革」法案に署名しなければ、H.G.ウェルズが予言した米国上層部の並行秘密政府は、米国の膨大な資源をヨーロッパでの戦争に投入できなかったであろうことがはっきりと分かった。

モルガン一族は、300人委員会の「オリンピア」とその強力なロンドン・シティ金融を代表して、「米国連邦準備銀行」の形成に主導的な役割を果たした。この銀行は「連邦」でも「銀行」でもなく、アメリカ国民の首の周りに固定された、民間の収益独占機関で、今や、その資金は想像を絶する規模で自由に盗まれ、来るべき一つの世界政府内の新世界秩序の奴隷にされていたのである。1930年代の世界恐慌は、第一次世界大戦に続き、アメリカ国民が支払わなければならなかった2度目の大きな破滅的なツケとなった(付録を参照)。


XXI

この本を、「一つの世界政府」の中にある「新世界秩序」の最初の入門書としてこの本を読む人は、懐疑的であろう:しかし、偉大なハロルド・マッキンダー卿ほど、その到来を確信していた人物はいなかったことを考えよう。

そればかりか、その多くは独裁国家になる恐れがあることを予告していた。ハロルド卿は、ロンドン大学の地理学教授、1903年から1908年までロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの理事、1910年から1922年まで国会議員を務めるなど、素晴らしい経歴(CV)の持ち主であった。また、ウェリントン・ハウスの有力者の一人であるアーノルド・トインビーとも親交があった。彼は、地政学上の驚くべき出来事の数々を正確に予言し、その多くは実際に現実となった。

その「予言」の1つが、ドイツ社会民主共和国とドイツ連邦共和国という2つのドイツ国の建国であった。批評家たちは、彼がこの情報をトインビーから得たことを示唆した; これはまさに、トインビーが認識している「300人委員会」の長期計画にすぎなかったということです。

ウェリントン・ハウスの後、トインビーは王立国際問題研究所(RIIA)に移り、さらにロンドン大学では国際史の講座を担当した。その著書『アメリカと世界革命』の中で、彼はこう述べている:

「(カルトの)集団自殺を避けるためには、我々は世界国家を早く手に入れなければならないが、そのためには、おそらく、まず始めに非民主的な形で手に入れなければならないことを意味する(かもしれません)。私たちは、現時点で実用化され、実行可能な最善の設計に基づいて、世界国家の建設を今すぐ始めなければならないのです。


XXII

トインビーは、このような「世界独裁」が、「現在の政治地図上のいたるところにあるローカルな民族~地方の国民国家」に取って代わるものでなければならないと発言して、率直な意見を述べたのである。

新しい世界国家は、大衆のマインドコントロールと、それを容認させるプロパガンダに基づいて、引き起こされ達成される予定だった。私は拙著『300人委員会』の中で、バーネイズが1923年と1928年の著書『プロパガンダ』と『世論の結晶』で世論調査について「笛を吹いた (警鐘を鳴らした)」ことを説明した。
(『世論調査』で世論調査に関する「仮面を剥いだ」ことを説明した)

続いて、この作業に同意する、ワークスコンセント『The Engineering of Consent』が発行・締結された:

自己防衛(自己保身)、野心、プライド、飢え、家族や子供への愛情、愛国心、模倣性、リーダーになりたいという願望、遊び(ゲーム)への愛 ―― これらやその他の衝動は、すべてのリーダーが大衆を自分の見解に引き入れようと努力する際に考慮しなければならない心理的材料である...。自己肯定感を維持するために(自分に自信を持つために)、多くの人は、自分が信じていることが何であれ、それが真実であると確信する必要がある。

これらの著作を検証してみると、それらを書かれた当時、タヴィストック階層が明らかに、アメリカやイギリスを支配していることをほくそ笑むのに十分なほど安全だと感じていた時期に検討されたもので、この支配は、H.G. ウェルズが最初に示唆した路線に沿って公然の陰謀へと開花~成長していたことを付け加えておきたい。

ウェリントン・ハウスの出現により、イギリス王室と、後にロックフェラーによって資金提供された、ロスチャイルドとアメリカの関係により、西洋文明は、世界を支配する秘密政府、すなわち300人委員会が提供する計画の第一段階に突入したのです。


XXIII

タヴィストック人間関係研究所は、その創設者である。本書は300人委員会に関するものではないので、読者は『300人委員会』の1冊目と2冊目の両方を入手することをお勧めする。

『300人委員会』の綿密に構成された青写真、厳格に守られ、2005年の終わりを迎えた今日、知識のある人たちなら、欧米社会(西側諸国)の歩みを振り返り、今日に至る経過をたどることはかなり容易であろう。本書は、まさにそのような試みである。


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1

第1章
世界初~世界最高峰の洗脳研究所の設立

ウェリントン・ハウスでのささやかだが極めて重要な設立からスタートした、タヴィストック人間関係研究所は急速に拡大し、世界最高峰の極秘「洗脳」研究所となったのである。 ここで説明すべきは、この急成長がどのようにして達成されたかということである。

世論を大量に操作する近代科学は、ロンドンのウェリントン・ハウスで誕生した。ノースクリフ卿とロスミア卿の仲介で、淫らな赤子(力強く、好色で性欲旺盛な、話さない、話すことのできない初期段階の研究事業)が誕生したのである。

この事業の資金は、イギリス王室、ロスチャイルド卿、ロックフェラー家が負担していた。ウェリントン・ハウスのスタッフの目的は、ドイツとの戦争に断固として反対するイギリス国民の意見を変えることであり、それは世論調査による「オピニオン・メイキング」 (市民世論を生み出し誘導する、広報活動の推進すること) によって達成された困難な仕事だったことが、調査することが許された文書から読み取れたのだ。スタッフは、後に王立国際問題研究所(RIIA)の研究部長となるアーノルド・トインビー、ノークリフ卿、そしてアメリカ人のウォルター・リップマンとエドワード・バーネイズで構成されていた。

バーネイズ(Edward Bernays)は、1891年11月22日、ウィーンで生まれた。精神分析学の父ジークムント・フロイトの甥で、(動作などがのろい大衆の異なる関係を運んで結びつけ元に戻す)「パブリック・リレーションズの父」と呼ばれ、その称号はウィリー・マンゼンバーグのものである。バーネイズは、心理学やその他の社会科学を使って世論を形成し、そうして作られた意見を一般の人々が自分たちの意見だと信じ込ませたパイオニアである。


2

「集団心理のメカニズムと動機を理解すれば、大衆に気づかれることなく、自分たちの意志で大衆を支配し、統制することが可能になる」とバーネイズは仮定した。彼はこのテクニックを「エンジニアリング・コンセント」(同意の構築、同意の技術、同意操作大規模プロジェクト|原義:中に生む独創的な発明・生来の才能を、共に感じる~一致・賛同・承諾)と呼んだ。この目標を達成するための彼の最も有名なテクニックの一つは、彼が第三者的権威と呼ぶものを間接的に使って、望ましい意見を形成することであった。「もし、あなたがリーダーたちに影響を与えることができれば、彼らの意識的な協力があろうとなかろうと、彼らが動かしている集団に自動的に影響を与えることができる」と。この手法を彼は「オピニオン・メイキング 」と呼んだ。

おそらく私たちは今、ウィルソン、ルーズベルト、クリントン、ブッシュ・シニアとブッシュ・ジュニアが、国民が決して巻き込まれるはずのない悲惨な戦争に、アメリカをいとも簡単に引きずり込んだのか、今なら理解できるかもしれない。

英米の共同参加者は、目前に迫った戦争への支持を集め、サポートを動員するために、まだ試されていない操作プロジェクトに力を注いだのである。

前述したように、イギリス国民は戦争を望んでおらず、そう言っていたのだが、トインビー、リップマン、バーネイズの3人は、世論調査によって世論を操作することを目的とした技術を適用することによって(世論調査という世論操作のテクニックを使って)、この状況を変えようとしたのである。ここでは、イギリスとアメリカを第一次世界大戦に巻き込むために考案され実行された手法と、二つの世界大戦の間やそれ以降に実践された手法についての考察を述べることにする。後述するように、ここで重要な役割を果たしたのがプロパガンダであったことは言うまでもありません。

タヴィストックにおける主要な目的の一つは、女性を劣化させ、女性の品位を落とすことを実現することにありました。タヴィストックは、イエス・キリストが出現する以前には存在しなかった女性性(女らしさ)に、文明秩序の中で女性性に対する新しい尊重する場をもたらしたことを認識したのです。


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キリストの宣教後、女性性はキリスト以前の文明にはなかった尊敬と社会的な高い地位を獲得したのである(女性は社会的に尊敬され、キリスト教以前の文明にはなかった高貴な地位を獲得した)。もちろん、ギリシャやローマ帝国にもそのような高い地位があったという議論もあり、それはある程度正しいが、キリスト教後の社会で女性性が高められたかというと、そうではない。

タヴィストックは、この状況を変えようとし、第一次世界大戦直後からそのプロセスを開始した。モスクワのルス(バイキング)王子がコンスタンティノープルから持ち帰った東方正教会は、女性性を尊び尊重しており、その後、彼らが倒してロシアから追い出した(支配者層[テュルク系民族?]が、9世紀頃にユダヤ教に改宗したことで有名な)ハザール人との経験から、ロシアの女性を守ろうと決意したのである。
(女性愛を保護する決意を固めた|ロシアの女性権を守ろうと決意したのです)

ロマノフ王朝の創始者ミハエル・ロマノフは、キリスト教国家を基礎としてロシアを守ってきた貴族の末裔である。1613年以降、ロマノフ家はロシアに高貴な地位を与え、気品ある国にしようと、キリスト教の偉大な精神を吹き込もうとした。それは同時に、ロシア女性の保護と尊重をも意味した。

ドミートリー・ドンスコイ大公率いるモスクワ公国は、ドンスコイがヴォルガ川下流域に住んでいたハザール人の大軍を撃退し追放したため、ロシアに対するロスチャイルドの憎悪を抑えられなくなった。このインド・トルコ系の謎の野蛮な戦士の民たちは、ハザール人の予言者・魔術師・呪術師の長であるダヴィッド・エル・ロイ(David el-Roi, デビッド・アルロイ David Alroy)の承認のもと、ブラント王の勅令によってユダヤ教の信仰を取り入れ、ユダヤ教を宗教として採用したのである。

これはエル・ロイの個人的な旗で、現在では「ダビデの星」()として知られているが、ロシアを追われポーランドに移住したハザール人の国の正式な旗(ハザリア民族の公式旗)となったものである。


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この旗はシオニストによって標準旗として採用され、今でも「ダビデの星」と間違って呼ばれることがある。 クリスチャンはこれを旧約聖書のダビデ王と結びつけて混同しているが、実際には両者の間には何の関係もない。

ロシアへの憎しみは、1612年にロマノフ王朝がロシア軍を率いてポーランドを攻撃し、それまでロシアに属していた広大な土地を奪還したときに、さらに深まったのである。

ロシアに敵意を抱かせた張本人は、ロスチャイルド王朝であり、タヴィストックはこの憎しみを利用して、西洋文明の破壊を企てたのである。

タヴィストックが作った最初の好機は、1905年、ロシア艦隊を完全に驚かせた日本海軍の奇襲攻撃であった。この作戦は、ロスチャイルドと繋がりがあるウォール街の銀行家、ジェイコブ・シフ(ヤコブ・シフ)が資金を提供したものである。

(1904年、中国遼寧省大連市旅順口区にある)旅順港での奇襲攻撃によるロシア艦隊の敗北は、その後キリスト教ヨーロッパに押し寄せる暗黒の幕開けとなった。ロックフェラー・スタンダード・オイル・グループは、タヴィストックに指示のもと、「300人委員会」の力を借りて、日露戦争を画策したのである。この作戦の資金源はジェイコブ・シフから提供されたが、実際には、ロックフェラー一般教育委員会が提供したもので、その表向きの目的は黒人の教育資金であった。この委員会の宣伝や広告はすべて、当時「ウェリントン・ハウス」と呼ばれていたタヴィストックの社会科学者によって書かれ、作られたものだった。


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1941年、ロックフェラーのもう一つのフロント組織である太平洋問題研究所(IPR)は、東京にある日本のカウンターパートに巨額の資金を提供した。そしてその資金は、日本が真珠湾攻撃をするように仕向けるために、ロシアのスパイ、リヒャルト・ゾルゲによって皇室の一員に流されたのである。IPRの出版物はすべて、タヴィストックが発案したものである。

当時はまだ明らかにされていなかったものの、1936年に出版されたシュペングラーの記念碑的著作の中で述べているように、これは旧秩序の終わりの始まりを示すものであった。既成の歴史記述・解釈とは異なり、「ロシア」革命は、そもそも「ロシア革命」ではなく、主に300人委員会とその武装勢力によって主に支持された、外から入ってきた異質なイデオロギー、その傘下のタヴィストック研究所によるものだったのです。衝撃を受け、態勢が整っていなかったロマノフ一家に暴力的に押しつけられのである。

それは政治的な戦争[国同士の争いの遠征]であり、低級な戦争[内戦]であり、タヴィストックが熟知している、心理的な戦争[内乱]だったのです。

ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)はこう言っている:
「彼らはレーニンを密閉したトラックで、スイスからロシアに運び込み」
「そしてレーニンとトロツキーは(チャンスの)頭髪をつかみロシアを完全に牛耳ってしまったのだ」と。

これまでにも、「封印された密輸トラック(不可解に運ばれる市場向け野菜[果物]、取引・交際)sealed truck」「封印された密輸車(不可解に走る、物を運ぶ2輪の荷馬車・小型の馬車)sealed car」「封印された密輸列車(不可解に引きずり、従わせ、仕込み、訓練・調教するもの)sealed train」について多くのことが書かれてきた (しかし、ほとんどの場合、それは単なる歴史の追記であるかのように、一過性のものとして、一瞥するだけである)。レーニンとボルシェビキ革命家たちを戦乱のヨーロッパの真っただ中に安全に送り込み、ロシアに上陸させ、そこで、「ロシア革命」と間違って呼ばれている彼ら独自のボルシェビキ革命を開始したのである。


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著者がウェリントン・ハウスで調査する機会に恵まれた文書、アーノルド・トインビー文書とブルース・ロックハートの私文書で明らかになったことは、トインビーとMI6英国情報部のブルース・ロックハート、そして表向きはサンクト・ペテルブルクの宮廷に忠誠を示し、友好関係にあった少なくとも5つのヨーロッパ諸国の加担・共謀なしには、ボルシェビキの冷酷な革命は未だに起こっていなかったかもしれない、という結論に至ったことである。

この説明は、必然的にタヴィストックの事件への関与という点に限定せざるを得ないので、私たちが紹介したかった謀略の完全な説明にはならないだろう。(植民地地行政官)ミルナーの私文書によれば、ミルナーの側近はタヴィストックを通じて同じ社会主義者のフリッツ・プラッテンに接触した。(ミルナーはシドニーと、「団体交渉(collective bargaining)」という用語を作ったシドニーの妻ビアトリス・ウェッブを軽蔑していたが、フェビアン社会主義者の代表的存在であった)。プラッテンは、この旅行の手配を計画し、革命家がペトログラードに到着するまで監督をした。

このことは、ヴィルヘルムシュトラッセ・ファイルによって確認され、裏付けられました。その大部分は、私たちが閲覧することができたもので、これらのファイルは、閲覧する資格のある特定の人々に開かれていたのです。それらは、ブルース・ロックハートの私文書での説明と、アルフレッド・ミルナー卿がロシアを裏切った裏工作に関する記述と、かなり符合しているのだ。ミルナーは、ボルシェビキの国外駐在員(ディアスポラ)の中に多くの人脈を持っていたようで、その中にレーニンもいた。レーニンは、革命のための資金が必要になると、ミルナー卿のところに出向いた。プラッテンからの紹介状を手にしたレーニンは、ミルナー卿に会い、ロマノフ王朝とキリスト教国ロシアの打倒のための(共産化)計画を打ち立てた。

このことは、ヴィルヘルムシュトラッセ・ファイルによって確認され、裏付けられました。その大部分は、私たちが閲覧することができたもので、これらのファイルは、閲覧する資格のある特定の人々に開かれていたのです。それらは、ブルース・ロックハートの私文書での説明と、アルフレッド・ミルナー卿がロシアを裏切った裏工作に関する記述と、かなり符合しているのだ。ミルナーは、ボルシェビキの国外駐在員(ディアスポラ)の中に多くの人脈を持っていたようで、その中にレーニンもいた。レーニンは、革命のための資金が必要になると、ミルナー卿のところに出向いた。プラッテンからの紹介状を手にしたレーニンは、ミルナー卿に会い、ロマノフ王朝とキリスト教国ロシアの打倒のための(共産化)計画を打ち立てた。

ミルナーは、MI6のブルース・ロックハートを代理人として派遣し、日々の業務を監督させ、レーニンについて報告させることを条件に、同意した。


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ロスチャイルド卿とロックフェラー家は、ロシアの天然資源と中央銀行が保有する金塊ルーブルのロンドンへの移管を監督するために、シドニー・ライリーをロシアに派遣する許可を求めた。これは、レーニン、そして後にトロツキーも同意している。

取引を成立させる(掘り出し物を封印する)ために、ミルナー卿はロスチャイルド家を代表してレーニンに6千万ポンドの金貨を渡し、ロックフェラー家は約4千万ドルの資金を提供した。

「封印された密輸列車 sealed train」事件に加担した国は、イギリス、ドイツ、フィンランド、スイス、スウェーデンである。アメリカは、直接的には関与していないものの、何が起こっているかは知っていたに違いない。なにしろ、ウィルソン大統領の命令で、トロツキー(本名レフ・ブロンシュタイン)が安心して旅行できるようにと、トロツキーはアメリカ国民ではなかったが、アメリカのパスポートが発行されたのである。

レーニンとその同胞は、ドイツ政府高官から設備の整った専用車両を提供され、沿線の駅との協定によって常に施錠された状態で保たれていた。プラッテンが責任者で、旅の規則を定めたが、そのうちのいくつかは「ヴィルヘルムシュトラーセ・ファイル」に記載されている。

車両(馬車 The carriage)の運搬・移動手段(考えの進め方、戦争の拡大、占領し、奪い取るものなど)は全行程でロックされたままでなければならない。
プラッテンの許可なくして、誰も馬車に乗ることはできない。
「(封印された密輸)列車(train)」は特別な領土権を持つことになる。
国境でパスポートを要求されることはない。
切符は普通の値段で買える。
途中の国の軍隊や警察から「安全保障上の問題」を指摘されることはない。


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ヴィルヘルムシュトラッセ・ファイルの公文書によると、この旅行はルーデンドルフ将軍とカイザー・ヴィルヘルムによって認可・承認されたものであった。ルデンドルフは、もしスウェーデンがボルシェビキの通過を拒否するならば、ドイツの線路を通ってロシアに入国させること(ドイツ戦線を通じてロシアに通過すること?)を保証するとまで言っているのだ!結果的に、スウェーデン政府は何の異議も唱えず、フィンランド政府も異論を唱えなかった。

注目すべき革命家の一人、ドイツとスイスとの国境に到着した列車に乗り込んだのは、後にボリシェヴィキ革命の主役となる(ドイツ・ソ連の共産党政治家、ユダヤ人)ラデックであった。しかし、明るい話題(軽い災難)もあった。『ヴィルヘルムシュトラッセ・ファイル』には、フランクフルトでエンジン(生来の才能 → 独創的な工夫 → 発明)が故障・停止ししてしまい、約8時間にわたって(その本質・存在・神が)あちこちに(逆戻りして)配置移動・置き去りにされたことが記されている。

一行はドイツのバルト海の町サスニッツで訓練を解除しなければならなかったが、そこでドイツ政府から「まともな宿泊施設(ふさわしく好都合な便宜。融資・用立て。調停、和解案)」を提供された。スウェーデン政府の好意により、マルメまでのフェリー輸送が行われ(渡し舟が用意され)、そこからストックホルムまで航海し、そこでボルシェビキ一行は(無知な>愚かな>細かい、精密なる>)「素敵な」宿泊施設を待って、その後フィンランド国境まで移動することになったのです。

そこで、不適なプラッテンは、高慢な一団と別れ、ロシアへの最後の旅は列車でペトログラードへ向かった。こうして、スイスのチューリッヒから始まった壮大な旅は、ペトログラードで幕を閉じた。レーニンが登場し、ロシアは凋落の一途をたどっていた(ロシアは敗戦を迎えようとしていた)。そして、バーネイズとリップマン、そしてウェリントン・ハウス(タヴィストック)の研究者たちは、終始、洗脳的なプロパガンダ(洗脳宣伝、洗脳工作)を続け、その結果、世界の多くの人々が騙されたと結論付けてもよいだろう。


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第2章
欧州は崖っぷち

第一次世界大戦後、ボルシェビキ革命が終結した後のヨーロッパは、タヴィストックの計画に基づいて強制的に変化させられた。イギリスが引き起こした第一次世界大戦のおかげで、ヨーロッパは断崖絶壁から世界の終わりへと転落していった。というより、時代の最後が奈落の底の暗闇に消えていくまで、強制的な変化がはっきりと現れるまで、ゾンビのようによろめきながら進むと言ったほうが適切かもしれません。

これは第一次世界大戦そのものについての本ではありません。人類に降りかかる最大の悲劇の原因と影響について、何十万もの言葉が書かれてきたが、十分な対応がなされてこなかったし、おそらく今後も解決されることはないでしょう。多くの書き手たちが - 私自身を含めて - 同意していることが1つあります。

この戦争は、イギリスと競合する経済大国として急速に台頭してきたドイツを、イギリスが憎んで起こしたもので、エドワード・グレイ卿がこの戦争の主要な立案者であった。

それが評判が悪く、イギリス国民の大多数から支持されなかったことから、「特別措置」がとられ、この課題に対処するための新しい部門が創設されたのである。 つまり、そのためにウェリントン・ハウスは生まれ存在するのです。

そのような小さな始まりから、2005年には、巨大な「タヴィストック人間関係研究所」に発展し、世界最高の洗脳機関であり、最も邪悪な力を持つようになったのです。
もしアメリカ合衆国が50州に保証された共和制の政治形態を持つ立憲共和国として存続するためには、このような組織に立ち向かい、そのような組織を終わらせ消滅させなければならないというのが、


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本書の準備のために助言を受けた、名前を伏せることを希望した米国上院の議員たちの考えである。

第一次世界大戦の余波と、国際連盟の結成に失敗したことは、古い西洋文明と新しい文明との間のギャップを強調するのに役立っただけだった。戦後のドイツの経済的惨状は、まるで葬儀の煙のように西洋文化の上に立ちこめ、1920年代から始まった殺伐とした雰囲気、悲しみ、そして恐ろしい風潮をさらに強めることになった。

歴史家は、ロシアはボルシェビキによって破壊されただけで、多少は被害を免れたが、ドイツとオーストリアが最も大きな打撃を受けた一方で、すべての戦闘参加国が程度の差こそあれ経済的荒廃を被ったという点で一致している。1920年代のヨーロッパ(イギリスも含む)とアメリカには、喜びを強制されるような奇妙な雰囲気が漂っていたのである。 これは「反抗的な若者」や「戦争や政治に対する嫌悪感」が原因だとされた。実際のところ、人々はタヴィストックの熟練者たちによる永続的な浸透・観察と、内なる誘導き(心理的に働きかけられるガイダンス)に反応していただけなのである。

第一次世界大戦末期から1935年までの間、周囲に銃弾や砲弾が飛び交う塹壕(切り取られた深く狭い数々の堀・溝)[〈第一次世界大戦の〉北フランス・ベルギー戦線?]の地獄を生き抜いた部隊(原義:人・動物の群れ)と同じように、彼らは砲弾の衝撃を受けたが、今は違う。それは経済的な撃ち手による銃声(shot [ワクチン接種...])と砲弾(shell [豊穣の象徴、ロックフェラーシェル石油?])であり、そして社会風俗の大きな変化が、彼らの感覚を麻痺させたのです。

しかし、「治療」(引く → 引き回す → 取り扱う問題の論じ方、脚本の流れ。取り扱い、待遇)の結末は同じであった。人々は警戒心・思慮深さを捨て、1918年に動き出した道徳的腐敗は、現在も進行中であり、勢いを増していった。半ば強制された享楽の中で、誰も世界経済の大暴落とそれに続く世界恐慌の到来を予見することはできなかった。


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ほとんどの歴史家が、この状況は仕組まれたものだと認めており、当時の各派閥の熱狂的な宣伝活動にタヴィストックが一役買っていたと信じるように仕向けているのである(一役買ったと考えている or 私たちはそう信じ込まされているのです)。暴落と恐慌は意図された出来事であったという我々の主張を裏付けるものである。出来事の付録を参照してください。

シュペングラーは、これから起こることを予言し、結果的にその予言は驚くほど正確でした 。「フラッパーズ~欲望的なダンサー(ラップダンサー)」たちに特徴づけられる、 「堕落して行く社会」と、束縛から解き放たれた(家族などから切り離された)「奔放な女たち」、そして、腰のフラスコを装着したコートを着た男性たち。彼らは、より高いヘムライン、ボブヘアと過剰なメイクアップ、女性が公共の場で喫煙や飲酒をすることでやってくる女性の慎み深さの軽減を要望し、実現させたのです。お金を手に入れるのが難しくなり、スープキッチン(炊き出し、食料配給所)や失業者の列が長くなり、ヘムラインが短くなり、シンクレア・ルイス、F・スコット・フィッツジェラルド、ジェイムズ・ジョイス、D・H・ローレンスの著作が息を呑むようになり、最新のブロードウェイショーやナイトクラブの演目では女性の隠れた魅力をこれまで以上に露出させ、それを公然と見せつけるようになったのです。

1919年にファッションデザイナーたちが『ニューヨーカー』誌で「今年のヘムラインは地面から6インチ(15.24センチ)という、とても大胆なものだ」と指摘していた。


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第3章
「時代」はいかにして変化させられたのか

しかし、それはほんの始まりに過ぎなかった。1935年、ヴェルサイユ宮殿でドイツに押し付けられた、およそ不可能な過酷な条件を担保に、ヒトラーが権力を握ると、ヘムライン(スカート丈)も、ドイツを除いては、膝の高さまで上がっていたが、ヒトラーはドイツ女性に謙虚さを求め、それを健全な敬意をもって迎え入れられたのだが、これはタヴィストックの台本とは相容れないものであった。

全く考えることをやめた(思考停止した)人々は、「時代が変わっていく」のが嫌だと言いますが、彼らが知らなかったこと、知り得なかったこと、その時代の変遷というものは、タヴィストック式によって入念に練られ、周到に準備された計画に従って進められてきたということなのです。ヨーロッパでもアメリカでも、「奴隷解放」熱は広がり、反乱は起きていたのです。

アメリカでは、無声映画のヒーローたちが時代を先導していたが、これはヨーロッパで起こっていることとは比較になりません。ヨーロッパでは、同性愛をはじめ、あらゆる種類の「快楽」にふけることが許容されていますが、それは長い間、闇の中に隠蔽され続け、礼儀正しい社会では決して語られることはなかったのです。

同性愛がレズビアンとともに出現したのは、ひどい嫌悪感、強い反感を与えるためであり、まだ古い秩序に縛られている人々を意図的に、わざと怒らせ、侮辱するためであったように見える。

この異常さを研究してみると、同性愛やレズビアンが流行するようになったのは、内面的あるいは潜在的(本質的)な欲求からではなく、厳格な秩序規範を持つ古い体制に「ショックを与える」ための手段であったことを示唆しているのです。 音楽もまた苦戦し「犬死」した。ジャズなどの「退廃的なもの(退廃的な生活をする人)」がさまざまな手法で「流行」したが、淘汰され「終焉を迎える」ことになったのです。


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タヴィストックは今、その計画を進める上で最も重要な段階にある。その計画とは、女性の道徳心、女らしい振る舞いについて、これまで考えられなかった低い道徳水準にまで、どんどん引き下げることを求めるものであった。 国際社会(各国)は無感覚の状態にあった。「シェルショック」~止めることが不可能と思われる急激な変化を強いられ、恐怖を感じ「殻に閉じこもってしまった」状況にあって、1920年代から1930年代にかけて、女性の、しとやかさ、(すなわち、女性の言動が落ち着いていて、好ましい感じを与える様子、脚や胸元を隠したり、挑発的でない態度[服装]といった慎み深さ)の欠如が、行動態度に反映されるようになったのです。まるで女性向けの日曜学校の先生の集会のようでした。その当時、世界を席巻した「性革命」と、それに伴う女性性の計画的な劣化(聖職位剥奪級!?な地位の格下げ)を止めることはできなかった。

G.K.チェスタートンやオズワルド・スペングラーを筆頭に、いくつかの声は聞かれたが、事実上「西洋文明への宣戦布告」をしたタヴィストック研究所による攻撃を鈍らせるには十分でなかったのだ。「長距離の浸透と内的な方向づけ」の効果は、いたるところで観察することができた。今日、私たちが直面している善悪の判断のできる性的に純潔な道徳的教訓、(肉体的・物質的と区別した聖霊の霊的な精神)精神、人種的、(家の富の管理)経済的、(精神の耕作~教養的・培養上の耕されたところ)文化的、(意志・感情に対しての)知力・知的な破綻は、何らかの社会現象や抽象的、社会学的なことが「起こった」結果ではない。むしろそれは、慎重に計画されたタヴィストック・プログラムの結果であったのだ。

私たちが見ているものは、偶然の産物でもなければ、歴史の異常でもない。むしろそれは、いたるところで意図的に引き起こされた社会的・道徳的危機の完成品としてはっきりと表れている。ミック・ジャガー、オプラ・ウィンフリー、ブリトニー・スピアーズのような著名人、「リアリティ」テレビ番組、あらゆる本能の集合体~基本的本能を混ぜ合わせたような「音楽」、フォックス・ニュース(Faux News=偽ニュース)、主流劇場(戦域、手術室)の映画館でポルノ映画を見たりと、その内容は多岐にわたっている。謙虚さや礼儀正しさが失われた広告、公共の場、特にアメリカのレストランでの騒々しい無作法な振る舞い;ケイティ・クーリックをはじめとする、多くの


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無名の女性たちが、突然、高給取りの「テレビ・キャスター」やトークショーの司会者になるために「作られた」全員が、訛りを完全に排除し、まるで顎を食いしばって話しているかのように、硬く、耳障りで、緊張感のない単調な声で話すように訓練されました。それまで、テレビのニュースを読み解説する人やニュースキャスター(総合司会者)は男性ばかりだったが、突然、その現場の十数人の男性がいなくなったのである。

映画界では、実体のない「スター」が、ますます文化水準の低い映画を量産している。異人種間結婚、離婚調停、中絶、あからさまな同性愛やレズビアンの行動の美化、宗教的信念の喪失、西洋文明の家庭生活にもそれを見ることができる。エレン・デジェネレスのような、才能も文化的価値もまったくない「スター」が、多感な若い女の子たちのモデルとして持ち上げられ、体の75%もの部分を露出して街中をパレードすることがどんどん増えているのだ。カナダでは、「公民権」という薄っぺらい口実で、同性愛者とレズビアンの「結婚」を合法化する「法律」を可決したように、薬物中毒の激増やあらゆる社会悪の大量増加にそれが見て取れるのです。

私たちは、政治システムの大規模な腐敗と、下院の憲法上の騒乱を目の当たりにしています。そして上院は、この国の最高法規の明白な違反を許可しています。政府のあらゆるレベルにおいて、そしてどこよりも行政府において、これ以上ないほどに、ルーズベルト以降のすべての大統領は、大統領に与えられていない権力を行使してきた。そのような決定権が合衆国憲法によって行政機関に明確に否定されている戦時中の権限を、大統領が不正に行使しているのを目の当たりにしているのだ。


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私たちは、憲法に権限を与えられていない「法律」の忌まわしいリストに加えられた、新しい次元の憲法違反を目の当たりにしています。最近で最も衝撃的だったのは、連邦最高裁があからさまに権限を逸脱して州の権利を破壊して、ジョージ・ブッシュ(子)を大統領に選出したことである。これは、米国憲法修正第10条の最も重大な違反の中で、米国の歴史上、憲法に対して加えられた最も野蛮な一撃の1つであったに違いない。しかし、アメリカ国民はあまりにも呆然とし、殻に閉じこもっているため、抗議の声も上がらず、大規模なデモも起こらず、最高裁を厳しく取り締まるよう求める声も上がらないのです。この一件だけでも、タヴィストックの「長距離浸透と内的方向づけ」の力が、大勝利をもたらすことが証明されたわけです。

むしろ、私たちが2005年に直面しているこの共和国崩壊の状況は、単に進化したのではなく、むしろ慎重に計画された巨大規模の社会工学的洗脳プロジェクトの完成品なのです。かつては地球上で最も偉大な国家であったこの国の瀕死の状態の中に、真実が映し出されているのです。

タヴィストックの社会科学者が書いた心理学的な条件を設定した論文がよく効いている。あなたの反応はプログラムされたものだ。あなたは最高の努力をしない限り、それ以外の方法で考えることはできないのです。
(それ以外の発想・思考は、よほどの努力をしない限りは不可能だということです)

この状態から脱却し自由になるためには、まずアメリカやヨーロッパ、西欧諸国全般の崩壊を目論む敵とその計画を明らかにしない限り、手段を講じることはできない。その敵とは、タヴィストック人間関係研究所と呼ばれるもので、ウェリントン・ハウスで形を成す前の初期の段階から、西洋文明と戦争を続けてきました。そこから現在のサセックス大学の施設と、


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ロンドンのタヴィストック診療所に発展してきたのである。1969年に私がこの機関の正体を暴くまでは、アメリカでは知られていませんでした。それは間違いなく世界最高の洗脳社会工学施設なのです。

第一次世界大戦前のイギリスにおける初期段階と、第二次世界大戦直前の活動、第二次世界大戦後から現在に至るまで、それが何を成し遂げたかを見ていきます。第二次世界大戦中、タヴィストック研究所は、英国陸軍の生理学作戦部門を拠点としていた。 ウェリントン・ハウスで形成期におけるその歴史を紹介してきたが、ここからは、第二次世界大戦前と第二次世界大戦後の活動を紹介する。


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第4章
操作[処理]の巧みな社会工作者による社会的工作活動と社会科学者

クルト・レヴィン博士は、行動修正の最も進んだ方法であるトポロジカル心理学の指導と応用を専門とする、その最高理論家であり、現在もなお、その活動を続けている。レヴィンを補佐したのは、ジョン・ローリングス・リース少将、エリック・トリスト、ウィルフレッド・ビオン、ヘンリー・ビクター・ディックス、そしてマーガレット・ミードとその夫グレゴリー・ベイトソンといった洗脳や社会工学の「偉人」たちであった。バーネイズは、ジョージ・ブッシュが最高裁によってホワイトハウスに擁立される直前まで、最高のコンサルタントであった。我々はあまり専門的になりたくないので、彼らが社会科学者科学をどのように応用したかの詳細には触れないことにする。この「シンクタンクの母」の活動の全体的な説明として、「洗脳」という総称を受け入れる人が多いだろう。

レヴィンとそのチームは、スタンフォード大学研究所、ウォートン・スクール・オブ・エコノミクス、MIT、国立精神衛生研究所など、「アメリカ的」と言われる数十の施設を設立したことは、さほど、驚くにはあたらない。この間、タヴィストックとその関連機関には、連邦政府から何百万ドルもの資金が提供され、アメリカ企業やウォール街からもそれに見合った金額が提供された。

タヴィストック研究所が開発した驚異的に成長し進歩した大衆洗脳技術がなければ、第二次世界大戦も、それに続く戦争も、そして2005年11月現在も続いている二つの湾岸戦争もなかっただろうと、私たちはあえて言いたい。

2000年になると、アメリカ(America)ではタヴィストックの触手が及ばない生活領域はほとんどなくなり、それは地方から連邦までのあらゆるレベルの政府(船の舵をとる → [中立的な(欲望・怒りなどを抑制する)]支配手段)、産業(中に築くこと→組織的作業)、貿易(道、水路)、教育(子供の能力を導き出すこと)、国家・民族の(上に立てられた)政治機関などにも及んでいた。国民の精神的、心理的なあらゆる側面が分析され、記録され、プロファイリングされ(輪郭[人・集団・企業・場所などの素描・紹介]を描かれ)、コンピュータのメモリーバンクに保存されていたのである。

そこから見えてくるのが、タヴィストックが「3システム(3系統)反応」(3で共に組み立てた制度・組織・系統・秩序が密接に結びついて互いに影響を及ぼし合って1つにまとまって機能し再び繰り返される約束)と呼ぶものであり、危機管理(家畜を外へ追い出して動かす)の訓練となった「わざとらしく意図的に仕組まれた[不自然な]状況」から生じるストレスに対して、集団がどのように反応するかということである。アメリカ(U.S.)やイギリス(Britain)にあるのは、政府が、国民が危機とみなす状況を作り出し、政府がその「危機」(crisis)を管理することです。

「仕組まれた状況」の例としては、1941年12月の日本軍の真珠湾攻撃がある。真珠湾攻撃は、先に説明したように、ロックフェラーの資金をスパイマスターのリチャード・ゾルゲに、そして皇室の一員に移し、日本に先制攻撃を促し、ルーズベルト政権が米国を第二次世界大戦に引き込むための「周到な計画」であった。

英米(Britain and the United States)が一方的に、日本という島国工場に必要な原材料の流れを遮断することで、日本の経済的締め付け(絞殺行為)は、終止符を打つ決断をする段階にまで達していたのだ。

タヴィストックは、巨大な反日プロパガンダの大波(潮流)を作り上げ、それがヨーロッパでアメリカ(United States)を席巻し、日本との戦争へと巻き込んでいく上で大きな役割を果たしたのです。

イギリス(Britain)とアメリカ(United States)が、日本という島国工場に必要な原材料の流れを一方的に遮断し、日本を経済的に締め付けていた絞殺行為は、一段落ついたので、終止符を打つことにした。

タヴィストックは、巨大な反日プロパガンダの大波(潮流)を作り上げ、それがヨーロッパでアメリカ(United States)を席巻し、日本との戦争へと巻き込んでいく上で大きな役割を果たしたのです。


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ルーズベルト政権は、日本に耐え難い経済的圧力をかけ、同時に「交渉」を拒否する一方で、東京政府は真珠湾攻撃以外の道を見出せなくなったのである。ルーズベルトは、太平洋艦隊(アメリカ海軍)を安全なサンディエゴから真珠湾に移動させることによって、まったく合理的、戦略的理由もなく危険にさらし、その結果、日本海軍に完全に包囲された状態にしてしまったのである。

もう一つの例は、つい最近のものです;湾岸戦争が始まった当初は、イラクが核兵器や化学兵器、いわゆる「大量破壊兵器」(WMD)を保有しているとされ、注目された。ブッシュ政権とブレア政権は、この問題が根拠もメリットもない「でっち上げ」であり、そのような兵器が存在しないことを知っていたのである。1991年の湾岸戦争後に課された、残忍な制裁を続けることによって、フセインの兵器開発計画が破綻したことは紛れもない事実である。

要するに、西側の二人の「リーダー」は嘘の網にかかったのだが、300人委員会の力とタヴィストックの洗脳力によって、少なくとも100万人のイラク人と2000人以上のアメリカ軍兵士が死に、2599人の負傷し(ロシアのGRU軍事情報部の数字)、そのうち53%が身体障害者となり、2005年10月の時点で金額にして5500億ドルを超える費用がかかったことは周知の事実であるが、彼らは政権を維持し大統領の職に留まったのである。

イラク人の死者数は、湾岸戦争での死者数の合計であり、その大半は、国連に隠れて英米政府が行った犯罪的制裁の結果、食料、清潔な水、医薬品の不足から死亡した民間人で占められていたのです。


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イラクに制裁を加えた国連は、その(国連)憲章に違反し、それ以降、信頼性を欠いた機能不全の制度、無能力な機関となった。

最高権力者の地位にある人間(男 man)が、嘘つきで詐欺師であることが証明されたにもかかわらず、何の汚点もなかったかのように権力の座に留まることができたという歴史上の類似例はない。このような状況は、アメリカ国民(American)にタヴィストック研究所の「長期的に浸透させて内面を条件付ける」治療の力(取り扱い、待遇力、処理力)を示しており、彼らは、決して怒りに任せて街頭に出ることもなく、このような過酷(退屈)で恐怖に満ちた(無味乾燥な)状況をおとなしく受け入れてしまうのである。

ヘンリー・フォードは、「国民は自分たちが手に入れた政府にふさわしい」と言っただろうか。もし国民が、合衆国憲法に基づくアメリカ国民(American)の権利として、政府を権力から排除し、公職から追い出するために何もしなければ、嘘つきと詐欺師が国家と人生(国民の生活)を牛耳っているのは当然のことです。

一方、アメリカ国民(American)は、かつてタヴィストックの上級精神科医であったフレッド・エメリー博士が「社会環境の激変/乱れ」と表現した3つのフェーズのいずれかを経験しているのかもしれない。エメリーによれば、「大きな集団は、劇的な社会的変化、ストレス、乱気流のような激変の状況下にさらされると、次のような症状を呈し、それらは明確に分類することができる」のである。

表層性~表面的には、脅かされた集団が、理想的なものとして見せかけようとする浅薄なスローガンを採用することで反応するときに現れる状態である。

エメリー氏が述べたように、「危機の原因が分離・特定されていない」ため、「自我の投資」はほとんど行われず、第一段階は「不適応な反応」になってしまうのである。


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そして、危機と緊張は緩和され収まることなく、支配者(コントローラー)が望む限り続くのである。危機対応の第二段階は(危機が続いているので)、「断片化」(分断化)と呼ばれる状態である。パニックに陥り、「社会のまとまり[結束]」が崩れて、非常に小さなグループが形成され、他の小さく分断されたグループへの出費やコストをほとんど気にせずに危機から身を守ろうとする結果、このような状態に陥るのである。この段階をエメリーは「消極的[受動的]不適応」と呼んでいるが、それでも危機の原因を特定することはできないままである。

第三の段階は、被害者が、誘発された危機とその結果生じる緊張の根本原因から目をそらすことである。彼らは、「内部移住、内省、自己の幻想への執着の旅」をする。これがタヴィストックの言う 「解離と自己実現」です。エメリーはさらに、「受動的な不適応反応」が「能動的な不適応反応」と組み合わされるようになったと説明しています。

エメリーは、この50年間、応用社会心理学の実験とその結果による「危機管理」がアメリカ(America)の生活のあらゆる側面を支配し、その結果はスタンフォード大学などの主要な「シンクタンク」のコンピュータに蓄積されてきたと指摘する。これらのシナリオは随時取り出され、使用され、修正され、タヴィストックによれば、「シナリオは現在も運用されている」ということです。

つまり、タヴィストックはアメリカ国民(American)の大半をプロファイリング(解剖)し、洗脳しているのである。もし、アメリカ国民(American)の誰かが、過去70年間にこの国を襲った危機の原因を特定し突き止めることができれば、タヴィストックによって構築された社会工学的構造は崩れ去ることだろう。しかし、それはまだ起こっていないのです。タヴィストックは、自らが作り出した世論の海でアメリカ国民(American)を溺れさせ続けているのです。


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タヴィストックの社会科学者が開発した社会工学は、今世紀の二つの世界大戦、特に第一次世界大戦で武器として使われました。この社会工学技術を開発した世論調査員は、敵国の国民に対して実験されたのと同じ仕掛けと方法をアメリカの国民に使ったことを、非常に率直に語っている。

今日、世論調査による世論操作は、タヴィストックと米国と英国の各地にあるその「シンクタンク」に雇われた社会科学者の社会工学者や統制者にとって、中心的な技術となっている。


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第5章
H.G.ウェルズが言うところの 「見えない政府」があるのだろうか?

以前にも紹介したように、大衆の意見を操作する高度な世論操作技術による世論形成の近代的な科学は、イギリス(Britain)のウェリントン・ハウスにある西洋で最も進んだプロパガンダ工場の一つで始まったのである。第一次世界大戦が始まった頃、この社会工学と世論形成のための施設は、ロスミア卿とノースクリフ卿、そして後に王立国際問題研究所(RIIA)の研究部長となるアーノルド・トインビーが中心となって運営されていた。ウェリントン・ハウスには、ウォルター・リップマンとエドワード・バーネイズが所属するアメリカン・セクションがあり、最も著名なメンバーであった。後に分かったことだが、バーネイズはフロイトの甥であり、その事実は慎重に隠されていたのだ。

彼らは共に、ドイツとの戦争に反対する大勢の人々の間で、第一次世界大戦への支持を「動員」するための技術的手法を中心的に考えた。ドイツはイギリス(British)国民の味方であり、敵ではない、イギリス(British)国民はドイツと戦う必要はない、というのが世間の認識であった。なにしろ、ヴィクトリア女王はカイザー・ヴィルヘルム2世のいとこであったというのだから。トインビー、リップマン、バーネイズは、戦争が必要であると説得するために、通信メディアを通じた大衆操作という新しい科学の技術を駆使し、アングロ・ボーア戦争(1899-1902 英米ボーア戦争)で多くの経験を積み、ちょうど物事の軌道に乗っていたため嘘をつくことをいとわずに、戦争の必要性を説得することに懸命に取り組みました。

出来事に対する認識を変えなければならなかったのは、イギリス(British)国民の事象に対する見方だけでなく、不誠実なアメリカ国民(American)も同じだった。


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この最終的な目的を達成する(to this end 末端の四分の一を区別する)ために、バーネイズとリップマンはウッドロウ・ウィルソンにクリール委員会を設立させるのに尽力し、成功するプロパガンダの普及と「正しい」意見を確保するための世論調査の科学のための最初の方法論の技術体系を作り上げたのである。

当初からこれらの技術は、世論調査[投票](世論形成)が、一つの明白(道にいることが多く、邪魔をして目立つ~向かう道がハッキリしている)な、しかし顕著な特徴に基づくように、その技法が設計されていました:ー それは科学的プロセスの(間[下]に立った)解明・理解ではなく、人々の意見に関わるものであるように(混ぜ合わせ、振るい分け、共に関わったことと思わせるように)設計されていた。このように、世論調査担当者は意図的に、心の中の本質的に非合理な要素を大衆の関心の的となるレベルにまで高めてしまったのです。これは、ますます複雑化する産業社会の中で、一般の人々の現実把握を弱体化させるための(共に、すべて[善悪の区別]を自覚し、よく知った上での)意識的・意図的な決定であった。

もしあなたが「Fox News」を見ていて、視聴者に「アメリカ人は何を考えているか」という世論調査の結果が伝えられ、その結果が自分の思考回路[思考過程]をどのように反映しているのかと、次の瞬間、頭を抱えた経験があるなら、これまで以上にパズルってる~混み入っているため理解や回答にさんざん苦しんできたはずである。

Fox Newsと世論調査を理解する鍵は、このような問題について述べたリップマンの考え方にあるのかもしれない。リップマンは1922年に出版した『世論《民意》』(Public Opinion)という本の中で、タヴィストックの心理戦の方法論について概説している。

リップマンは「人間の頭の中の絵(外側の世界と頭[心]の中で描かれた[塗られた]もの)」という序章で、「社会世論の分析者にとっての研究対象は、その現実に対する内的な認識[感じ方の違い、認識のずれ]やイメージ[模倣したもの、類似物、偶像]によって[限界・境界を定め]定義・特徴づけされた現実[描写の迫真性にあるの]である」と強調している。世論が扱うのは、間接的で、目に見えない、不可解で、何も明らかでない事実を扱う。世論が言及する状況は、意見としてのみ言及される」。


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これらの「人間の頭の中の絵」とは、自分自身、他人、必要性[強制(力)]、前に置く提案[目的]、(もとへ運ぶ2つ以上の物・事を結び付ける、その)関係に対する見方と人間関係[恋愛・性的な関係]などの頭の中の絵、その関係性が、彼らが考え判断する公的な意見・世論なのです。これらの絵は、人々の集団によって、あるいは集団の名において行動する個人によって、大文字(=首都で、計画を遅らせ妨害する人たちに疲れ追い出すべく)(頭の、頭に関する資本家階級の長を第一とする学問・知識)で書かれたパブリック・オピニオン(世論)である。その内なる絵は、外の世界との取引において、しばしば人を惑わせ、付き合い方を誤らせることが多いのです」。

この評価から、バーネイズが行った次の決定的なステップ、つまり、社会を支配するエリートは、マス・コミュニケーションという道具を利用して、「群衆」の心を動かし変えることができし、そして実際にそうしているということを容易に理解することができるだろう。

リップマンの本が出版された翌年、バーネイズは「世論の結晶」を著した。1928年には、『プロパガンダ』と題した本を出版している:

第1章「カオスの組織化」の中でバーネイズはこう書いている:

大衆のもつ秩序、組織、習慣や意見を、意識的、知的に操作することは、民主主義社会における重要な要素である。この目に見えない社会の仕組みを操る者たちが、目に見えない政府を構成し、それがわが国の真の支配力となっているのである。

私たちは、ほとんど聞いたこともないような人たちによって、支配され、心が形成され、嗜好が形成され、アイデアが提案される......。多くの場合、私たちの目に見えない統治者[ガバナー、知事、(昔の植民地の)総督、支配[統治]者、長官、理事長、管理者、代表者、会長、所長、頭取、総裁、おやじ、父親、親方、雇い主]たちは、多くの場合、内閣[キャビネット、大統領の顧問団]の中にいる仲間の身元や正体を知りません。

このような状況に対してどのような態度をとるかは別にして、政治やビジネスの領域であろうと、私たちの日常生活のほとんどすべての行為において、このような事実があることに変わりはない。


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私たちは、社会的指導者(上流階級の仲間の集まりを共に導く者)や倫理的思考(ある社会・職業集団の道義にかなうよう自分に見えるよう思い描いた処方箋)において、大衆の精神的過程や社会的パターンを熟知する比較的少数の人々ー1億2000万人の中のほんの一握りの人ー 人々によって支配されているのである。 大衆の心を支配する糸を引くのも、古い社会的な力を利用し、世界を縛り導き指示する新しい方法を考案しているのも、彼らなのです。

バーネイズは『プロパガンダ』の中で、「見えない政府」への賞賛に続いて、プロパガンダ技術が辿るであろう次の段階(の重要性)を力説している。

文明が高度化し、より複雑になり、目に見えない政府の必要性がますます明らかになるにつれて、意見[世論]を統制・規制するための技術的手段が発明され開発されてきた。印刷機、新聞、電話、電信、ラジオ、飛行機によって、思想(idea)は急速に、しかも瞬時にアメリカ(America)全土に広がることができる。

バーネイズは、その主張を裏付けるために、「意見操作」の師匠であるH・G・ウェルズの言葉を引用している。彼は、 ウェルズが「現代のコミュニケーション手段」が「政治プロセスの新しい世界を切り開き」、「共通のデザイン」を「倒錯と裏切りに対して記録され維持される」ことを可能にしたと歓迎する1928年のニューヨーク・タイムズ紙の記事を引用している。ウェルズにとって、テレビにつながる「マス・コミュニケーション」の出現は、イギリス(British)フェビアン協会の大衆操作の狂信者たちの想像を超えた、夢見た以上のすばらしい社会支配の新しい道を意味していたのである。この極めて重要なテーマについては、後ほどまた触れることにしよう。


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第 6 章
マス・コミュニケーションは世論調査[投票操作]産業の草分け

バーネイズは、ウェルズの考えを理解したことで、アメリカ(U.S.)の世論統制のヒエラルキーに重要な位置を占めることになった;1929年、彼は、ウィリアム・ペイリーが買収したばかりのCBSで職を得ました。

同様に、マス・コミュニケーションの出現は、メディア・マフィア(舞台裏からショーを運営する「見えない政府」の一部)のために大衆の認識を整理するための世論調査/サンプリング産業の到来を告げ、大衆の意見を組織化することになったのである。

1935年から36年にかけて、世論調査が本格化した。同年、エルモ・ローパーが『フォーチュン』誌上で(上から見る)アンケート調査[世論調査]を始め、それが後に『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙の「人々が考えていること」(What People Are Thinking)欄へと発展していった。

ジョージ・ギャラップは、アメリカ(American)世論研究所を設立し、1936年にはイギリス世論研究所を開設した。ギャラップはプリンストン大学に活動の本部を置き、ハドレー・カントリルが運営する世論調査室/国際社会調査研究所/心理学部の諸機関と密接に連携して活動した。彼は、後に「水瓶座の陰謀」(Aquarian Conspiracy)の策定に使われた心理プロファイリング法(精神分析手法)の開発でますます重要な役割を果たすことになった人物である。

同じ1935年から1936年にかけては、ミネアポリス・スター・トリビューン紙とデモイン・レジスター紙というカウルズ一族が所有する二つの新聞社の働きかけで、大統領選挙に初めて世論調査(polling)が使われるようになった。カウレス家は、今も報道関係の仕事をしている。


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ワシントン州スポケーンに拠点を置く彼らは、積極的な世論形成に影響力を持つ誘導工作員(opinion makers)であり、ブッシュのイラク戦争への支持は決定的なものであった。

「大統領補佐官」という慣行を誰が導入したのかは定かではない ー 国民によって選ばれたわけでもなく、国民が吟味し、選別する機会もない人たちが、国の内外の外交政策を決定するのである。アメリカ(American)の大統領では、ウッドロウ・ウィルソンが初めてこの方式を採用した。

世論調査と第二次世界大戦

これらはすべて、次の段階への小さな前触れであった。それは、移民した心理戦の専門家クルト・レヴィンがアイオワに来たことと、アメリカ(United States)が第二次世界大戦に参戦したことという、二つの重要な交錯した展開が引き金となったものであった。

第二次世界大戦は、新興のタヴィストック社会科学の科学者に、実験のための膨大な範囲を提供しました。レヴィンのリーダーシップのもと、第二次世界大戦後に配備された主要な部隊が、戦争下で開発されたこれらの技術をアメリカ(United States)の住民に対しても適用するためにまとめられたのです。実際、1946年にタヴィストックはアメリカ(United States)の民間人に対して宣戦布告し、それ以来ずっと、戦争状態が続いている。

レヴィン、ウェルズ、バーネイズ、リップマンが明確にした基本概念は、今でも世論操作の指針となっている。戦争は、社会科学者にそれらを高度に濃縮した形で適用する機会を与え、彼らの実験の目的を推進するために、多くの機関・組織を彼らの指揮下に集めたのである。


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「世論」(public opinion 人をかつぐ乗り物=マスコミ界)を形成する手段・道具として、中核的な機関[研究所]は、国民道徳委員会であった。表向きは戦争への支持を集めるため、ちょうどウィルソン大統領が第一次世界大戦の「管理」(manage)するために管理委員会を設置したように、その真の目的は、社会統制手段を構築し維持する目的で、「枢軸国」《日本・ドイツ・イタリア枢軸[同盟]国》(Axis)とアメリカ国民(Americans)の両方を集中的に、綿密な分析(プロファイリング)を行うことであった。

この委員会には、ロバート・P・バス、ハーバート・ベイアード・スウォープなど、著名なアメリカ(American)社会のリーダー的人物たちによって率いられた。この委員会の事務局長は、マーガレット・ミードの夫で、CIAの悪名高いLSD実験「MK - Ultra」サイケデリック(迷幻剤~強力な幻覚剤によってもたらされる幻覚や恍惚状態)実験の主要な推進者の一人であるグレゴリー・ベイトソンであったが、この実験が、ドラッグ、ロック、セックスといったアメリカ(U.S.)の反体制文化「カウンターカルチャー」[社会で通常受け入れられている行動や芸術などに反対する人々の芸術(つなぎ合わせる技術)、信念、行動]を主張する若者たちが集団化する発端となったと考える専門家もいるくらいだ。

委員会の評議員には、世論調査員のジョージ・ギャラップ、諜報員のラディスラス・ファラゴ、タヴィストック心理学者のガードナー・マーフィーらが名を連ねた。

委員会は多くの特別プロジェクトを実施したが、その中でも最も重要だったのは、ドイツに心理戦を仕掛けるにはどうすればよいかという大規模な研究であった。オピニオンプロジェクト[世論分析調査誘導計画]の展開に欠かせないキーパーソンは、次のような人々であった:

クルト・レヴィン教授(教育・歴史、心理学、社会科学)
ゴードン・W・オールポート教授(心理学)
エドウィン・G・ボーリン教授(心理学)
ハドレー・カントリル教授(心理学)
ロナルド・リピット(社会科学)
マーガレット・ミード (人類学、社会科学; 青少年・児童発達論)


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委員会のスタッフを構成する100人以上の研究者と、このプロジェクトに欠かせない重要ないくつかの世論分析(opinion- profiling)機関があった。

そのような特別プロジェクトチームのひとつが、戦略事業局(OSS)(CIAの前身)であり、マーガレット・ミード、クルト・レヴィン、ロナルド・リピット、ドーウィン・カートライト、ジョン・K・フレンチ、サミュエル・ストゥファー(後に会長)などの世論形成者(ご意見番)たちから構成されていた。フランス、サミュエル・ストゥファー(後にハーバード大学社会関係研究所の会長に就任)、コロンビア大学社会学部のポール・ラザースフェルドはプロファイラー、ハロルド・ラズウェルとともに敵国の現地報道機関の詳細な「内容分析」に基づいたOSSのための「世論調査」方法を開発し、レンシス・リケールもその一人である。

リカートは、戦争直前までプルデンシャル保険会社の要職にあり、生命保険代理店経営者協会の調査部長としてプロファイリングの技術[分析技術]を完成させていた。そのため、プルデンシャル生命保険会社の元社長であるアメリカ戦略爆撃調査団の団長と好意的に接することができるようになった。リカートは1945年から1946年まで戦略爆撃調査団のモラル部門長を務め、大衆の意見を分析し、操作するための大きな影響力を持つ立場にあった。


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第7章
人をかつぐ乗り物~世論を作り出し、
民意を動かすマスコミの世論形成について

タヴィストック研究所の記録によると、戦略爆撃調査は、ドイツ人労働者の住居を組織的に爆撃するという非常に統制のとれたプログラムによって、ドイツを屈服させるという重要な役割を果たしたが、イギリス空軍(RAF [Royal Air Force 王立空軍])のアーサー・ハリス卿は、喜んで実行に移した。

さらに、1939年から1945年にかけて、リッカートは農務省のプログラム調査部門を運営し、そこから「集団説得」(大衆説得)の技術[手法]に関する主要な研究が行われました。別の言い方をすれば、「望ましい目標に合うように世論を作る」ということです。 「連合軍」の戦争遂行への支持が自分の意見から生まれたと信じていた市民の数については、推測するしかありません。

この部門におけるリッカートの重要な補佐官の 1 人は、レヴィンの弟子であり、後にタヴィストックの工作員であるドーウィン カートライトであり、彼は今日でも使用されている「大衆説得のいくつかの原則」(Some Principles of Mass Persuasion)というタイトルのテキスト文書を書きました。

世論を形成するためのもう 1 つの主要な機関は、戦争情報局であり、ガードナー コウルズが戦争努力の多くを指揮していました。 Bernays はアドバイザーとして OWI に参加しました。 第二次世界大戦後に主要な「世論調査機関」のネットワークが出現したのは、ここで説明した関連性(nexus)から外れています。 それ以来、彼らはアメリカの生活において強力かつ決定的な役割を果たしてきました。 国家士気評議会の委員会からのギャラップ世論調査(Gallup poll)は、彼の活動をアップグレードし、300人委員会の新しい政策を開始するための投票機関の主要な司令官になり、それを「世論調査結果[投票結果]として伝えました。


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(広報の父)バーネイズは、戦後のいくつかの重要な役割を果たしました。 1953年、彼は国務省に向けて論文を書き、国による心理戦局の設置を推奨しました。 1954 年、彼は戦略爆撃調査の人々の影響を最も受けている軍隊部門である米空軍(U.S. Air Force)のコンサルタントでした。

バーネイズは、1950年代初頭、アイゼンハワーの「軍産複合体」である通信・国家安全保障機構の主要企業の 1 つである、ユナイテッド・フルーツ(ユナイテッド・ブランド)社の広報顧問として、アメリカ(U.S.)の(軍事・経済・成長)政策[方針・戦略](policy)に対する権力強化に躍起になっていた。

バーネイズは、グアテマラが「共産主義[者]の支配下」(Communist control)にあるとするプロパガンダ・キャンペーンを行い、その結果、その国でアメリカが工作したクーデターを引き起こしました。1955年、バーネイズは自身の経験について「同意の工学[合意形成の技術]」(The Engineering of Consent)というタイトルの本を書いた。

この本は、仮想のタヴィストックの青写真となり、その後、米国(U.S.)政府は、ワンワールド政府の社会主義独裁政権に受け入れられない政策を行う国を打倒・転覆させました。

戦後を通じて、バーネイズは、アメリカ(U.S.)国内のマーガレット・ミードの社会統制機関の一つである応用人類学協会や、タヴィストックの創設メンバーであるジョン・ローリング・リースがアメリカ国民に「精神ショック部隊」を運営するために作った「社会問題の心理学研究協会」のメンバーであった。

その最初の行動の一つが、フロリダ州での同性愛を抑制・根絶[解禁](unlashing 縄から解く、ムチ打つことから解放する、激しい非難・侮辱をやめる、たっぷりの飲食物でへべれけな酔いから覚める)することであった。この動きで、彼女(マーガレット・ミード)が何に反対しているのかわからなかったアニタ・ブライアントによって激しく反発されました。


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その行動の 2 つ目は、「非白人は白人よりも知性が高い(知的である)」というテーマを導入することでした。これについては後述します。

リッカートはミシガン大学に移り、戦後間もないころに米国(U.S.)におけるタヴィストックの主要な関連団体であったマサチューセッツ集団力学研究(Study of Group Dynamics)センターを吸収して、社会調査研究所 (ISR) を設立しました。

タヴィストックのISR(研究所)は、多くの重要な批判的プロファイリングの中心であり、「科学的知識の利用に関する研究センター」を含む「オピニオン リサーチ」サブグループは、リッカート OSS の同僚であり、レヴィンの弟子であるロナルド・リピットによって設立されました。

プロジェクト・ディレクターのドナルド・マイケルはローマクラブの主要人物であり、第二のサブグループであるサーベイ・リサーチ・センターはリカートの考案の私設組織で、大衆の態度や傾向を「調査」(創造)する米国で最も精巧な組織に発展していきました。その主要テーマは、レヴィンの入念に作られた台本に従い、女性らしさを侮辱し、品位を傷つけ、非白人の優れた知的能力を推進することであった。

ロバート・ハッチンズはこの時期に有名になったが,その初期のころの最も親しい同僚はウィリアム・ベントンでした。ウィリアム・ベントンは、有名な広告会社であるベントン・アンド・ボウルズのチェスター・ボウルズと共に 1929 年に創設されました。ベントンは、ベントンとボウルズを広告による大衆支配の科学を発展させる手段として利用した。ダグラス・ケーターに支援されたベントンの先駆的な仕事は、社会主義者のワンワールド政府300委員会のアメリカの本拠地であるコロラド州のアスペン研究所を通じて、タヴィストックのアメリカのメディア政策に対する急速な支配権の発展・拡大につながったのである。

ちなみに、広告によるマスメディア・コントロールの科学は、今日ではすっかり定着し、オピニオン・メイキング(世論形成)の重要な要素になっていることを一応述べておく。第二次世界大戦後の初期には、ハリウッドはほぼすべての映画にこれを取り入れたのです。

広告(洗脳)は、主人公が運転する車の種類やメーカー、ローレンス・ハーヴェイが吸う上品なタバコのブランド、主役の女性が着ていた服とメイクアップ、年を追うごとにきわどく危険度が増した服を通じて行われました。2005年には、ブリトニー・スピアーのほとんど裸の胸や、彼女がよくはく股間にぴったりと食い込んだジーンズで露出した腹など、女性らしさが劣化しており、それはハリウッドが規則・慣習などを故意に逆らう(公然と無視する)ことで楽しそうに社会風俗習慣を送っているようなものだ。


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第8章
女性を劣化させ、道徳的基準[士気]の低下を引き起こす

ヘムラインが膝に達して以来、女性らしさの低下、女性の品格を落とすペースが著しく速くなっています. これは、主流の映画や(もともと石鹸メーカーが後援していた)メロドラマ(soap operas)のポルノに近い領域(シーン)で現れており、そのようなシーンが「完全かつ必須」になる日がそう遠くないことを示唆しています。

このような、魅力的な女性のスピーチの(speech)の減少は、タヴィストックの方法論とその実践者であるキャントリル、リッカート、レヴィンに起因するものである。もうひとつの顕著な変化は、異人種間の交際(デート)や性的な出会いをフィーチャーした映画の増加であり、最も露骨にオープンな形でレズビアンに対する「人権」(human rights)の主張が組み合わされたことです。

この任務のために特別な人たちが選ばれ、訓練されました。おそらく最もよく知られているのはエレン・デジェネレスでしょう。エレン・デジェネレスは、トークショーや「(同じことをテーマにした)ディスカッション」グループで、一種の性行為を伴う女性同士の出会いを意味する「同性愛」(same-sex love)というテーマでインタビューを受けると称して、数十万ドル相当の無料宣伝を受け取ったことで知られている。

女性性を貶めることのパイオニアであるベントンは、タヴィストック研究所でプロファイリング理論の社会科学者の第一人者であるハロルド・ラスウェルを師と仰ぎ、彼はベントンと共に1940年にアメリカ(American)政策委員会を創設した。ラスウェルとベントンの共同事業は、アスペンのアメリカ(America)における隠された社会主義的な「一つの世界政府」の活動と、タヴィストック研究所との明確なつながりを示すものであった。アスペンは、300人委員会アメリカ(United States)支部の本拠地[総本山]となった。


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ハドレー・キャントリル、リッカート、レヴィンは、人間性心理学を応用した洗脳の方法論で、「意見調査」(opinion research)を用いて、先に述べたようなパラダイムシフト、価値のシフト転換を社会にもたらす上でますます重要な役割を果たしたが、その範囲は拡大され、数世紀にわたって知られてきた西洋文明を構成する社会のあらゆる(知的・道徳的な)レベル(社会的・権限上の特定の地位の一群の人々)に及んでいたのだ。

キャントリルの本拠地は、1940年に設立されたプリンストン大学の世論調査室であり、そこでアメリカ国民に対する戦争工作を行った。その同じ年に、キャントリルが執筆した『火星からの侵略』は、1938年に放送されたオーソン・ウェルズの『宇宙戦争』に対して、ニューヨーク、ニュージャージー地域の人々がどのように恐怖とパニックに反応したかを詳細に分析した本です。

そのような人たちは、自分たちの会社がプロファイリング事業の一翼を担っていることを知る由もない。1938年には、500万人に1人もハドレー・キャントリルやタヴィストック研究所のことを知らなかったと結論づけるのが妥当であろう。2005年の今、何人のアメリカ人(Americans)がタヴィストック研究所のことを耳にしたことがあるのか、興味深いところである。

オーソン・ウェルズを覚えている人は多いだろうが、99%の人はキャントリルという名前に何の意味も持たず、タヴィストック研究所についての知識も全く持っていないだろう。

1938年10月30日の夜の出来事を振り返ってみましょう。同じ手法が、2003年のイラク侵攻に至る出来事について国民の認識を形成するためにブッシュ政権、国防省、CIAによって使われ、2005年の現在も非常に多く活用されているからである。


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1938年、オーソン・ウェルズは、元MI6工作員であるイギリス(English)の作家H.G.ウェルズと彼の著書『宇宙戦争』を利用して、フェイク・ニュース・イベントを演出する達人としての名声を確立しました。

ウェルズ作品のラジオ化では、もう一人のウェルズがニュージャージーのラジオ番組に割り込んで、火星人が上陸したとのアナウンスを流した。「火星人の侵略が始まったのだ」とオーソン・ウェルズは言った。

4 時間に及ぶ本番の中で、ラジオの視聴者が聞いていたのは、「このラジオは、H・G・ウェルズの物語が現実になったらどうなるかを再現した架空の作品である」ことが 4 回以上発表されました。 しかし、それは何の役にも立ちませんでした。 パニックに陥った何百万人もの人々が恐怖で家から逃げ出し、道路や通信システムを麻痺させました。

この「デマ」の目的は何だったのだろうか。それは、まずキャントリルやタヴィストックの手法が実際にどの程度有効であるかを測るためであり、さらに重要なことは、来るべきヨーロッパ戦争において、「ニュース放送」が世論誘導の場として情報収集と発信に重要な役割を果たす、信頼できる情報源としての舞台装置を整え、準備するためでもあったのだろう。

「火星侵略のニュース放送」の2日後、『ニューヨーク・タイムズ』紙の「ラジオによる恐怖」と題する社説は、今や迫り来る戦争でタヴィストックがアメリカ人のために何を考えていたのかをうっかり明らかにしてしまいました。「娯楽として始めたことが、災難につながる可能性もある」と、社説は言う。ラジオ局には責任があり、「ニュースの技術と恐ろしいフィクションを混ぜ合わせる前に、よく考えるべきだ」と。


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このように『タイムズ』は、タヴィストックの理論家たちの目から見た近未来のうねりに、偶然にも出くわしてしまったのである。それ以降、タヴィストックの出身者たちにとっては、「ニュースのテクニックと、事実と受け取られるほど恐ろしいフィクションを混ぜ合わせる」ことが標準的な手法となる。すべてのニュース放送は、「ニュースとフィクション」を巧みに融合させ、一方を他方から認識[区別]できないようにしたものでなければならなかった。

実際、タヴィストックは、新たに検証した理論を1年後に実践した。ネヴィル・チェンバレンが戦争回避に成功していたにもかかわらず、ヨーロッパの都市、ロンドン、ミュンヘン、パリ、アムステルダムの都市の人々が戦争の不安に襲われた1年後に、新たにテストされた理論を実践し、1938年10月の「世界大戦」ラジオ放送と同じ手法によって戦争に対する不安感におびえていたのである


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第9章
事実とフィクションの混ぜ合わせることで、
個人と集団はどう反応するのか。

キャントリルの結論は、彼のプロファイリング研究実験が、そう信じさせたのとまったく同じように大衆が反応したということでした。1938年10月30日の日曜日の夜は、彼の(磨き上げた)仕事の仕上げの上で(記録ファイル[糸]にとって)画期的な日となり、今後「ニュース」が提示される方法で永遠に大きなパラダイムシフトが起こることを意味する日となったのです。70年余り経った今でも、世界はフィクションを織り交ぜたニュースに踊らされています - 多くの場合、フィクションは恐ろしいものです。西側世界は、不本意ながら劇的な変化を強制され、急激な変化を経験し、1938年の10月の夜とは全く異なる、「別の惑星」のような世界になってしまったのである。この重要な主題については、この作業の後半で取り上げます。

第二次世界大戦後、キャントリルはタビストックのカリスマ指導者のトップ(首席教祖 head guru)、その創設者のジョン・ローリングス・リース、そして国連のユネスコでの「世界緊張プロジェクト」に全面的に関与するようになりました。

個人がどのように行動しているかについてのプロファイル(個人情報の取り扱いについて)を、グループごとに情報を集約し、国際的な緊張に対応するために、事実と恐ろしいフィクションを巧みに混ぜ合わされる[世論が形成される]中で、個人や団体がどう反応したのか、また、それにどう対応[雇用]すべきかというプロファイル[輪郭を描くこと]は、「世界市民」キャンペーンに向けた準備として 、(ワンワールド政府(One World Government)社会主義-共産党独裁) 運動の開始に備え、国境を弱めたり、言語や文化、民族の誇りや国家の主権を否定するために利用され始めたのです。新しい社会主義世界秩序(the Socialist New World Order)の到来に備え - 一つの世界政府(One World Government)の実現のために、ウッドロウ・ウィルソン大統領が、アメリカ(America)は「民主主義」を安全にする、「民主主義」によって安全な社会を確保する[保証する]と発言したことがきっかけでした。


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アーカンソー州とノースカロライナ州からやってきた新顔の若いアメリカ(American)の少年たちは、「国のために戦っている」と信じてヨーロッパに進軍させられた。ウィルソンが「世界のために安全を確保する」ためと熱狂させた「民主主義」が、社会主義者(社会党員)- 国際的な共産主義者(共産党員)の世界統一政府の独裁政権によるものであることを知らずに送り出されたのです。

ジョン・ローリングス・リースは、タヴィストックの雑誌「人間性心理学ジャーナル」(Journal of Humanistic Psychology)の発行者でした。彼らの共同の思考方法[心的傾向、知力の程度]は、1955年のモノグラフ「人間性心理学に向けて」(Toward a Humanistic Psychology)に見られる。これは、タヴィストックで訓練されたゴードン・エアポートの「人格[個性]」(personality)の認識に対するキャントリルの支援の進展として見られます。彼が1947年の著書『人間の社会的行動を理解する』(Understanding Man's Social Behavior)の「因果関係」の章でそれを表現したように、キャントリルの方法論は、「成長が起こる特定の環境は、特定の個人に成長のための特定の方向性を与える」という概念に基づいていました。

キャントリルの試みは、本来中立的であるべき意見表明と、(上流社会による抜け目のない巧みな処理[工作]・策略による、人をだます『社会工学』)ソーシャル・エンジニアリングによる意見形成の境界が、崩壊している好例といえるでしょう;

タヴィストックのコミットメント(遂行・犯行)は、私たちが説明しようと努めたように、対象となる集団のあらゆる部門(sectors)において、人格[性格]と行動の大きな変化を強制するよう、群をなします集団をまとめ、分類することに尽力しています。

キャントリルは、この作業を支援するために理事会を設置した:

 ウォーレン・ベニスは、タヴィストック社会調査研究所の創設者の一人であるエリック・トリストの後継者[信奉者]である。

 マリリン・ファーガソンは、伝えられるところでは、『水瓶座の陰謀』(アクエリアン・コンスピラシー)の著者とされる;

 ジーン・ヒューストンは、脳研究所の所長、ローマクラブのメンバー、『マインド・ゲーム』の著者。


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 オルダスハクスリーは、20年間続いたMK-Ultra LSDプログラム(自殺をした被験者あり!?洗脳実験MKウルトラ計画[LSDなどによる薬物実験])を監修した。

 ウィルス・W・ハーマンは、スタンフォード大学のディレクターであり、後にマリリン・ファーガソンの作品と見せかけた『水瓶座の陰謀』(The Aquarian Conspiracy)の指導者であった。

 ジェームズ・ブゲンタルは、ハクスリーらが「感性教育」と「薬物実験」のセンターとして設立したエサレン研究所[エレサン協会]でのカルト作成プロジェクトの創始者。

 アブラハム・マズローは、非合理主義(19 世紀初頭に出現した哲学的運動~論理性の欠如?分別のない不合理な思考?)「シンク・フォース」(思考力)の代表的な提唱者であり、1957年にAHPを創設した。

 カール・ロジャースは、1957 年に AHP でマズローの同僚だった。


AHPの支配的なイデオロギーは、1966年に刊行された機関誌『人間性心理学誌』(The Journal of Humanistic Psychology)の書評によって例証されました。

マズローの著書「科学の心理学」(The Psychology of Science)をレビューして、ウィリス・ハーマンは、1967-69年のスタンフォード研究研究の1年前に、「超感覚的知覚、サイコキネシス、神秘主義、意識拡張薬」(特にLSDとメサカリン)からの「科学への挑戦」(challenge to science)を歓迎しました。彼は、マズローの「新しい科学」(new science)が「催眠術、創造性、超心理学、サイケデリックな経験」を前面に押し出し、科学的関心を「外」(outside)の世界から「内部空間」(inner space)の研究に移すため、賞賛しました。

これは、キャントリル独自の「特殊人格」思想の論理的帰結であった。キャントリルは、西洋世界の思考と行動のあり方に大きなパラダイム・シフトをもたらした(強いた)という「栄光と名誉」を手にしたのである。


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(客観的に見ても)確かに、オズワルド・スペングラーが1936年に予言した、西側の崩壊の原因の一つであると特定することに何の問題もなかったでしょう。

「認知・行動構造」(Cognitive and Behavioral Structure)に変化を与えること。

第二次世界大戦後、世論調査機関の科学者に付随するイデオロギーの特殊な色彩が何であれ、「サンプリング法」(sampling methods)と「世論調査」(opinion research)による(抜け目のない巧みな処理[工作]、策略による)社会工学(ソーシャルエンジニアリング social engineering)の不変の概念は、カートライトの論文「大衆説得の諸原則」(Some Principles of Mass Persuasion)で見出すことができ、(上から見渡し、意見・世論などを調査・観察する)「農務省プログラム調査部門[サーベイ](Surveys)」(the Division of Program Surveys of the Department of Agriculture)のために作成されました。

この論文は、「米国戦時国債の売却に関する調査の結果抜粋」という副題が付けられていましたが、カートライトが明らかにしているように、この調査の戦争に関する側面は、「知覚は、支配者が思い描くどんな目的にも合うように修正できる」という原理について分析を行うための単なる口実に過ぎず、コントローラが念頭に置いている可能性のある目的に合わせて変更されています。

戦時国債の発行と農業に何の関係があるのかと戸惑うだろうが、それもカートライトの方法論の一つであった。バーネイズ・リップマン・キャントリル・カートライトの仮説を第二次世界大戦という設定で統合し、濃縮したものだったのです。この論文はタヴィストックの雑誌に掲載されました。この論文は、タヴィストックの雑誌『人間関係』に掲載され、読者の注目を浴びた。

「前世紀の多くの技術的進歩が社会組織に変化をもたらしたが、その中でもマスメディアの発達は、最も広範囲に及ぶことが予想される」と、カートライトは語り始めた。このように人々の相互依存が高まったことは、社会的行動を大量に動員する可能性が大きく高まったことを意味する。


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一人の説得力のある人間が、マスメディアを使って、世界の人々を自分の意志に従わせること(自分の意のままに曲げること)ができると考えられる」。カートライトがこの発言をしたとき、イエス・キリストを念頭に置いていたとは考えられません。

「特定の[具体的な]認知構造を作る」(Creating a Particular Cognitive Structure)という小見出しのもと、カートライトはこう続ける:

原則1:「人の行動は、その人が生きている世界の認識によって導かれるということは、事実上すべての心理学者によって真理とみなされている......。この定式化から、人の行動を変える一つの方法は、その人の認知構造を修正することであることがわかる。マスメディアによって個人の認知構造の修正には、いくつかの前提条件があります。これらは原則という形で述べることができる」。

カートライトは、第二次世界大戦中の戦時国債の売り込みにこの研究の適用から応用した例を交えながら、その原理を詳しく説明した:「メッセージ(The 'message')(情報、事実など)は、影響を受けようとする人の感覚器官に届かなければならない......。すべての刺激的な状況は、その一般的な特徴に対する印象に基づいて選択されたり拒否されたりする」等である。第二の原則は、「認知構造」(cognitive structure)を変化させる方法について、より深く調査し、検討したものである。

原則2:「感覚器官に到達した『メッセージ』(message)は、その人の認知構造の一部として受け入れられなければならない」。カートライトはこの項で、「この認知構造の修正を通じて行動を変えようとするいかなる努力も、現在の構造を維持しようとする傾向にある力力を克服しなければならない」と指摘しています。


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与えられた、ある認知構造が、その人の適応にとって不十分であると思われる場合にのみ、その構造を変えるようにデザインされた影響を容易に受け入れる可能性がある」。

カートライトは、『特殊な動機づけ構造の創造』(Creating a Particular Motivational Structure)の中で、さらに『ワシントンの米国連邦準備制度理事会(U.S. Federal Reserve System)の理事たちが長期に渡って混乱に陥れた社会的誘導』、(the social inductions the governors in Washington into turmoil for a proluctured period)と分析している。


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第10章
成熟した世論調査の時代へ

ロンドンのタヴィストック・クリニックは、ジークムント・フロイトがドイツから渡ってきたときに定住した場所であり、彼の甥であるエドワード・バーネイズが後に法廷を開いた場所でもありました。

したがって、イギリス(England)は集団洗脳、社会工学実験の世界的な中心拠点となり、戦後アメリカ全土(United States)に点在する診療所・臨床施設(クリニック)へと広まっていったのである。

第二次世界大戦中、タヴィストックはイギリス陸軍(British Army)の心理戦局の本部であり、(後にMI6として知られる)イギリス特殊作戦執行部(British Special Operation Executive[SOE])の取り決めを通じて、米軍(United States Armed Forces)に心理戦に関する政策を指示した。

戦争末期には、世界精神衛生連盟とヨーロッパの連合国遠征軍 (SHAEF) の最高司令本部の心理戦部門をタヴィストックの人材が引き継ぎ(乗っ取り)ました。

タヴィストックの主任理論家であるクルト・レヴィン博士は、ハーバード心理クリニック、MITグループダイナミクス研究センター、ミシガン大学社会研究所を組織するために米国に来ました。また、同僚であるカートライトとキャントリルは、戦略事業局(OSS)、海軍研究局ONI)、米国戦略爆撃調査局、および国家士気委員会の心理部門で極めて重要な政策的役割を担うために彼に合流し協力することになった。


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さらに、政策レベルのトップにいる多数の影響力のある人々が、今日まで世界で最も進んだ行動修正・洗脳の手法であるレヴィン博士のトポロジー心理学を学び、訓練を受けていたのである。タヴィストックでクルト・レヴィンの重要な同僚だったエリック・トリスト、ジョン・ローリングス・リース、H・V・ディックス、W・R・ビオン、リチャード・クロスマンに加えて、戦略爆撃調査、国家士気委員会、国防資源評議会の選抜された要員がランド社、スタンフォード研究所、ウォートン・スクール、国立訓練研究所、国立精神衛生研究所でレヴィンと合流しました。

米国政府は、これらすべての機関と数百万ドル規模のプロジェクトの契約を開始しました。40 年以上にわたって、連邦政府は、これらのグループの活動に資金を提供するため、数百億ドルを割り当ててきました; さらに、数百億ドルが民間財団からこれらの機関に投入されている。

年月が経つにつれて、これらの機関は成長し、彼らが契約するプロジェクトの範囲も拡大しました。アメリカ人の精神的および心理的生活のあらゆる側面がプロファイリングされ、記録され、コンピューターのメモリーバンクに保存されました。

機関、人員、ネットワークは拡大を続け、連邦政府、州政府、地方自治体の隅々まで深く浸透しました。その内部の専門家と卒業生は、福祉部門、労働調停委員会、労働組合、空軍、海軍、陸軍、全米教育協会、精神科クリニック、ホワイトハウス、国防総省、国務省などに呼ばれ、政策を立案していた。


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また、中央情報局(CIA)と広範な契約を結んでいます。

これらのシンクタンクと、米国の主要な世論調査機関および主要な大手メディア企業との間には、緊密な協力関係が築かれました。ギャラップ世論調査、ヤンケロビッチ-CBS-ニューヨークタイムズ世論調査、国立世論研究センター(ナショナル・オピニオン・リサーチ・センター)などが、絶え間なくひっきりなしに全人口の心理的プロファイルを実施し、その結果をユビキタス社会心理学者と共有して評価・加工しています。

一般の人々が新聞で世論調査として見ているものは、世論調査業者が引き受けた仕事のほんの一部にすぎません。米国(U.S.)政府の日常業務の主要部門をタヴィストックが支配している鍵は、リチャード・マードックによる買収以来、Fox Newsという事実上の独自のテレビ局を持ち、政府のための事実上、円滑で、途切れることなく、継ぎ目の分からない、一貫して隙のない宣伝マシーン(プロパガンダマシン)と化していることだ。

この緊密に結ばれた社会心理学者、世論調査員、メディア操作者のグループの上には、強力な守護神の精鋭集団、「オリンパスの神々」(300人の委員会)が君臨しているのである。情報通の間では、このグループがロシアと、最近では中国を除く世界のすべてを支配していることが知られている。

それは、長期的な戦略を完全に、規律正しく統制され、統一された方法で計画し、実行に移します。米国のフォーチュン500のトップ企業のうち400社以上を傘下に置いて指揮し、政府、貿易、銀行、外交政策、諜報機関、軍事施設のあらゆる側面に及ぶ連動したコネクションを持っています。


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ロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーグループ、パーキンス、キャボット、ロッジ家の各ファミリーに象徴される東部自由主義体制(東側リベラル派)、数十億ドルを稼いだ旧東インド・アヘン貿易の精鋭たちなど、米国史以前のあらゆる「権力集団」を吸収してしまったのだ。

その階層(ヒエラルキ)は、アヘン貿易で巨万の富を得たイギリス東インド会社の子孫である旧家で構成され、ヨーロッパの王族を含む、最上位階級が取り仕切って運営されています。

ワシントンの諜報機関の奥深くで、ベテランの諜報員はこの恐るべき強力な集団を、声を潜めて謎めいた神秘的な言葉で、「300 人委員会」呼んでいる。指導者たちは「オリンピアン」と呼ばれている。米国の大統領は、彼らの好意・支持を得なければ、選出されたり、その地位を維持することはできません。

彼らの支配コントロールに逆らう人々は排除されます。ジョン・F・ケネディ、リチャード・ニクソン、リンドン・ジョンソンなどがその例である。300人委員会は、新世界秩序を舞台裏から運営する国際社会主義単一世界政府であり、国際共産主義独裁政権として世界の全ての政府を公然と完全に支配する準備が整うまで、その座に留まるでしょう。


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第11章
教育のパラダイムシフト

1970年代には、学校教育(学校のカリキュラム)の劇的なパラダイムシフトが起こり、学生は「読み・書き・算数」の代わりに「公民コース」の単位を取得するようになった。また、「カジュアル・セックス」や「ドラッグ」が流行し、国全体[全米](the entire country)を席巻し、学齢期の10代の若者を中心に熱狂させた。

1980年7月、カナダのトロントで、第1回未来世界会議の後援の下で、すべてのシンクタンクから4,000人のソーシャルエンジニア、サイバネティックスの専門家、未来学者が参加した主要な国際会議が開催されました。この会議は、タヴィストック研究所の億万長者の会長であるモーリス・ストロングの指揮の下、次のテーマを設定しました:

「思考と対話から行動へと移行する時が来ました。この会議は、1980年代に行われる重要な行動の出発点となるでしょう。」

ストロングは、「オリンピアン」のいくつかの「旗艦」(flagship)企業の 1 つであるペトロ カナダの会長でした。彼の経歴(バックグラウンド)は、第二次世界大戦中に大佐の階級を務めた英国諜報機関 MI6 でした。ストロングと彼の企業ネットワークは、非常に儲かるアヘン、ヘロイン、コカインの取引に深く関わっていました。ストロング・ハクスリーとオルダス・ハクスリーは、米国とその後ヨーロッパを席巻した LSD 疫病(ペスト)の責任者でした。彼は国連環境計画の元ディレクターでした。

会議での「オリンピアン」の主な講演者の 1 人は、NATO のシンクタンクであるローマ クラブの会長であるアウレリオ ペッチェイ博士でした。


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北大西洋条約機構 (NATO) は、ウィリス ハーモンの指揮の下、スタンフォード大学の社会科学者によるプロジェクトである「水瓶座の陰謀」の枠組みの中で作成されました。NATOは次に、「ローマ クラブ」と呼ばれる新しい支部を結成し、推進しましたが、この名前は、カトリック教会とは何の関係もなく、取り違えるよう当惑させ、〈本質・感情・思想・計画などを〉隠し、偽り、とぼけられるように設計されているのです。

ローマクラブ(以下、クラブ)の専門的な説明[細目]は省くが、その目的は、アメリカの急成長する製造業と機械化農業による食糧生産能力を停止させることを意図していました。いわゆる「ポスト工業化農業ゼロ成長社会」に対するカウンターウェイト(つり合いを取るための重り)として機能することであった。クラブとNATOのメンバーシップは交換可能であった。

スタンフォード研究所、タヴィストック研究所、その他の応用社会精神医学センターがそれに加わりました。1994 年、タヴィストックはNASAと主要な契約を結び、宇宙計画の効果を評価しました。クラブ自体は、1968 年に世界統一政府内での新世界秩序の呼びかけの一環として設立されたばかりです。クラブが発展したのは、先進国に成長の制限を強制するための手段であり、米国は最初に標的にされた国でした。

これは実際、米国を封建主義の状態、つまり封建社会に戻すという「300」の目標を実現するために取られた最も初期のステップの 1 つでした。クラブが反対した産業界の 1 つは原子力エネルギーであり、電力の供給よりも 1000 年も先を行っていたすべての原子力発電所の建設を中止することに成功しました。NATO は、ロシアを維持し、一列に並べることを意図した軍事同盟でした。


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上記の1980年の会議の議題には、次のようなものがあった:

* 女性解放運動

* 黒人意識(黒意識、大変悪い兆候[状況]、ミルクの入っていない環境)、人種の混在(人種隔離、人種差別)、人類学者マーガレット・ミードとタヴィストックのグレゴリー・ベイトソンが提唱した混血結婚(男女間結婚、男女共同参画、男女交際)に対するタブーを打ち破ること。

* この会議で、「有色人種」を西洋文明の白人よりも優れていると描写するための積極的なプログラムが開始されることが決定されました。このフォーラムから、オプラ・ウィンフリーと、「混血」を白人よりも優れたものとして描写する役割について取り上げられ、訓練された多数の黒人が登場しました。

* また、映画では、黒人の映画スターが急に増え、有名になったこともあった。また、裁判官、FBIや軍の地方長官、大企業のCEOなど、黒人が白人に対して高い権限を持つ立場に置くこともあった。

* 想像上の社会的な過ちに対する若者の反抗。

* ビジネスの社会的責任に対する新たな関心。

* 世代間ギャップは、パラダイムの変化を暗示する。

* 多くの若者の反テクノロジカルへの偏見。

* 同性愛とレズビアンが「正常化」され、「社会のあらゆるレベルで受け入れられる他の人々、2人のレズビアンの「ママ」と変わらない」新しい家族構造の対人関係の実験。

* 「グリーンピース」などの偽の保護・生態系運動の台頭。

* 東洋の宗教的および哲学的視点への関心の高まり。

* 「原理主義者」キリスト教への新たな関心。

* 労働組合は労働環境の質を重視するようになったこと。


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* 瞑想やその他の精神修養(スピリチュアルな分野)への関心の高まり 「カバラ」はキリスト教文化に取って代わり、カバラを教え広めるために特別な人々が選ばれた。初期の選ばれた弟子たちは、シャーリー・マクレーン、ロザンヌ・バー、そして後にはマドンナやデミ・ムーアでした。

* 「自己実現」プロセスの重要性が増していること。

* 「アイス・キューブ」(Ice Cube)などによる音楽「ヒップホップ」「ラップ」の再発明。

* 英語が意味不明なほど(英語が理解できないほど)に切断され変質している新しい言語形態。これは、テレビのゴールデンタイムのニュースリーダーにも引き継がれている。


このような異質な流れは、社会的な激動と広範囲に及ぶ変化という創造的な風潮の出現を意味し、新しい人間像が定着し始め、西洋文明に激変をもたらしたことを意味している。

「リーダー不在」だが強力なネットワーク「見えない軍隊」が、米国に「受け入れがたい」変化をもたらすために活動を開始した。その階級的メンバーは、西洋文明の特定の重要な要素と決別し、あらゆる形態の規範を急進させる「ショック部隊」であった。「オリンピアン」の間では、このネットワークは「水瓶座の陰謀」として知られ、その信奉者は 「目に見えない衝撃部隊」として知られることになった。

この大規模なパラダイムの巨大で取り返しのつかない変化は、私たちが眠っている間にアメリカを襲い追い越し、古いものを新しい政治的、宗教的、哲学的なシステムで一掃したのです。それは、新世界秩序 - 一つの世界政府の市民が、今後示さなければならないものであり、新しい心 - すなわち、国民国家、場所の誇り、場所の誇りと人種の誇りを持たない新しい秩序の台頭であり、過去の文化は、決して復活することなく、歴史のゴミ箱に入る運命にあります。


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私たちは、この仕事が軽蔑と不信をもって迎えられる可能性が高いことを経験的に知っている。ある者は私たちに同情さえするだろう。この作品を説明するのに、「常軌を逸した」(off the wall~壁から離れた)というような用語が使用されます。これは、タヴィストックの社会科学者(Social scientists)たちが、洗脳者(brain-washers)、世論形成者(opinion-makers)、社会心理学者(social-psychologists)たちが、米国(United States)に対して戦争を仕掛ける動機が不明な場合の標準的な反応である。確率的には、アメリカ国民(American people)の90%が、タヴィストックが第二次世界大戦を終わらせるためにドイツ民間人に宣戦布告したことを知らない可能性があります。

その紛争が 1946 年に終結したとき、集団洗脳[大衆洗脳]と世論誘導の、大規模なタヴィストックの実践者たちは、アメリカ国民(American people)に対して戦争に突入していったのである。

もしあなたがこの暴露記事を読んだときにこのような反応をしたとしても、悪く思わないでください - そして、それがあなたに期待されている反応であることを理解してください。もし、その動機が突飛で信憑性に欠け、理解しがたいものであるなら、その動機は「存在しない」のです。そうであるならば、そこから派生する行動も存在しない。それゆえに「オリンピアン」(the Olympians)は存在せず、陰謀も存在しないのである。

しかし、巨大な陰謀が存在することは厳然たる事実である。タヴィストックの最高の科学者であり、あらゆるシンクタンクの主要な理論家であるクルト・レヴィンは、もし彼がその気になれば、私たちができるよりも明確に説明できることは間違いありません。彼の実践は、彼が「トポロジカル心理学」と呼ぶ教義に由来している。レヴィンは、第二次世界大戦の心理戦がその理論に基づいて成功した人物であり、我々がごく簡単に言及した、ドイツの労働者住宅の65パーセントを全面的に破壊することによって、第二次世界大戦でドイツを敗北させた戦略爆撃調査を計画し実行した人物でもあるのだ。


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第12章
レヴィンの「アイデンティティの変化」の教義

このルヴァンの教義は、素人にはなかなか理解しにくい。基本的には、すべての心理現象は、"心理的位相空間 "と定義される領域で発生するとした。この空間は、"環境 "と "自己 "という相互に依存し合う2つの "場 "から構成されている。

「コントロールされた環境」という概念は、(人には)固定された性格[固定人格]、(予測可能なプロファイルを受けやすい人格)があり、その人格から特定のタイプの行動を引き出したい場合、方程式の3番目の変数をコントロールすれば、望ましい行動が得られるという研究から生まれたものである。

これは、社会心理学の公式の規範でした。MI6はこれを使い、陸軍の対ゲリラ(反乱鎮圧)作戦、労使交渉、外交交渉など、交渉を伴うほぼすべての場面で、明らかに1960年代までこれを使用していました。

1960年以降、タヴィストックは、行動ではなく、望ましい人格の制御環境の技術に重点を置くことで、方程式に変更を加えました。レヴィンが目指したのは、はるかにドラスティックで永続的なものだった; 人間の人格のより深い深層構造を変えること。つまり、レヴィンが成功したのは、「行動の修正[行動変容]」の枠を超えて「アイデンティティの変更」へと移行することだったのです。

「アイデンティティの変化」は世界の国々で採用された。世界各国は、彼ら[自国]を見る目を変えるような「新しい人格」を獲得しようと躍起になって取り組みはじめたのです。


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この理論は、2人のタヴィストックの理論家、ウィリアム・サージェント博士の『心のための戦い』における理論、そしてクルト・レヴィン自身の人格退行[人格回帰]に関する研究による、独自の定式化された処方に依拠したものである。

レヴィンは、「個人の内なる自己は、環境からの緊張下にあると、ある種の特定の反応を示す」ことに気が付きました。それから「緊張状態にないときには、人の正常[通常]な内なる自己[本性]は、よく区別[分化]され、多面的で、バランスも取れており、多目的で用途が広く多彩なものになる」と。

「環境から合理的な量の[適度な]緊張が加えられ[与えられ]ると、内なる自己にあるさまざまな(生まれつきまたは努力して得た)能力一般と、ある特定のことをする才能・能力、身体・精神の機能のすべてが警戒態勢に入り、効果的な[実戦に使える実兵力として有効に動かす]行動[の全体]の[実行]準備が整います。

しかし、耐え難いほどの緊張がかかる[応用・適用される]と、この幾何学[地球・土地の配列・配置構造を測定する学問]は、盲目で未分化なスープ[混乱、混とんとした不幸な状況](苦境に陥れ、グレードアップし、さらに(地球を)見栄え良くするため)に崩れ落ちてしまう; つまり、原始的[その種類にあって(進化・発展の)最初の初期段階]で(より悪い状態に戻し)後退[退行・堕落]した個性が生まれる。人は動物になり、高度に分化した多才な能力は(見えなくなり)その姿を消してしまう。(そして)制御された環境が人格を[コントロールし]支配するのである。

国際法と合衆国憲法を無視してグアンタナモ湾収容所に収容されている捕虜に使われているのは、このレヴィン「テクニック」なのです。収容所でのブッシュ政権の重大な違法[不正]行為は、通常の西洋キリスト教文明の範疇を超えており、従順なアメリカ国民によるその受け入れは、アメリカ国民がタヴィストックの「長距離浸透と内的方向づけ」によって大きく変化した最初の兆候かもしれません。そのような野蛮な「治療」が通常とみなされ抗議なしに受け入れられる一つの世界政府における新世界秩序のレベルまで下る準備ができているということなのです。


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医師が仲間の人間の非人道的な拷問に加担し、何の反省もない、後悔がないと感じたという事実は、世界がすでに、どれほど落ちぶれたかを示しているのではないだろうか。

これは、キューバのグアンタナモに開設された軍事キャンプが、米国憲法の厳格な制限を回避し、レヴィン式の管理環境を提供するための拠点となっていることが確認されている。この心理刑務所に収容されている男たちは、今や動物のレベルにまで低下した退行状態に置かれているのだ。

グアンタナモは、新世界秩序-1つの世界政府が完全な世界支配を引き継ぐときに、米国と世界中の至る所に設立されるだろうと私たちが予測するタイプの収容所です。それはサディスティック(加虐的、性的サディストによる残酷なことを好む異常性欲)で非人道的で、獣のようであり、犠牲者の自然なプライドを打ち砕き、抵抗する意志(will)を破壊し、囚人を野獣(beasts)のレベルにまで落とすように設計されているのです。

当時のソ連(USSR)における最初の世界政府の実験では、男性はトイレの使用を許可されただけで、避難の途中で中断され、身なりを整える前に追い出されたのである。アブ・グレイブとグアンタナモは、管理者が世界的な監視の目にさらされ、精査の対象となったとき、そのような状況に陥っていたのです。チーフ・カポ[最高責任者]であったミラー将軍は、その後姿を消しました。

アメリカ政府が憲法に従うことを主張し、憲法の権利を要求する「反体制者」は、将来、ロシアでスターリンが「反体制者」を扱ったのと全く同じように、将来「反体制者」として扱われることになるだろう。アメリカ全土に出現した未来の「グアンタナモ」は、未来の前兆である。その点では、頼もしい限りである。


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第13章
二つの世界大戦の間で誘導された西洋文明の衰退

ヨーロッパ諸国の中で、2つの世界大戦の間に、超経済大国、超人種純血主義、超戦士国家であるドイツが、意図された通り、最も大きな被害を受けたのである。国民連盟は、「一つの世界政府」の内部で最後に近づく新世界秩序の「第一草案」であり、パリ講和会議での「平和提案」をタヴィストックに指示・統制されたもので、ドイツを無力化し、永久にヨーロッパの二流国家にすることを意図していました。彼らの自尊心は、貧困層かせいぜい、(古代ローマの最下層の市民、自分の労働力を資本家に売ることによって生活する賃金労働者階級、無産者である)プロレタリアの地位に社会的に降格させられ破壊されたのである。

ドイツ国民が野蛮(savage)になり、ヒトラーが潜在的な民族主義運動を復活力に変えるために必要な労働者階級などの大量の崇拝者[信奉者・支持[賛同]者]を獲得したことは驚くことではありません。

タヴィストックが誤算だったのか、それとも実際に、より大きく血なまぐさい戦争の舞台をこのように設定したのか、私たちには知る由もない。結局のところ、ミードやバートランド・ラッセルは、「従順な人々」が住む世界が必要だと言っていた。ラッセルは、アメリカを旅行したときに出会ったアメリカ人黒人の「子供のような」性格について発言していた。ラッセルは、白人よりも彼らの方が好きだと言っていた。そして、もし白人が生き残るためには、黒人のような子供のような振る舞いを学ばなければならないとも言っていた。しかし、このタヴィストックの使者は、同じ口で黒人を「役立たずの食いしん坊」と呼び、「黒人は一網打尽にするべきだ」と断言した。


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ラッセルはまた、「奴隷として連れてこられたアフリカ人との人種間交配」によってもたらされたブラジル人の従順さが好きだったと彼は考えました。

2つの大戦を計画した悪魔たちの主要な目的の一つは、ほとんどの場合、(戦争の大部分が)若い白人男性によって戦われることであったと考える学派がある。確かに、ドイツ、イギリス、アメリカ、ロシアは、数百万人の男子の花形を失い、国造りのストック[株]から永遠に取り除かれたのである。タヴィストックが設計した第一次世界大戦では、ロシアがその全兵力の70%にあたる900万人の兵士を失うような形で、戦線と戦闘が配置整理されました。

ロシアを除いて、貴族はブルジョアジーよりも戦争と革命の経済的影響からあまり苦しんでいなかった。伝統的に彼らの富の多くは[陸地にある]土地であった; 土地は、インフレの際にも、他の有形資産ほど減価しませんでした。

君主制の崩壊は、(イギリスを除く)上流階級の旧態依然とした社会秩序に打撃を与えた。上流階級の人々は、将校や外交官としての役割で社会に奉仕し続けることができなかった - そのような彼らのサービス[奉仕]の需要がなくなったため - そうした奉仕の機会は、戦前よりもはるかに少なくなっていたのである。

ロシアの貴族の中には、戦後のパリでタクシー運転手や、ナイトクラブのドアマン、ヘッドウェイターのように、プロレタリアまたは下働きの身分[卑劣な地位]を勇気を持って受け入れる者もいれば、商売を始める者もいた。しかし、ほとんどの人は、社会的に中傷される生活に陥りました。かつての君主制の首都やカフェ・ソサエティ(上流階級=おしゃれな飲食店やナイトクラブなどに通う人)の間で、社会と社会の境界線[フロンティア]は厳重に守られていたが、今では大きな溝ができ、境界線は次第に曖昧になった。


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ウィンザー公爵は回想録『王の物語』(A King's Story)でこう述べている:

「変化の力は、古い優雅さの多くを消し去るほど、英国社会の質感にまだ深く浸透していませんでした...........いわゆるロンドンの季節になると、ウェストエンドは真夜中から明け方まで、ほとんど舞踏会の連続だった......。その夜は、当時流行していたゲイのナイトクラブに行けば、いつでも救われるのだった。その頃、ゲイ・ナイトクラブは、とてもお洒落で立派なものになっていた。

(当時の「ゲイ」という言葉は「幸せ」を意味していました。それは50年代半ばまで同性愛者(sodomy ソドミー アナルセックス、異性間の肛門性交;獣姦など)の婉曲表現として使われることはなかった)。公爵は、この「変化の力」がタヴィストック研究所によって巧みに生み出されたものであることも説明しなかった。

第一次世界大戦の終結直後から目立つようになった女性の慎み深さの衰退は、突然、いたるところに現れ、その速度も速まった。知識のない人にとって、それは社会現象であった。その原因がウェリントン・ハウスとその邪悪なソーシャルエンジニアたちがその原因であるとは、誰も思いもよらなかったでことでしょう。

この実験的な解放に伴って、特に若者の間では、没落した帝国の偶像が砕け散る中で、それまでのあらゆる心身の拘束に対する反抗運動が起こった。ヨーロッパの戦後世代は、自分たちが経験した戦争の恐怖を払拭するために必死に戦ったので、より多くの習慣に反旗を翻したのである。ネックラインは急落し、公共の喫煙や飲酒は反乱の一形態となった。同性愛やレズビアンは、内なる信念からではなく、起こったことに対する抗議として、そして戦争が破壊したものに対する反抗として、実証されるようになった。


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芸術、音楽、ファッションの分野では、急進的で革命的な過激さが際立っていた。「ジャズ」が流行り、「モダンアート」は「粋」(chic)だと思われていた。すべてにおいて共通し理解可能要素は「差し支えない|気にしない|もんくはない」(don't have a care)ということであった; それは不安で非現実的なものであった。これらはヨーロッパ中が衝撃[シェルショック]を受けた時代でした。ウェリントン・ハウスとタヴィストックは、その仕事をうまくやり遂げた。

制御不能な、どうしようもない出来事に突き動かされているという慌ただしさの裏には、精神的、および感情的な麻痺があったのだ。何百万人もの若者が不必要に虐殺され、不具になり、傷つけられ、ガスを浴びせられ処刑された戦争の恐怖が、今まさに認識され始めたところだったので、やるべきことは「記憶からそれを消し去る」ことであったのだ。

死傷者・犠牲者が出たことで、戦争があまりにも現実味を帯び、その悲惨で残酷な醜さが浮き彫りになった。そして、人々はショックと革命、平和への幻滅がもたらす絶望の中で、戦争から立ち直ったのである。西洋文明を象徴する優れた文化を持つヨーロッパ人は、アメリカ人よりも大きな衝撃を受けていました。

彼らは、父親と祖父を支え、国を繁栄させ発展をもたらした原点への信頼を失いました。そして、これはドイツ、ロシア、フランス、イギリスに特に当てはまりました。

世界で最も文明化された先進的な2つの国が、なぜお互いを粉々に引き裂き、何百万人もの最高の若者の命を奪ったのか、人々は理解できませんでした。それはまるで、恐ろしいほどの狂気がイギリスとドイツを襲っているかのようであった。


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積極的に仕掛け人たちにとって、それは狂気ではなく、ウェリントン・ハウスの方法論がイギリスの若者を虜にしたのだ。第二次世界大戦の勃発を危うく防いだのは、「また同じことが起こり、繰り返されるかもしれない」という恐怖心であった。

大虐殺から帰還した将校たちは、「第一次世界大戦」で頻発した白兵戦[白人戦闘](敵味方が入り乱れて切り合うような至近距離での戦争)の恐怖を報道誌に語った。彼らは、驚愕し、愕然とし、恐怖を覚えた。なぜ戦争が起こったのか、誰も理解できなかった。ウェリントンハウスと「オリンピアン」の黒い秘密は、今日に至るまで隠されたままである。

かつて、イギリス国王がロンドンのホワイトホールの慰霊碑に花輪を捧げることは、慰めをもたらしたが、今では苦渋、怒り、憎しみを生んでいる。舞台は、タヴィストックは巨大で不釣り合いなほど大きな役割を果たすことになっていた第二次世界大戦のために設定されていました。

何か言いたいことがある少数の思想家がいました: シュペングラー、歴史の中では例えばヘミングウェイ、文学のイヴリン・ウォー、そしてアメリカではアプトン・シンクレアやジャック・ロンドンなどだ。しかし、そのメッセージは暗いものであった。西洋文明の必然的な衰退を予言したシュペングラーの暗い予感よりも、さらに暗いものであった。

それは、戦後の人間関係の悪化によって確認されました。離婚や妻の浮気が頻繁に起こるようになった。台座に座る女性、柔らかく女性らしい女性、カデンツに満ちた愛らしい声、神の創造の花、神秘といった美しいコンセプトは、消えつつある理想であった。その代わりに、ある朝の人気トーク番組が真似して流行らせたような、ガタガタと音を立て威勢のいい、うるさい、耳障りな話し方をする下品な女性が登場したのである。


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この悲しい衰退が、タヴィストックが西洋の女性性に宣戦布告したことの最終の産物であることを、誰も知りえなかったのです。

第一次世界大戦後のヨーロッパでは、パリのモンパルナスは悲しい場所になっていた。戦後のウィーンは、戦争で多くの息子たちが連れ去られ、街は空っぽになり、さらに悲しい場所となった。しかし、かつて賑やかで清潔だったベルリンは、ヨーロッパのバビロンと化し、おそらくそれらすべての中で最も悲しい場所となった。

「これらの黙示録的な月日、これらの年月を生き抜いた人は誰でも、嫌気がさして憤慨して袂を分かち、反撃、恐ろしい反動の到来を感じ取った」と歴史家ツヴァイクは書いている。

君主、貴族、旧来のブルジョア王朝を引き継いだ新しい権力エリートたちの政治的、精神的、社会的破産は、多くの点で先人たちのそれよりも壮絶であり、アメリカではフランクリン・ルーズベルトの下で社会主義時代が到来し、これ以上ないほど壮絶なものになった。しかし、今回のリーダーシップの喪失は、一つの大陸に限ったことではなく、社会の特定の階層に限って生じたことでもない。

地理的に新しい世界が、それに直面している問題という観点から、フランクリン・ルーズベルトのアメリカ(America)はすぐに、アメリカ(United States)がフランツ・ヨーゼフのオーストリア=ハンガリー帝国よりも劣らず時代錯誤的ではないことをほとんど示しませんでした。ルーズベルトは、フェビアン協会をモデルにした「民主的」な新世界秩序社会主義を確立していましたが、アメリカ(United States)は正反対の連合体の連邦立憲共和国でした。


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ヨーロッパの権力と威信の中心が旧中央帝国西欧民主主義諸国から移動したことも、また没落した君主制諸国の伝統的支配階級が米国に取って代わったことも、第一次世界大戦後の世界の経済的、政治的、社会的、道徳的、または宗教的風土を改善することには何ら役立たなかったのである。ウォール街の大暴落とそれに続く大恐慌は、私たちの主張が真実であり正確であることを、沈黙しているとはいえ雄弁に物語っている。

このイベントがタヴィストック研究所によってどのように考案され仕組まれたかは、付録で提供するイベントのタイムテーブルで見ることができます。


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第14章
アメリカは「ホームランド」ではありません
国土安全保障省[故国警備機関](Homeland Security)という詐欺

アメリカ合衆国は長い間、プロパガンダの大拡散のための最も肥沃な土地であり、その国民は策略をめぐらされ、嘘をつかれ、騙されてきた。この点ではイギリスが世界をリードしてきた。マインドコントロール -- タヴィストック人間関係研究所は、世界の洗脳とプロパガンダの中心地であった。その前身は、ロスチャイルド家に嫁いだノースクリフ卿が、ロスミア卿やアメリカ人のウォルター・リップマンやエドワード・バーネイズに助けられ、まとめた組織であった。

1914年に始まったタヴィストック人間関係研究所は、その知名度において他の追随を許さないほどの成長を遂げました。タヴィストックは、人生・生活のあらゆる側面に適したプロパガンダ啓発に特化した施設である。タヴィストックでは、まるで戦場に赴くかのようにプロパガンダ宣伝活動に取り組み、ある意味そうであった。中途半端は許されない、確実に勝つことができれば何でもありの戦争だったのです。

政治の現場を見渡すと、過去20年間にプロパガンダ、とりわけマインド・コントロールの深化と量が増大し、浸透しているという事実から逃れることはできない。経済的なものであれ、政治的なものであれ、あらゆるテーマに対してもプロパガンダを正しく適用することは、政府のコントロール機構に不可欠な要素である。

スターリンは、「従順な国民を望むなら、恐怖心を与えなければならない」と言った。ある意味、それがアメリカやイギリスで起こったことである。


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第二次世界大戦は、プロパガンダを芸術的なものに発展させる無限の機会を提供した。ルーズベルト政権が、ヨーロッパへの戦争に87パーセントも反対していたアメリカ国民の考えを変えさせるために行った努力を振り返ってみると、それにもかかわらず、ルーズベルトは成功しなかったことがわかる。アメリカ国民は、ヨーロッパでの戦争に参加することを拒否したのです。

アメリカのヨーロッパ戦争への参戦を支持する世論を逆転させるには、日本軍の真珠湾攻撃という、あらかじめ選ばれた口実と、作為的な状況が必要だったのである。ルーズベルトは、アメリカは民主主義とその生活様式のために戦っていると主張したが、どちらも真実とは似ても似つかない。戦争は、一つの世界政府の中での新世界秩序という目標に向かって、国際社会主義の大義を推進するためのものであったのだ。

プロパガンダが成功するためには、個人や個々のグループではなく、全人口を対象としなければならない。その目的は、可能な限り多くの人々の注目を集めることである。それは個人的なガイド[指導]を意図したものではありません。プロパガンダでは事実は関係なく、事実は何の役割も果たさない。プロパガンダは常に印象を作り出すことを目的としてたものです。それは政府、メディア、政治指導者が言っていることが真実であることを印象づける、一方的で体系的かつ持続的に教え込まなければならない。そしてそれは、国民が自分たちの考えていることだと思わせるような方法で行われなければならない。

そのため、パブリシティは大衆をターゲットにしたものでなければ、そのメッセージを印象づけることはできない。最近の例で、受受容的な聴衆によって受け入れられるであろうプロパガンダの仕方を考えてみよう。世界貿易センタービルの事故を受けて、ブッシュ大統領は「国土安全保障局」という新しい政府機関を創設し、その監督をする長官を任命した。


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これは非常に慰めとなって、そして非常に痛み・不快感を和らげるように聞こえますが、憲法修正第10条を見ると、ブッシュ氏が急に動かなくなる[取り押さえ、差し押さえ、乱暴につかみ奪う]ことを提案したすべてのそのような権限[力]を(将来の使用またはある目的のために)使わずに残しておくように、いくつかの州[国家](State)に分割し留保することを定めています。

ブッシュ氏は、憲法修正第10条をくつがえす[反対の裁定を下す]ことができないという事実は、あっけなく無視されました。彼ができると言ったプロパガンダのスローガン[宣伝自賛的広告]は、憲法ではなくプロパガンダのスローガン[つまらない宣伝資料・専門的な説明]を信じている大衆を対象としていたので、ほとんど誰もこの粗野な違憲憲法、特に憲法第10条の重大な違反に効果的な反対[する野党勢力]はほとんどなかったのである。ブッシュは、「民衆を支配したければ[人々をコントロールすることを望むなら]、まず民衆を威嚇せよ[恐怖に陥れよ]」というスターリンの指示に基づいて[手術用の・営業上の・経営上の]行動を[操作・操舵]していたように見える。

この「国土安全保障」法[準法律]に反対する人々は、「非国民」「テロ支持者[親テロリスト]」と呼ばれた。繰り返すが、このインチキ法律が法律でもなんでもなく、まったくのプロパガンダであるという絶対的な事実が問題視されることはなく、「熱狂的な」(rah-rah)思考停止の国民に受け入れられたのである。このようにして世論は形成され、世論が議員に影響を及ぼし動かして「国土安全保障」やその他のインチキ法律に投票させるのだと、ウェリントン・ハウスのごく初期にバーネイズとリップマンが共に主張していた通りである。議員たちは、米国憲法のもとではなく、英国議会制度の党派的な線に沿って投票したのだ。彼らは、大統領に反対すれば、次の選挙で居心地の良い仕事を失う可能性が高いこと、または、どこかのいかがわしい泥棒[卑劣なマッカーサー][政界・人などの汚職[醜聞]をあばく]「管理者側」のコマによって汚名を着せられる[下品なスキャンダルで中傷される]恐れがあるとわかっていたのだ。

アメリカは一つの「祖国」(homeland)ではなく、50の異なる別々の州(States)なのです。いずれにせよ、「祖国」という言葉は、『共産党宣言』からそのまま出てきたものである。新世界秩序の国際共産主義一国政府[世界政府]を作ることが最終目的だったのだから、この言葉が共産主義法案のタイトルに選ばれても、驚くにはあたらない。


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教育、福祉、警察権をコントロールする権限は、それが常に存在する州に属しており、条約締結時に奪われたわけではありません。 ブッシュ大統領も上下両院も、新たに創設された官庁が提案したそれを変更する権限は持っていない。持続的、組織的、反復的なプロパガンダの行使によってのみ、各州の人々はこの重大な合衆国憲法違反を受け入れたのである。

「国土安全保障省長官」(Homeland Director)の経歴や経験、仕事内容などに関する多くの記事を通じて、プロパガンダの太鼓叩きが続いたが、この新省庁のあからさまな違憲性については一言も触れられていない。そのタイトルの「国土安全保障省」(Homeland Security)は巧妙なプロパガンダであることにお気づきだろう。国民は今、この新しい機関が合憲であるばかりでなく、必要なものであると確信している。こうして、大衆は今、見事に「マインド・コントロール」(洗脳)されているのだ。

CBSのイブニング・ニュースを見るだけでなく、この問題を調べ研究しようとする人は、独立したコメンテーターの解説やマスコミの説明とではまったく異なるものを見いだすことができるだろう。いつものことだが、そのような人は少数派でしょうから、たとえ意見を言ったとしても、新しい機関を設立する目的と意図を変えることはないでしょう。アメリカの憲法と50の州の憲法は、連邦政府の中央集権的な管理機構を押し付けることを禁じていることをお伝えしておきます。いわゆる「国土安全保障」法案は茶番である。なぜなら、修正第10条で原州に与えられた、州から奪うことのできない共和制の政府形態を破壊するものだからである。


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したがって、いわゆる「国土安全保障法」は、無効であり、法律としては全く成立していない。しかし、タヴィストックに洗脳された[組織の中枢に近い内部のものや]精神的[主観的]に - 方向付けられた[悪意・詐欺・冗談などの]被害者[(神への)いけにえの動物]たちは、あたかもそれが法律であるかのように[言うことを聞いて]遵守し従います。

要するに、国土安全保障省はペテン[詐欺手段]であり、法律にはなり得ないのである。違憲であるものを法律として制定することはできない。議会は、「故国」に違法に生み出した「法律」である「国土安全保障省」(Homeland)法と「愛国者」[家系の、父祖の種の人、祖国の人、同胞](Patriot)法を直ちに廃止することが緊急の義務を負っているのだ。覚えておくべき重要な点は、プロパガンダや大衆洗脳は、それが意図する目的との関係に照らして常に見なければならないということです。この例では、「保護」と引き換えに、自由を犠牲にしなければならないと民衆に信じ込ませたのです。史上最高の憲法学者ヘンリー・クレイは、この[国民を出し抜くための]策略を「必要性の教義、地獄からの教義」と呼び、このような試みを[完全に]強く非難しました。

H.V.ディックスはタヴィストックで教鞭をとっていた。彼は、万人のために、個人の権利はすべての利益のために犠牲にされなければならないと述べているのです。その中には、国(land)の最高法規に違反する措置も含まれるのだ!それは、万人のためになることだから[すべての利益のためであるから]、受け入れられなければならないのだ!このことは、ルーズベルト大統領が日本を通じて、ヨーロッパで起こっている戦争に全米を巻き込もうと必死に努力した[外に強い力[要塞・軍事常設駐屯地]を出した]ことに伴う無謀な行動、プロパガンダと洗脳を例にとれば、よりよく説明[釈明][完全に平らにすることが]できるだろう。

予想されていた真珠湾攻撃が起こったとき、(ルーズベルトはそれが起こる攻撃の日時を知っていた)タヴィストック研究所が彼のために書いたスピーチの中で、アメリカ国民は国家(nation)の防衛、自由の維持、国家(nation)の将来の安全と幸福[健康]という最も高貴で高潔な大義のために戦うと宣言したしたのである。このようなケースでは、よくあることですが、事実がまったく異なる[達成できる]目標[客体・対象]について話しました。


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ルーズベルトは、アメリカ国民が国際社会主義の進展と新世界秩序の[野心・努力などの]目標[境界線] - すなわち国際共産主義、一つの世界政府のために戦うとは言っていないのです。

アメリカ国民は、ドイツが世界を奴隷にするつもりであると知らされました。これは非常に良いセリフ[網・釣り糸・方針]であった。なぜなら、最も不完全に教養を身につけている教育水準の低い人々でさえ、奴隷制度が人類に降りかかる最悪の運命の一つであることを理解しているからだ。「奴隷制」という言葉を導入することで、共鳴し、同情の念を抱かせるべく、攻撃されたのである。

もう一度言うが、プロパガンダは事実と何の関係もない。プロパガンダに左右されない思慮深い人なら、ドイツのような小国が世界を奴隷にしようと思ってもできるわけがないことに気がついただろう。資源と人材がなかったのだ。ドイツは、米国への攻撃を現実のものとするような巨大な海上艦隊を保有していなかった。

戦争の推進者[始めた者]たちは、その勢いを維持するためには、プロパガンダを続けなければならないことを最初から理解していた。チェイニー副大統領は、米国のイラク攻撃に先立つ数週間、同じ原則に従っていた。彼は事実を歪曲し、「恐怖のレトリック」を次々と繰り広げ、自分の目的に合うように情報情報をねじ曲げた。チェイニー副大統領ほど、イラク戦争が土壇場で阻止されないように努力した人はいなかった。

重要なのは、ルーズベルトが「問題」に大衆の注意を引き付けることで、それらを人々に伝えたことであった。それゆえ、果てしない新聞報道で持ち帰らせ[痛切に感じさせ](bring)、映画館で延々と上映される[見せられる]「ニュース映画」で、政治家が延々と洗脳演説を続けることであった。


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プロパガンダは、軍需工場や造船所の労働者を描いたポスターのように、国民の中で最も低い知能レベルでも理解しやすい媒体でなければならないのです; 航空機の組み立て工場は、すべて「戦争努力」のために「家庭の前線」[ホームフロント]で働いていたのです。

世界貿易センタービル(WTC)の悲劇の後、多くの類似した大衆洗脳的なプロパガンダ・キャンペーンが復活した: 「戦争するアメリカ」、「最前線」、「兵器・弾薬庫」、「敵の陣地」などは、テレビに映し出されるほとんどすべてのコンテンツで、サブタイトルとして登場します。

宣戦布告がされていなかったので、米国は戦争をしていなかったという事実とか、敵の「軍隊」(troops)は大ざっぱにゲリラ集団を編む以外には存在しなかったとか、そういう事実は当然省略されていた。

辞書によると、軍隊[部隊](troops)とは「軍人の集団[兵士たちの体・死体];軍隊[陸軍](an army)、通常は複数形」と定義されています。タリバンは軍隊[的組織(army)を持たないので、従って、部隊[軍隊](troops)もない。それ以上に、「テロリズム」や「ボルシェビズム」、その他の「イズム」に対して宣戦布告することはできないのです。米国憲法のもとでは、戦争は主権国家に対してのみ宣戦布告することができる。

宣戦布告は、ある国(country)、またはその国(country)に住む特定の国[民族](nation)に対してのみ可能である。それ以外のものは、振り回す旗で飾られた[これからめいめいの区画として取り分ける(肉用の)]大皿の上に、軍楽隊の音楽に合わせて出されたタヴィストックのたわごとである。米国がタリバンと戦争していると言うのは、欺瞞の極みである。必要な戦争に参加し、必然的に戦争状態になるには、事前の宣戦布告が必要である。宣戦布告がなければ、それは欺瞞であり、事実上、まったく戦争ではない。

新しい次元が加わったのだのです。ブッシュ大統領は、米国憲法によって戦争遂行権[戦争をする権力]や法律制定権[法律を作る権力]を奪われていたが、突然、米国憲法に存在しない権限を手に入れた[(手に入れるよう)吹き込まれた]のです。


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彼は「最高司令官」(the commander in chief)と呼ばれるようになったが、この一時的な称号は、完全な宣戦布告の後に議会によってのみ与えられるものであり、彼にはその称号を持つ資格[権利]はない。そんなことは決してないのです。

彼は不思議なことに、自分が選んだいかなる人物にも「敵性戦闘員」のレッテルを貼る権限を持つと「宣言」したのだ。合衆国憲法には、そのような権限はなく、また明確に示唆されているわけでもないが、ブッシュ氏は一瞬たりとも気にすることはなかった。それ以来、彼に関する限り、彼こそが法律なのだ。

このように、ウッドロウ・ウィルソンが自分に絶対的な権利がない10の追加権限を「奪う」ことから始まった、現職の米国大統領による違法かつ違憲な権力の押収は、ルーズベルトが30の権限の「奪い掌握する」ことで拡大し、G・W・ブッシュは35の(そして数え切れないほどの)合衆国憲法によって否定されている権力の掌握し、拡大を続けてきたのである。

アメリカは、タヴィストック研究所の専門家の指導のもと、「《自己の価値基準で目的などを決定する》内的方向づけと長距離浸透」による米国民の洗脳によって、無法国家と化したのである。

ちなみに、イギリスの戦争中、イギリスの宣伝機関は南アフリカのボーア人に対して、その土地の広大な金鉱を支配するために、同じような嘘の言葉を使ったことを付け加えておこう。イギリスの新聞・メディアは「ボーア軍」(Boer Army)の報道で持ちきりでしたが、ボーア人には軍隊はなく、農民市民のゲリラ軍(farmer citizen guerilla force)しかいなかったのです。

1913/1914年のカイザー・ヴィルヘルム2世のように、トランスヴァール共和国の神を畏れる家長ポール・クルーガーは、イギリスの新聞で黒人を残酷に抑圧する悪質な暴君として悪者扱いしたが、それは事実と一致しないものであった。


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結局、第一次世界大戦と第二次世界大戦で試行錯誤を繰り返してたどり着いた方式が、それが米国のアフガニスタン攻撃で復活し、再利用・転用されたのである。それは、アメリカ国民の心理的レベルに合わせたものであったため、アメリカ国民の大半の心をとらえ、興味と関心を引くのに十分であった。二つの世界大戦におけるプロパガンダの技術で学んだ教訓は、ヨーロッパ戦域からアメリカの主流に、そして後にはイラク、セルビア、アフガニスタンにすり替えられただけである。

洗脳は、1912年にロンドンのウェリントン・ハウスでノースクリフ卿が最初に作った決まり文句を使い、洗脳作戦は最小限にとどめられ、シンプルなスローガンやキャッチフレーズで体現された。イギリス国民は、ドイツ国民が「敵」であると知るように教育されなければならなかった。邪悪で残酷なものはすべてドイツ人のものとされ、多くのイギリス人は、ドイツ人は手段を選ばない残忍な野蛮人だと考えるようになった。ベルギー人の女性や子供を殺す「ボシュの虐殺者[肉屋]」(Boche butchers)を描いたポスターが、あちこちに貼られるようになった。


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第15章
プロパガンダにおけるメディアの役割

メディアがプロパガンダに大きな役割を果たしてきたように、これがどこから始まったのか、そしてアメリカのメディアが現在、そのほとんど全体が完全にコントロールされたプロパガンダ機関になってしまったのかを見てみるのは良い考えかもしれません。第一次世界大戦までの期間は、人格[人物批評・個人攻撃]が操作された典型的な[最高級の・古典的な]一連の出来事を形成したものであり、その最悪の犯罪者はイギリスとアメリカの新聞社であった。すべての戦争がそうであるように、国民を巻き込むためには、誰かが悪者にされなければならなかった。1913年、ドイツのカイザー[皇帝]・ヴィルヘルム[ウィルヘルム]2世は、その恐ろしい戦争の前も、最中も、そして後も悪者にされたのである。

この時代のプロパガンダの主要な作成者の一人が、ロスチャイルド家の親戚であり、ドイツ嫌いで有名な「メディア王」[報道男爵](press baron)であるノートクリフ卿であった。ノースクリフはウェリントン・ハウスを反ドイツ・プロパガンダの一大拠点として運営し、ヴィルヘルム2世を特に憎んでいた。彼はヴィクトリア女王のいとこで(イギリス王ヴィクトリア女王の娘を母とする[世界史事典])、悪名高いベネチア[ベニス]のブラックゲルフ王朝に属していた。

ノースクリフは、ことあるごとにヴィルヘルム2世を侮辱し、特にカイザー[皇帝]がドイツの軍事力や強さについて語る場面では、その威厳を誇示していた。ヴィルヘルムは子供じみた自慢話をするのが好きで、ヨーロッパ諸国のほとんどの政府は彼を「兵士ごっこ」が好きな男、そして突飛な装飾を施した軍服を着ている男として認識していた。ヴィルヘルムは明らかに軍人ではなかったのだ。このことに腹を立てたロスチャイルド家の一員であるノースクリフは、カイザーが好んで呼んだ「ドイツが太陽の下にある場所」[ドイツの天下取り]がヨーロッパの他の地域にとって危険であると「警告」し始めたのである。ノースクリフは、この主張が根拠のないものであることを気にしていないようで、驚くほど誇張していた。


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しかし、その当時のドイツは脅威ではなく、カイザー[皇帝]は攻撃態勢にある強力な戦士ではなく、むしろ、5年に3回の神経衰弱に悩まされ、腕もほとんど使えない精神衰弱がちな男だったのである。全然武骨じゃない。ヴィルヘルムの武闘派としての資質は、豪華な軍服に身を包むことが好きだったことだろう。実際、ヴィルヘルム2世はドイツ軍をほとんど統制していなかったが、ノースクリフはこの事実をよく知っていたにもかかわらず、無視することを選んだのである。

この点で、カイザーはイギリス遠征軍を管理できないイギリス国王ジョージ5世と同じレベルにありました。それでもノースクリフは、ヴィクトリア女王の従兄弟であるドイツ人に猛烈な攻撃を仕掛けることを止めませんでした。ベルギーを縦断したドイツ軍による一連の残虐行為に責任があると訴え全責任を彼に負わせたのだ。もちろん、ドイツ軍最高司令部が中立国ベルギーに侵攻したことは間違っていたが、彼らは国境を越えただけで、この国(country)を占領する計画はなかったのだ。

これはすべて、フランス軍を出し抜くためにベルギーを通る「近道」[ショートカット]してパリに進撃するという戦術的計画の一部であった。民間人を故意に殺害しても何の得にもならないことは、ドイツ軍最高司令部が強調していた事実である。ノースクリフは、カイザーを「世界支配への強い執着」という、強い権力欲・野心を持つ「誇大妄想狂の自惚れ屋」と評したが、いずれにしてもヨーロッパのどの勢力[強国]の能力をはるかに超えるものであった。1940年、チャーチルはヒトラーが「世界を支配する」という同じ願望を持っていると非難したが、それは誤りであることが分かっていた。チャーチルはまた、ヒトラーを「狂人」と断定したが、それは大臣・閣僚・司法官・大使館一等書記官・王族出身の大学総長などに対する自分の説明が間違っている[虚偽であった]ことを知っていたからである。

しかし、ノースクリフはめげることなく、自分のメディアでヴィルヘルム2世を 「ヨーロッパの狂犬」と言い続けさせたのだ。


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ウェリントン・ハウスは漫画家を雇い、ヴィルヘルム2世を貪欲なヨダレを垂らす狂犬、類人猿(ape)のような生き物として定期的に描いていた。この安っぽい漫画は書籍化され、瞬く間にマスコミによって全くナンセンスなものとして扱われるようになった。これらの漫画は趣味が悪く、さらに出来も悪い。この本は、イギリス人が「ペニー・ホラーズ」[身の毛もよだつほど恐ろしい担保に属するもの]と呼んでいたものだ。

ノースクリフはマスコミの力を発揮して、この本を絶賛するように仕向けた。首相だったアスキス卿は、この本質的に絶対的な茶番劇であるこの本の前書きを書くように説得された。ウィルソン大統領は、この「芸術家」であるオランダ出身(Dutchman)[もとはドイツ(deutsch)を意味したがオランダ独立後今の意味となる]のルイ・ラーマーカースを、アメリカでの出版ツアーの際にホワイトハウスに招いた。予想通り、ウィルソンはこの漫画家を高く評価し、この本の出版を承認し、賛辞を贈ったのである。

伝説的な雑誌『パンチ』でさえも、ヴィルヘルムを最も不利な立場で描くキャンペーンに参加した。ウェリントン・ハウスから流れ出る汚水の奔流を印刷しなければならない、この汚物の洪水から、どの雑誌も逃れることはできなかったようだ。これは、プロパガンダの最たるものであった。

やがて、その影響は国民に及び、カイザーの「絞首刑」を主張し始め、ある教役者[宗教牧師、宗教大臣](minister of religion)は「ドイツ人が全員銃殺されれば、ドイツを許す」とまで言い出したのだ。ハリウッドもすぐに、何も知らないカイザーを非難するようになった。まず、在ベルリン米国大使ジェームス・W・ジェラードが書いた本を映画化した『私のドイツでの4年間』(My Four Years in Germany)が公開された。この映画は、カイザーが戦争の準備をしている様子を事実に基づいて描いたものであると説明されている。ヴィルヘルムは誇大妄想的な6歳の子供のIQを与えられて、趣味の馬[木馬]に乗る男[取りついた観念に乗じている男](hobbyhorse)として描かれた。彼の[(病気などで)~する能力を欠くこと、[法的]無能・無力な]障害についての痛烈な描写が何百回となく繰り返された。


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さらに悪いことに、『ベルリンからの獣』と題されたハリウッド版歴史映画が登場し、カイザーがベルギーの市民を虐殺し、魚雷を受けた船を見てほくそ笑んでいる姿が描かれているのである。どれも真実ではないが、その目的は達成され、ドイツ人とドイツ的なものすべてに対する激しい憎悪を生み出し、それが驚くほどの速さでアメリカ全土に広がっていったのである。

それは、かつてない冷酷な方法で行った最悪のタイプのプロパガンダの基礎であり、イギリス政府が国内だけでなく、最も重要な場所であるアメリカにおいても、容赦なく実行されたのである。ウェリントン・ハウスは、アメリカが戦場でドイツを打ち負かすことを期待していたのだ。

1990年代後半には、アメリカ人の大衆が、タリバンや、タリバンとは関係のないイラクのフセイン大統領についても同じように考えるようになるのは、非常に短いステップで実現したのです。(実際、彼らはお互いを憎み合っていた。)

根本的な疑問は、「タリバン全体とタリバンとは別のアフガニスタンの人々が、世界貿易センタービル(WTC)の卑劣な爆破に責任があったのか?」ということです。タリバンは実際に存在するのか?それとも、オサマ・ビンラディンはカイザー・ウィルヘルム2世の一人に過ぎないのでしょうか?もしかしたら、50年後に真実が判明するかもしれない。その間に、タヴィストック研究所はプロパガンダのカードを限界まで使い、またしても成功し思い通りにしてしまったのです。

戦争が終わった後も、カイザー・ヴィルヘルム2世の神話は根強く残っていた。実際、戦前と戦中に彼を悪者扱いした同じプロパガンダ機関が、1959年7月13日のカイザー・ウィルヘルム2世生誕100周年にBBCがドキュメンタリー番組でこの酷評されていた元ドイツ人指導者を祝うまで、道を譲ることはなかったのだ。


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カイザーがベルギーの子供の腕を剣で切り落としたとか、ドイツ兵の隊列が通過するベルギーの村で女性をレイプしたという血生臭い証言で、イギリス国民がいかに恐怖に陥ったか、どの証言も真実とは似ても似つかないことを説明したのだ。

ノースクリフとその部下、アメリカ人のリップマンやバーネイズは、執拗な憎悪の嵐を巻き起こし、英国議会の賢い議員たちをも欺いた。しかし、このBBCのドキュメンタリー番組では、なぜ、恐ろしいウィリアム皇帝の神話が生まれ、新聞の見出しを独占したのかを説明しようとはしないのだろうか。

それと同じように、オサマ・ビンラディンがなぜ突然登場し、驚くほど短期間にカイザーばりの悪役になったのか、私の納得のいく説明は誰もしていないのだ。どうしてこのようなことになったのか?

歴史的事実として、ウィルソン大統領が、第一次世界大戦の開戦に合わせて、急遽、連邦準備銀行の設立法案を下院に急いで提出しました。この無秩序な紙幣の印刷がなければ、戦争が起こった可能性は疑わしい。

何千もの新聞、雑誌、看板からにらめっこしている漫画のキャラクターから、どうして突然カイザーに命が吹き込まれたのだろうか?今となっては、彼がイギリス陸軍省の巨大なプロパガンダ・マシンの産物であることが分かっている。それは、今日まで大きな秘密組織であるため、秘密のままであった。そのマシンは今日も1913年当時と同様に秘密裏に行われているが、その覆いをいくつかはぎ取ることに成功した者もいる。


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私たちが調査を通じて発見したことのひとつは、タヴィストック研究所が、最もばかげた嘘偽を作り出し、真実として掲げている数々の虚の発祥地であるということです。


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第16章
科学的プロパガンダは、まさに(神の)選民[有権者]を欺くことができる。

今日、世界の大多数の人々は、「ベルリンの獣」について、そして「連合国」[同盟国・国連](Allies)がヨーロッパでその狂気に歯止めをかけたことは、今日、世界中のほとんどの人が耳にしたことがあるに違いない。最近では、「バグダッドの野獣」という言葉も耳にしたことがある人が多いだろう。

しかし、1912年から1925年にかけて、文字通り何十万もの文書資料を徹底的に調査し、カイザー・ウィルヘルム2世の第一次世界大戦の開戦を完全に否定した著名な学者、ハロルド・ニコルソン卿の名前を聞いたことがある人がどれほどいるだろうか。

どれだけの人が知っているのでしょうか。試してみましょう。地元のトーク番組で、何が起こるか試してみてください。こうして25年以上にわたって、カイザーの神話が見出しを独占し、イギリスとアメリカの何百万人もの人々に、この神話を信じるように仕向け、ドイツに敵対させる効果があったのである。これは、1913年に初めて開設されて以来、イギリス国民を喉から手が出るほど欲しいものにした巨大な宣伝マシンの不当で不幸な副産物であった。ウェリントン・ハウスとその後継機関であるタヴィストック人間関係研究所のことである。

この神話の驚くべき点は、それがどれほど長く続いたかということです。しかしプロパガンダの目的は、まさに神話や嘘、あるいは誤った情報を永続させることであり、それは真実が忘れ去られた後も長く生き続くようにすることである。日本は永遠に真珠湾攻撃と「南京大虐殺」で非難され、その責任を負わされ、チャーチルは常に残忍な戦争屋ではなく、偉大な男として賞賛されることでしょう。

同じように、コリン・パウエルが最近イラクを訪問し、イラク・イラン戦争でフセインが「クルド人にガスを浴びせた」という[(新聞の)第一面トップの]大見出し(banner headline)の声明を発表したのだ。


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実は、クルド人の村に落ちたガス入りの膨張式ミサイルは、イラクにはないホスゲンという種類のもので、イランの兵器庫にあったというのが真相だ。何が起こったのかというと、イラクの攻撃中に、イランが大量のガス入り膨張式ロケット弾をイラクの陣地に向けて撃ち込んだが、一部が国境沿いのクルド人の間に落下したということがあったのである。このことは、イラクを完全に免責[無罪]とした米国陸軍士官学校の報告書でも確認されている。

しかし、この告発[疑惑]は徹底的に反論されたにもかかわらず、約30年後の2005年、ジョージ・ブッシュ大統領の代理としてマレーシアを親善訪問したカレン・ヒューズは、「サダム・フセイン」によって「3万人のクルド人」がガスで殺されたと嘘を繰り返し、さらに話を盛ってしまったのである。聴衆の一人が彼女の発言に異議を唱えたため、翌日、ヒューズは「言い間違えだった」と発言を撤回せざるを得なくなった。この事件の調査によって、ブッシュ大統領、ブレア首相、コリン・パウエル国務長官、ドナルド・ラムズフェルド国防長官が何度も何度も繰り返したウソをヒューズさんが実際に信じていたことが明らかになったが、このことはプロパガンダの威力を如実に物語っているものであるはずだ。

陸軍大学校(War College)が報告したこの事件の事実は、後に米陸軍と米国の第2の情報源によって確認された。世界はこのことを知っているのだろうか?私たちは疑っている。嘘が続く限り、真実は忘れ去られ、嘘は生き続ける。このように、コリン・パウエルのイラクに対するプロパガンダは、カイザー・ウィルヘルム2世に対するプロパガンダのように、同じものを繰り返すことによって、100年以上も続くことになるのだ。一方、真実は新聞で最初のプロパガンダが爆発した瞬間に死んでしまったのだ。ここにプロパガンダの価値があるのです。タヴィストックの社会科学者たちはこのことを知っており、今日、彼らはどんな聴衆に対しても、その背後にある問題を理解することなく、彼らの知覚に最も適した嘘を受け入れるようにプロファイル[説明]することができるのである。


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このようにして、「道徳的に正しい」立場と、アフガニスタン攻撃の確固たる裏付けが確立されたのである。自分たちの政府がアフガニスタンでやっていることが、合衆国憲法に則っているのかどうかについて、疑問を呈する者はほとんどいなかった。国民投票もなければ、ブッシュ政権の対アフガニスタン政策を国民が受け入れるか否かを確認する権限[委任・命令]もなかったのです。

プロパガンダ - 洗脳は、権限[委任・命令]を必要としない。実際、ツインタワーに使われた飛行機のハイジャック犯とされる人物の中にアフガニスタン出身者がいなかったという事実は、アメリカ国民には全く伝わらず、完全に消え去り、74%のアメリカ人は、いまだに「アルカイダ」がやったと信じており、彼らはアフガニスタンに住んでいると信じているのだ!同じ割合のアメリカ人は、タリバンとフセイン大統領が一緒になって悲劇を引き起こしたと信じるように洗脳されたのです!アメリカ国民は、サダム・フセインがタリバンの指導者と何の関係もないことを知らないのです。

なぜアメリカ国民は、このような扱いを受けることを許しているのだろうか。なぜ彼らは、政治家が嘘をつき、ごまかし、策略をめぐらし、前言を翻し、隠蔽し、難読化し、絶えず自分たちを欺くことを許すのだろうか。私たちが注目すべきは、ウッドロウ・ウィルソンがアメリカ国民を羊のように扱った方法である。

ホワイトハウスの芝生に小さな羊の群れを放牧している理由を尋ねられたウィルソンは、「彼らは私にアメリカ国民を連想させるから」と答えた。ウィルソンは、アメリカを第一次世界大戦に駆り立てるという強い野心を持っており、反対派(国民の大部分[多数派])に対してウェリントン・ハウスの嘘(プロパガンダ)を使って、彼らの意見を変えさせるように説得したのである。


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ルーズベルトは、第二次世界大戦にアメリカを参加させるために、嘘とプロパガンダ(同じ意味ではないことがほとんど)を繰り返し、真珠湾の「成功」で頂点に達した。同じ路線がクリントン大統領にも使われているのを見た。セルビアとの不当な戦争に至るまで、そしてその間、クリントンの説得はすべて嘘と偽情報で構成されており、誤報であったことは言うまでもない。

ラムズフェルドの発表が常に疑いの目で見られるのも無理はない。プロパガンダが果たしている役割について質問されると、ラムズフェルドはあっけらかんとこう答えた。「政府高官、国防総省、この国防長官、そして私と一緒に働く人々は、アメリカ国民に真実を伝えている」と。


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第17章
プロパガンダと心理戦

米国政府文書のリストは、入手可能なものもあれば、入手不可能なものもあるが、意外と知られていない中で、(米国を含む)世界各国がいかに支配されているかがよくわかる。驚くほど[準備し、(軍隊・生徒などを)整理させた]幅広いレベルでのプロパガンダの手法が行使された結果、そうなってしまったのです。

資料が膨大なため、せいぜいタイトルを挙げ、言い換えられた内容に言及することくらいです。私たちがまとめた情報が、アメリカの人々に眠っている無関心さにショックを与え、目覚めさせ、「一つの世界政府」の内部で社会主義新世界秩序の奴隷になる道のりをどれだけ進んでいるのかを認識させることを願っています。

公式な定義 : ワシントンの権力者が使用する便利な用語と定義集です。ここに引用されているプログラムは、例外なくすべてタヴィストックによって考え出され、引き起こされ、繁殖させられ[犯罪・暴力などの]原因となったものである。

社会科学と政治的介入: プロジェクトの中心として成立しているもの - 「開発援助」(development assistance)[上る者を後ろから支え押してあげるアシスト]を装っているが、実際には南半球の文化と社会的関係を、危険で、巧妙な[市場]操作[ごまかし・小細工]で構成され成り立っているケースもあるのだ。

「援助」の提供者が享受する、莫大な金銭的利益のために、彼らはしばしば、標的となる対象グループの広範な心理社会的調査研究を行い、最悪の悪夢の中でさえ、ほとんどの人が思いつかない、起こりえないような方法で彼らを利用することができる立場にあるのです。

これは、ジョン・ローリングス・リースがタヴィストックで教えたことの典型であり、それはアメリカ人の生活のあらゆる側面に影響を与え、持ち込んだ、


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「衝撃と畏怖」(Shock and Awe): 急速な制圧[支配統治]を実現する - これは、[米国国防総省が資金を提供する高等教育機関である]国防総合大学(National Defense University)のテキスト(1996年)であり、2003年3月から4月にかけての米国の中東介入とイラク戦争の理論となった。「衝撃と畏怖」は、1945年の広島と長崎への原爆投下に相当する「非核等価物[核らしくないもの(nuclear≒New Clear)、核ではないが核に等しい強い価値があるもの」非核等価物(non-nuclear equivalent)を意図したものだと本文では言っている。

今では絶版となっているこの恐ろしい惨劇[ヤギの歌|死などを伴う悲しい事件](tragedy)の研究書にはこう書かれている: 「衝撃と畏怖」という条件について、「これらの兵器の衝撃は、この衝撃と畏怖の状態を通じて、日本の一般市民の意識と指導者の考え方も一変させるに十分なインパクトがあった兵器であった」と述べている。日本人は、一機の航空機がもたらす破壊力を理解することができなかったのだ。この理解不足が、畏怖の念を生んだのだ。

大きなかたまりになった巨大な火力[軍事射撃能力、財力・実力、組織の目的遂行力](massive firepower)を心理的に利用することに加え、本書では宣伝活動[プロパガンダ]についても幅広く取り上げています。「このような支配を達成するための主要なメカニズムは、『衝撃と畏怖』の十分な条件を課すことによって、敵対者に我々の戦略的目的と軍事的目標を受け入れるように説得または強制することである」と著者は述べている。「筋道立てて、はっきりと、わかりやすく、疑うことなく、大掛かりなごまかしが可能となるように、詐欺行為、混乱、誤報、偽情報を大量に採用しなければならない」と。

戦闘における心理戦:これは1996年にワシントンの国防総合大学が発表した悪名高い「衝撃と畏怖」の教義(doctrine)の全文である。そのコンセプトは、敵[相手]の意志はもちろん、ターゲットとなる人々の認識や理解を完全にコントロールし、文字通り敵の行動や反応を不能にすることです。


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これらの言葉や記述はすべて、イギリス陸軍心理戦総局のマスター理論家であるジョン・ローリングス・リーズが、同総局の授業を受ける学生を訓練するために使用した教科書に見られるものであることは、注目に値する。

「衝撃と畏怖」のドクトリンは、[〈公共物などを〉専有・着服し盗む目的に]適切な場所・場合・事態には、[神学でいう罪に対する深い後悔による]消耗~自然減・離職、数などの減少・縮小によって軍事能力を組織的に破壊する戦略として説明される。圧倒的な力の行使によって相手に衝撃を与え、敵対者を麻痺させ、動揺させ、最終的には相手の精神的[道徳的]な破壊を成し遂げます。

国際人口開発会議(ICPD): この会議で発表された計画「行動綱領」では、大規模な宣伝活動を行うことを求めている。マスメディア、非政府組織(NGO)、商業娯楽、学術機関などを利用して、発展途上国の人々に出生志向[受精能力[繁殖力]の優先権のひいき・好み]を変えるよう、完全に説き伏せ「忠告しよう」[説き伏せよう]とする試みです。

途上国の代表者に配慮して原文を修正し、コミュニケーション活動を行うよう要請しています。寄贈者[(血液・精子・臓器などの)提供者、(金・服・食物などを寄付する人・組織)、財産などの贈与者]たちによる「権利擁護目的または特定のライフスタイルを促進する目的」の表示は、一般の人々がその目的を認識できるような方法で行うべきであるとし、「スポンサーの身元(identity)を適切な方法で表示すること」を強く主張しています。

この勧告は、援助提供者に強制的な制限を課しているわけではないが、この文書の「コミュニケーション」のセクションは、新世界秩序のアジェンダ[なされるべきこと](agenda)の中で非常に危険で政治的に爆発的な部分であることに変わりはない。


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ポピュレーション・コミュニケーション・プロジェクト: 米国国際開発庁(USAID)は、軍の心理戦争工作員から借用した戦術を用いた「マスメディア」影響力行使キャンペーンに数千万ドルを注ぎ込んでいる。USAIDは、タヴィストックと契約してプログラムを作成した数百の米国政府機関の一つに過ぎません。

実は、この事件でUSAIDの代理として働いていた業者は、米軍と契約して心理戦の指導マニュアルを開発していた。

エンター・エデュケート: エンターテインメントをプロパガンダに利用する: 若い観客[視聴者]は、外国のアイディア[思想]の正当性に疑問を投げかける傾向があるかもしれない他のコミュニケーション形式よりも、「エンターテインメント」の文脈で提供される[引き起こされた]メッセージによって、傷つきやすく、攻撃されやすく、脆弱な弱者になる可能性が高い。

このように、エンターテインメントとプロパガンダの手法は、USAIDの国際的な人口抑制管理活動の重要な一翼を担うようになりました。ここでもまた、エンター・エデュケートのオペレーターが教えるプログラムのために、何百万ドルという金がタヴィストックに渡っているのである。

プロパガンダが裏目に出るとき: 1994年にナイジェリア北部で行われた家族計画の意識と行動に関する調査研究。公表された報告書によると、否定的な反応は「部外者の不適切な不正行為に対する反発は、アメリカ(U.S.)の一般的な家族計画全般 - 特にアメリカが資金提供する家族計画プログラムについて」を示している。


ナイジェリア二国間人口計画:(米国国務省文書)。ナイジェリアの人口抑制戦略を実施するための、米国政府の主要計画文書。


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また、ラテンアメリカの政治運動、反戦活動、キャンペーン、草の根の政治組織化を弱体化させるために、アメリカ政府のプログラムで採用されている心理戦のプロパガンダの重要な要素として使われています。このプログラムの作成を請け負ったのが、タヴィストックである。


ポストモダンの戦争: 政治的/心理的戦争、諜報活動、大量虐殺(ジェノサイド)に関する資料メニュー


都市の集中解除[都市内分権]などの戦略: これはあまりに極悪非道な悪魔的内容なので、少なくとも今のところは掲載を見合わせます。


社会的影響力: プロパガンダと説得: - いくつかの役立つ背景情報。


ゲリラ戦における心理作戦: CIAが中米の準軍事部隊のために作成した戦術マニュアルで、タヴィストックが作成した。米中央情報局(CIA)はタヴィストックと契約を結んでおり、非常に密接に連携し合っている。


プロパガンダ分析研究所: 秘密裏に行われる影響力行使キャンペーンに関する基本的な事実が記載された資料集です。ここでもまた、研究所はタヴィストックのデータと、大規模に行われる大量使用のための洗脳方法のクリアリングハウス[商品取引における情報収集・提供、精算業務を行う機関]に過ぎないのです。

アメリカ合衆国の情報局の情報収集や分析に関与する米国政府機関の公式な[下へ書く]説明や、義務[関税]といった職務内容についてです。


秘密保持と政府公報: 秘密主義と政府速報政府の開放性を提唱する文書集。


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リポーターズ・コレクティブ: 国際機関や、その政策を支配管理する裕福で強力な国の最前線における隠れ蓑としての国際機関の役割について、信頼できる研究資料を提供する情報源である。リストに掲載されている機関の多くは、その指導者層(リーダーシップをとる幹部たち)はタヴィストックの社会科学研究者によって指導されています。

プロパガンダ、特定の態度や行動を誘発または強化することを目的としたアイデアや情報の普及: プロパガンダは、しばしば事実の歪曲や、情熱や偏見への依拠を伴うことが多いため、常に虚偽または誤解を招くと考えられている。タヴィストックのマニュアルにあるように、本質的な違いは、プロパガンダを行う者が、自分が支持する態度や行動を採用するよう聴衆を説得しようとする意図を持っているかどうかにあるのだ。ウィルソンとルーズベルトはこの決まり文句の例であり、1814年にブカニンがこの言葉を説明したように、二人とも欺瞞によって外交術に磨きをかけていたのである。


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第18章
ウィルソン、プロパガンダでアメリカを第一次世界大戦に巻き込む

大規模な近代的プロパガンダの手法は、第一次世界大戦(1914-1918)を皮切りに、特にアメリカやイギリスの政府にとって身近な存在となった。戦争が始まった当初から、ドイツとイギリスのプロパガンダ担当者は、アメリカへの同情と支持を勝ち取るために懸命に働いていた。ドイツのプロパガンダ屋は、ドイツ系の多くのアメリカ人や、アメリカに住むイギリスを伝統的に敵視していたアイルランド系のアメリカ人を多く惹きつけた。プロパガンダは今日の基準からするとかなり粗雑なものであったが、その精巧さの欠如はウェリントン・ハウスの膨大な生産物で補っていた。

しかし、やがてドイツは事実上アメリカとの直接の接触を断たれることになった。それ以後、イギリスのプロパガンダはアメリカではほとんど競争相手がおらず、ウェリントン・ハウスや、バーネイズ、あるいはリップマンに相当する人物を持たないドイツ人のプロパガンダよりもいっそう巧みに行われるようになったのです。

戦争に突入すると、ウッドロウ・ウィルソンはアメリカの世論を動かすために、公式のプロパガンダ機関である公共情報委員会を組織した。この委員会は、特にリバティボンドの販売で大きな成功を収めた。それもそのはずだ。そのプログラムは、タヴィストックがホワイトハウスのために書き、大部分がロンドンから指示されたものであるのです。

連合国がウッドロウ・ウィルソン大統領の「14箇条」を用いることで、勝者にも敗者にも公正な平和を約束するように見え、中央主権国[連合国内]の戦争継続に対する反対を明確にすることに大きく貢献した。


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ブライス委員会が行った嘘と歪曲[不当表示]については、本書の他の箇所で詳しく説明しています。この委員会は、あからさまな嘘を真実と見なすことに成功した最も不穏で憂慮すべき例の一つとなっています。また、当時世界最高のプロパガンダセンターであったウェリントン・ハウスでアメリカ人が演じ果たした役割についても、後ほど説明する。

第二次世界大戦のプロパガンダは、第一次世界大戦のそれと似ているが、イギリスが始めた国際銀行家の資金による第二次世界大戦がより大きな範囲に及んでいたことを除けば、である。ラジオが主要な役割を果たし、「ニュース放送」は常に事実とフィクションを多分に織り交ぜた混合物であった。海外での宣伝活動も活発であった。タヴィストック研究所は、1914年から1919年にかけて学んだ貴重な教訓をすべて実践することができ、その経験を新旧の国々でさまざまな新しい形で活用することができたのである。

ドイツとイギリスは、再びアメリカの世論に影響を与え動かそうとしたのだ。ドイツの宣伝担当者は、反英感情を利用して、戦争を共産主義との戦いであると表現し、ドイツを反共産主義の新しい潮流の無敵のチャンピオンとして描きだした。ドイツの工作員たちは、アメリカの「孤立主義」を支持するキャンペーンにも手を貸した。「孤立主義」とは、ドイツとの戦争に反対するすべてのアメリカ人を指す言葉[説明的なタグ]であった。

ドイツのプロパガンダ[宣伝活動]は、ウェリントン・ハウスやタヴィストックの専門知識やイギリスの資源(ルーズベルト政権がひそかに巨額の資金を援助した)にはかなわず、またしても効果がないことが証明されたのである。


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綿密に計画された真珠湾攻撃は、ルーズベルトの知るところとなり、スティムソンとノックスは、実際の攻撃の数カ月前から、この作戦に参加していたのである。

1941年12月、英国側に立って米国を戦争に駆り立てようと必死になっていたルーズベルトにとって、これは天の恵み[天罰?](godsend)であった。特に日本が真珠湾攻撃を行った後では; アメリカ国民は、ドイツが侵略者であるというプロパガンダと真っ赤な嘘に納得してしまったのです。

有名な飛行家リンドバーグをはじめとする多くの反戦派の上院議員による、ルーズベルトは信用できない、第一次世界大戦の場合と同様に、アメリカはドイツの戦争に介入する筋合い[権利]はない、という悲惨な警告は、プロパガンダによって鈍らされ弱体化した。しかも、ルーズベルトが十分承知していたように、真珠湾の「仕組まれた状況」が世論を変えてしまった。タヴィストックから流れた連合国のプロパガンダ活動は、枢軸国(Axis nations)の人々(peoples)と、戦争の唯一の責任者であると見なされる政府とを引き離すことを目的としたものであった。宣伝を伴うラジオ放送や空から投下されたビラは、連合国のプロパガンダを敵に届けたのだ。

第二次世界大戦中のアメリカの公式宣伝機関は、タヴィストックの「情報」を国内外に広める役割を担った戦時情報局(OWI)と、CIAの前身でありタヴィストックが生み出した戦略情報局(OSS)で、敵に対する心理戦の実施を担っていた。

ヨーロッパ作戦地域の最高司令部では、OWIとOSSは、タヴィストック研究所の社会科学者の指揮の下、心理戦部門と連携して軍事活動を調整していた。


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冷戦時代 - 第二次世界大戦後、アメリカとソ連の間には、明らかな利害の対立があった - プロパガンダは依然として国家政策の重要な手段であった。

民主主義国家も共産主義国家も、武力紛争に頼らずに目的を達成するために、多くの無関心な人々を味方につけるための持続的なキャンペーンを行った。国民生活や政策のあらゆる側面が、プロパガンダのために利用されたのである。

冷戦のもう一つの特徴は、脱北者、裁判、自白をプロパガンダに利用したことである。このプロパガンダ戦争では、当初、共産主義国が明らかに優位に立つと思われた。なぜなら、共産主義国の政府は自国のすべてのメディアを支配しており、国民を西側のプロパガンダからほぼ遮断することができたからです。

同時に、中央集権的な政府は、入念なプロパガンダキャンペーンを計画し、その計画を実行するための資源を動員することができた。また、他国の共産党やシンパからの援助も期待できた。一方、民主主義国家は、国民が共産主義者のプロパガンダにさらされるのを防ぐことも、それに対抗するために総力を結集することもできない。このような共産党政権の優位性は、1980年代の通信技術の進歩とともに失われていった。1980年代末、東欧の多くの共産主義政権が崩壊したのは、情報の拡散をコントロールできないことが大きな要因であった。米国情報局(USIA)は1953年に設立され、海外での宣伝・文化活動を行うとともに、「ボイス・オブ・アメリカ」というラジオネットワークを運営し、米国に関するニュースや情報を40以上の言語で世界のあらゆる地域に伝えている。


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第19章
歴史は繰り返されているのか?ブライス卿の場合

歴史家たちがイラク戦争を擁護したり非難したりすることに大きく関わっている今、この高名な歴史家でありながら、裏切り者、卑劣な、悔いなき嘘つきとして売国し、墓場へ向かったジェームズ・ブライス子爵[伯爵代理](Viscount James Bryce)のケースを振り返る良い機会になるかもしれない。ブライスは、ウェリントン・ハウスと不運にも関わる前は、誠実な歴史家として広く尊敬を集めていた。

第一次世界大戦が始まると、ドイツの残虐行為が英米の新聞を賑わせた。その大半は、ウェリントン・ハウスで作成され、メディアを通じて広まったものである。ほとんどの場合、パリ攻防戦の際、ドイツ軍に同行してベルギー経由でフランスの要塞を迂回した「ジャーナリストや写真家」の「目撃談」に由来するとされている。

ドイツ軍の歩兵がベルギー人の赤ん坊を銃剣で刺しながら歩き、軍歌を歌ったという目撃談がある。ベルギーの少年少女が両手を切断された(銃を使わせないため[切断手術を受けた]と思われる)という証言[記述]があふれている。乳房を切断された女性の話は、もっと早くから広まっていた。

残虐行為のオンパレードで、筆頭はレイプの話である。ある目撃者は、ドイツ軍が占領下のベルギーの町で、20人の若い女性を家から引きずり出して、村の広場のテーブルの上に寝かせて、それぞれが少なくとも12人の「フン族」(Huns)に犯され、それを他の師団が見て歓声を上げたと述べている。イギリスの費用で、ベルギー人のグループが、この物語を語り継ぐために全米を回ったのです。


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ウッドロウ・ウィルソン大統領は、彼らをホワイトハウスに盛大に迎え入れた。彼らの話は、アメリカを恐怖に陥れた。誰も彼らが目撃したレイプの話を確かめようとはしなかった。彼らが受けたとされる残虐な行為についての証言は、決して疑問視されることはなかった。

ドイツ軍は怒ってこれらの話を否定した。ドイツ軍に所属するアメリカ人記者も同様であった。1914年当時、ウィルソンは、2002年のイラク侵攻の際のジョージ・ブッシュとは異なり、まだ戦場レポーターを「管理」(managed)していなかったのである。イギリス[陸]軍には「組み込み」[従軍する](embedded)記者は存在しなかった。タヴィストックはまだ、選ばれた記者を軍隊に「埋め込む」[従軍させる](embedding)ことによって、真実を検閲する方法をまだ学んでいなかったのである。

英国で「残虐行為」について疑問を投げかける英国人ジャーナリストによるレポートが発表され始めると、ノースクリフはドイツの残虐行為に関するレポートを調査して報告する調査委員会の長にブライス卿を任命することを思いついたのである。実際、この提案はエドワード・バーネイズがしたもので、ウォルター・リップマンが承認していた。

そして、1915年初頭、英国政府はブライス子爵に残虐行為の報告を調査する王立委員会の長に任命したことを正式に発表したのである。ブライスは、当時最も有名な歴史家の一人である; アメリカ政府に関する本やアイルランドの歴史に関する本で広く賞賛された。イギリスの支配下にあったアイルランドの人々の過酷な運命を同情的共感を持って描いています。1907年には、イギリス系アイルランド人の外交官ロジャー・ケースメントとと協力して、イギリスのゴム会社によるアマゾン川流域のインディアンの恐るべき搾取の実態を暴露し、高く評価されたのである。

1907年から1913年まで、駐ワシントン英国大使を務め、人気者となり、愛される存在となった。


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正直(honesty)で誠実(integrity)という定評のある学者で、これほど称賛される人物はいなかっただろう。ブライスとその仲間の6人の委員は、著名な弁護士、歴史家、法律家の集まりで構成され、ドイツのあらゆる残虐な行為を見たという「目撃者」1200人の宣誓供述書[証言]を「分析」したのです。

ほとんどすべての証言は、難民としてイギリスに逃れてきたベルギー人によるものである; ベルギー兵とイギリス兵の証言は、フランスで多数収集された。しかし、委員はこれらの目撃者を誰一人として尋問さえしていない; その仕事は「法的な知識と経験を持った紳士」- つまり弁護士に任されることになった。主張されている犯罪は、まだ戦地であったため、いずれの報告書も現地での調査は行われなかった。

ベルギー人の場合は、家族に対するドイツ軍の報復を恐れていたので、一人も名前を明かさなかったのは妥当なことだと委員は述べている。しかし、イギリス兵の目撃者も同様に、明白な理由もなく、匿名にされたままだった。それにもかかわらず、ブライスはその序文で、自分と仲間の委員が証拠を「厳しく」検証したと主張している。軍人の証人は、厳密にはおろか、「調べ、検査」されるべきではないことを、誰も疑っていなかった。このような重大な過ちに対して、理由は一切示されず、タヴィストックはその後、嘘(lie)をついたのではなく、「虚偽の陳述」(misstatement)であるとしたのである。

「ブライス・レポート」は1915年5月13日に発表された。バッキンガム宮殿の近くにあるウェリントン・ハウスにあるイギリスの宣伝本部は、アメリカのほとんどすべての新聞にこの報告が行き渡るように仕向けた。ニューヨーク・タイムズ紙の見出しと副題にあるように、そのインパクトは絶大であった。


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 ドイツの残虐行為は証明されたと、ブライス委員会が発表

 個人犯罪だけでなく、ベルギーでは計画的な大虐殺も発生

 老若男女を問わず
 女性が襲われ、子供が残酷に殺され、放火と略奪が組織的に行われた。

 関係者による支持されている
 赤十字の白旗が無差別に発砲された:捕虜と負傷者が撃たれた。

 盾にされた民間人


1915年5月27日、アメリカのウェリントン・ハウスの工作員は、大規模な宣伝活動の成果をロンドンに報告した: 「連合国に敵対する新聞でさえ、主張された事実の正しさを非難する試みは少しもない。ブライス卿の評判はアメリカでも高く、懐疑的な見方は論外であった」。

ウェリントン・ハウスの責任者である、チャールズ・マスターマンは、ブライスにこう言った。「あなたの報告書は、アメリカを席巻し、きれいに掃除していますよ」と。

ロジャー・ケースメント卿は、ブライス・レポートを批判した数少ない人物の一人である。「ゲリラ隊員ともいうべき関係者[パルチザン](partisan)であるブライス卿を有罪にするには、歴史家であるジェームズ・ブライスに頼るしかない」と、ケースメント卿は激烈な怒りの論文「[破滅をもたらすほど有害で悪意に満ちた]嘘の蔓延と害悪の力」(The Far Extended Baleful Power of the Lie)で書いている。

この頃、ケースメントはアイルランド独立を激しく主張するようになっていたため、彼の反対意見はあまり注目されず、偏見に満ちた意見として退けられていた。


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クラレンス・ダローは、アメリカの因習を打破することで有名な弁護士で、表向きは有罪の依頼人の無罪判決を勝ち取ることを得意としていましたが、別の懐疑論者[キリスト教不信仰者・無神論者]でもあった。1915年の後半、ダローはフランスとベルギーに行き、ブライスが語ったことを一つでも証明できる目撃者を探しましたが、無駄でした。ますます疑惑が深まったダローは、ドイツ兵に両手を切断されたベルギー人またはフランス人の少年、あるいはドイツ軍に銃剣で刺された男女の子供を一人でも引き出せた者なら誰でも、1,000ドル - 1915年当時としては非常に大きな金額、21世紀では17000ドル以上 - を支払うと発表したのである。

名乗り出る者はいなかった。「被害者」の誰も報酬の請求に名乗り出ていない。ダロー自身、相当な額の私財を投じて広く宣伝したにもかかわらず、である。

戦後、ブライスが語った物語の資料を調べようとした歴史家たちは、そのファイルが「不思議なことに消えてしまった」と聞かされた。この「消えた」資料の捜索の開始を申し出る政府関係者や部署はなかった。

このあからさまな言い抜けを敢行する「厳しく[簡素に]テストされた」文書を、徹底的に偏見のない公平なテストを促したところ、ほとんどの歴史家はブライスの残虐行為の99%は捏造であると断じるようになったのです。この報告書を「それ自体、戦争の最悪の残虐行為の一つ」と呼ぶ人もいた。より最近の研究では、ブライス・レポートの捏造の割合が減少されてきている。というのも、数千人のベルギー人民間人が、ブライス・レポートの捏造に関与していたことが判明したからです。1914年の夏、ドイツ軍は女性や子供を含む数人を射殺したようで、多かれ少なかれ、ディナンの町での処刑など、行き過ぎたものを要約し、ブライス報告はウソを組み立て、パーセンテージの大きさを調整し総括したのです。

しかし、これらの現代の学者でさえも、ブライスの報告書が、レイプされたという報告や、(手足)切断や、槍で刺殺された幼児という話によって「激しく[汚物・不純物などで]汚染されていた」ことを認めています。彼らは、この重大な失敗は、ヒステリーと戦争への怒り[流行]に起因するものだと非難したのだ。

これはブライスにフリーパスを与えるに等しい。ダローの報告書に対する批判者たちの訂正の数は1パーセントにも満たず、ブライスの汚名を晴らすことができなかった。当時指摘されていたように、ブライス委員会の報告書の99パーセントは嘘であった。ブライス委員会のメンバーの間の通信は、文書の「消失」を免れた。それは、身体切断とレイプの話についての深刻な疑念を明らかにしています。こうした深刻な疑問は、ウェリントン・ハウスの残虐報告書のように英米では広まることはなかった。委員会の秘書の一人は、ドイツ軍のレイプによって妊娠したとされるベルギー人女性のイギリスの住所を多数渡されたが、徹底的な捜索にもかかわらず、リストにある住所を見つけることができなかったと認めている。

大々的に宣伝した「議員が2人の妊婦を匿った」という話も、詐欺であることが証明された。ブライスは、ブッシュとブレアが何度も行ったように、この否定的な証拠を無視したようだ。まれに、自分の仕事をし、気まずい質問をするジャーナリストもいた。

ブライス卿、学者は知っておくべきだった - そしてほぼ確実に知っていた - 赤子の手をひねる(槍で突き刺す)ような話し[ウソ]、レイプしたり、そして殺された女性の胸を切り落としたりするという話し[ウソ]は、何百年も前の「敵を憎め」という定番の作り話だったということです。野原や広場での集団強姦もそうだった。

ナポレオンのヨーロッパでの作戦をざっと調べただけでも、この種の「残虐行為」は何百と出てくるが、そのうち事実と判明したのはごく一部である。


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ブライスは学識ある歴史家であり、誠実さで定評のある学者であり、そのような捏造は即座に拒否するはずであった。彼は、「残虐な」話の大半がウェリントン・ハウス(タヴィストック研究所の前身)から発信されていることを、確実に知っていたのだ。その情報源を吟味してプロパガンダだと切り捨てるのではなく、ブライスは、それらすべてを「報告書」としてまとめ、おおむね事実であるとした上で、ドイツ軍とドイツ国民を全面的に非難したのです。これは、G.W.ブッシュと、いくつかのイスラム諸国の国民全体が「悪の枢軸」(Axis of Evil)に属しているという一般的に分類したことを彷彿とさせるものだ。

ブライスはなぜ捏造に反論せず、ドイツでの民間人処刑に集中したのか。すでに述べてきたように、彼は「事件」の大部分がウェリントン・ハウスの産物であることを知っていた。そして、もしそうしていれば、イギリス政府によるプロパガンダが広く利用されているという非常にやっかいな問題を提起することになっただろう。

ブライスが、彼の評判を汚す代わりに、なぜ名誉ある道を選んだのかには、重要な理由があった: 1914/1915年のベルギー陸軍は、シャツや帽子にピンで留めた徽章以外には軍服を着ない「国防市民軍兵」(パルチザン)が高い割合を占めていた。ドイツ軍は、侵攻してきたロシア軍に東側の弱い守り[戦線]を突破される前に、西側でどうしても勝ちたかったので、この民間人のような戦闘員に怒り、容赦なく攻撃したのです。

ドイツ軍が、当時適用されていたジュネーブ条約に基づく戦争のルールによって、民間人の銃撃に応戦し、あるいは発砲する権利があったことについては、決して報道されることはなかった。


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実際、1915年当時、1945年まで「パルチザン」は公平に扱われていたのです。一般市民は、たとえ帽子にバッジを付けていても、軍服を着た兵士を撃つ権限はなく、保護されることも、申し出る権利もなかったのだ。そう、それはジュネーブ条約で定められた戦争のルールであり、ブライス卿と彼の委員たちはそれを知っていたのだ。また、この重要な事実が、英米ではプロパガンダの形で喧伝され、英米人の心を捉えることに成功している。

ドイツ軍の野戦司令官の中には、明らかに正気を失い、ディナンのような町全体に過剰な報復をする者もいたようだ。

しかし、このような人たちでも、何らかの防御策は可能だった。ジュネーブ条約が何を認めているかという議論がが続くと、新聞読者はあくびをすることになる。彼らはブライスが与えたものを欲しがっていた - ドイツ軍(「ボシュ」)の「獣」が女性や子供、「非武装の民間人」に対して行った血と欲望、レイプと恐怖を知りたかったのだ。彼らは、ドイツの「フン族」が野蛮な獣であることを証明したかったのだ。そして、もし国民が騙されなかったら、ウェリントン・ハウス、そしてイギリス政府の戦争努力びよる成果は、大変なことになっていたことでしょう。

ブライス・レポートが、イギリスの戦争勝利に貢献したことは間違いない。アメリカ国民の意見に影響を与え、何百万人ものアメリカ人や他の中立の人々(27の言語に翻訳された)に、ドイツ人は人間の形をした醜い獣であると確信させたのである。ロジャー・ケースメント卿やクラレンス・ダローのような少数の「偏見」を持った部外者を除いては、ブライス卿が世界中に悪質な嘘をばらまいたことを非難する者は誰もいなかった。公正な心を持つ人なら、ブライスが自分を汚したことを決して許さないでしょう。


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そのような状況下でも、ウェリントン・ハウスは変わらずに存在し続けていたのです - [鬼籍に入られた]その存在を知っている人はほとんどいなかった - 重要な役割を担っていることは言うまでもありません。それは重要な仕事であり、洗脳に大きな打撃を与えたのだ。ブライスはといえば、王室と学問の栄誉に浴して墓に入った。穢れた名うての嘘つきであり、自らを穢した男だった。数百万人もの血で汚れた手で、真実を知る権利のある人から真実を盗んだ、巧妙な悪党だ。そして、それを知る権利のある大衆からも、何とか発見と暴露を逃れ、イスカリオテのユダに与えられる非難から完全に逃れることができたのです。

100年後の視点から見れば、この人物はもっと厳しい目で見られるはずだ。ブライス・レポートは、1918年の休戦後7カ月間ドイツ封鎖を維持するというイギリスの決定と明らかに関係があった。これは、ドイツを弱体化させ、二度と「同盟国」の脅威とならないようにするための計画の一部であった。

ドイツ軍に関するウェリントン・ハウスのプロパガンダの嘘は、第一次世界大戦におけるはるかに大きな残虐行為であり、すべてのドイツ人男女に復讐への渇望を抱かせた。ブライスは、ドイツに対する盲目的な憎しみを作り出すことで、第二次世界大戦の竜の歯を蒔いた[毒牙にかけた]のである。


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第20章
ウソを成功させる黒魔術: 1991湾岸戦争

このような背景から、1991年の湾岸戦争で見たものは、ブライス卿が実践した嘘を成功させるブラックアートの原点と、彼がいかに天性の機知に富んだ意図的な嘘つきであったかを強く思い起こさせるに十分な恐ろしさを持っていることであった。また、ウェリントン・ハウスや後のタヴィストックが、戦争の道具としいかに洗脳を行ったか、その洗脳をどのように封印していったかも思い知らされる。私がこの著作を書き、タヴィストックとその有害で悪質な影響力を暴露しようと決心した決定的な要因の一つであった。

湾岸戦争のとき、アメリカ国防総省はすべての報道機関を閉め出し、独自の報道官を任命してテレビ放送で事実と大きく異なる説明をさせた。私は彼を「ペンタゴン・ピート」と呼んでいる。彼は、タヴィストックが初めて使おうとした新しい言葉「コラテラル・ダメージ(巻き添え被害)」について陽気に語っている。この言葉が意味するところ、つまり、人的被害、死亡者、物的損害など財産の破壊の意味を一般大衆が理解するのに長い時間がかかりました。

その後、CNNが来て、「パトリオット」ミサイル防衛システムがイラクのスカッドミサイル(SCUDS)を撃墜することに成功したことを報じたが、これもプロパガンダのための演習だったことがわかった。CNNによれば、イスラエルを攻撃するスカッド(SCUD)は毎晩少なくとも1機撃墜されているという。戦争のさなか、『ワールド・イン・レビュー』だけが、スカッドミサイル(SCUD)は一発も撃墜されなかったと報じた。合計15発のSCUDがテルアビブをはじめとするイスラエルを攻撃したことを、誰もあえて報道しなかった。偽情報と誤報が蔓延していた。『WIR』だけが真実を伝えたが、読者数が少ないので、プロパガンダには関係ないと、宣伝屋は気にしなかった。


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そして、ワシントン最大のPR会社の一つであるヒルトンとノールズがアメリカ国民に行った巨大な詐欺事件があった。

ここでもまた、イラク兵がクウェートの新生児を保育器から取り出して床に投げ捨てたという涙ぐましい事件がまったくのデマであったことを、『WIR』だけがスクープしている。興味深いのは、ベントンやボウルズと同様に、ヒルトンとノウルズもタヴィストック研究所と長い付き合いがあることだ。両社とも「広告」代理店の代表格であった。

ヒルトンとノウルズのねつ造は、「目撃者」(彼女はたまたまワシントンのアルサバ家のクウェート大使の十代の娘だった)によって涙ながらに語られ、上院が合衆国憲法に違反して、ブッシュ長老にイラク攻撃の「許可」を与えるよう揺り動かしたものであったが、合衆国憲法にそんな規定は存在しないのである。イラクを攻撃するための "許可 "を得た。ブッシュ長老は、「私は知らなかった、ヒルトンとノールズを雇っていなかった」と言うことができたが、彼は明らかにアメリカ国民に対して行われた重要なプロパガンダの演出をすべて知っていたのである。彼が以前会ったことのあるクウェート大使の16歳の娘を認識できなかったなんて、誰も信じないだろう。

クウェート大使はヒルトンとノウルズ(ヒル・アンド・ノウルトン)に60万ドルを支払い、上院の前で手の込んだ詐欺を仕組んだのだから、上院委員会で嘘をついたとして逮捕されるべきだろう。この娘もまた、涙ながらに自分の体験を語ったにもかかわらず、罰せられないでいる。腹立たしいことに、その娘も逃げ出してしまった。「イラク兵が新生児を保育器から引き出して床に投げつけるのを見た」と涙ながらに体験を語る。


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実は、ナリタ・アル・サバ(ナイラ証言、Nayirah testimony)さんは、何年もクウェートには行っておらず、戦時中も行っていない。彼女は父親と一緒にワシントンD.C.の大使公邸にいたのだ。しかし、この嘘つきの子供とその父親は起訴されなかった。これこそ、タヴィストックのプロパガンダ専門家が言うところの "出来事の成功した作り直し "なのです。ナリタ・アル・サバの証言は、アメリカで大規模なメディアキャンペーンの中心となり、上院だけでなく、アメリカ国民を対イラク戦争側に揺さぶったことが知られている。

パパ・ブッシュは、「中東を安全にする」ために「サアダム」をイラクから排除しなければならないと、古いプロパガンダに耽溺した。(ウィルソンが「世界を民主主義のために安全にする」ために、アメリカ軍をフランスで死に追いやったことを思い出せ)。パパ・ブッシュは、石油カルテルの友人たちの目的に合うように、突然イラク大統領を中傷し、悪者扱いし始め、1913年のカイザーの場合のように、それが功を奏したのである。

ウィルソンのトリックを覚えている人はあまりいない。あるいは、ブッシュ大統領が言っていたことと、ブライスがウィルソンに話したこと、そしてウィルソンが第一次世界大戦を支持させるためにアメリカ国民に言ったことが、驚くほど似ていることに気がついたかもしれない。フセインはすっかり忘れ去られ、彼が引き起こしたとされる脅威も、すべて嘘の塊として片付けられてしまった今、我々が心配しなければならないのは「アルカイダ」のことなのだ。

ウッドロウ・ウィルソンは、消極的なアメリカ国民に、戦争は「民主主義のために世界を安全にする」ものだと、わかりやすいプロパガンダを使った。ブッシュも同じように、正真正銘の真っ赤なウソを口にした。


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「民主主義のための安全な世界」を実現するための犠牲は凄まじいものであった。ウィリアム・ランガー教授は、第一次世界大戦の死者数を1000万人、女性兵士、2,000万人の負傷者を出したと発表している。ロシアだけで900万人を失い、これは軍の75%という驚異的な数字である。この戦争の総費用はドル換算で1億8千万ドルに達し、これに1516億1250万ドルの間接経費を加えなければならない。


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第21章
兵士の記念碑と第一次世界大戦の墓地

ブッシュのイラク戦争の費用は、2005年半ばにはおよそ4200億ドルに達しており、ブッシュ一族は彼らの不運なベンチャー事業のためにもっと金を欲しがっていた。そして、アメリカ国民と彼らの情けない、無力だが役立たずの立法府の代表を知っているから、ブッシュは自分が望むものを手に入れるだろう。

第一次世界大戦の犠牲となった戦費ドルの数字は、罪を犯したウィルソンがアメリカにもたらした悲しみと苦しみを正当化するものではない。この悪夢のような戦争で失われた人命の悲惨さを、痛烈で個人的なタッチで表現している最近の記事をここに挿入する。

「数週間前、私は家族とともに、セントルイスのダウンタウン中心部にある兵士記念博物館を訪れた。1936年にルーズベルト大統領が、第一次世界大戦中にセントルイスで戦死した1075人の兵士を記念して奉納した、巨大で印象的な深い感銘を与える建物である。モザイクと大理石、テラゾの床、ベッドフォードの石造りなど、その記念碑は痛々しいほど美しい。その中心は巨大な黒御影石の記念碑で、そこには数百人もの死者の名前が整然と並べられている。

「この印象的な、しかし呪われた場所を訪れた日、そこには誰もいないように思えた。86年前にセントルイスから遠い国の栄光の戦いに旅立った少年たち、二度と故郷に戻ることのなかった少年たちの魂と声、そして青ざめた制服姿であふれていました。


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この痛みは、現在の紛争、残忍で血なまぐさいイラク戦争の影響を受けながら日々生活しているという事実によって、いっそう強くなっているのです。私たちは毎日、二度と家に帰れない少年たちのことを読んでいます」。

「生まれたばかりの娘を抱いて記念館や博物館を歩き回ったとき、最も印象的だったのは、それが私が生まれ育った故郷スコットランドで訪れた多くの記念館と同じように見えたという事実です。また、フランスやイギリス、カナダ、ニュージーランドの記念碑にも似ており、第一次世界大戦の殺戮に触れた他のほとんどの国の記念碑と同じように見えたのです。

「すべての戦争を終わらせる戦争」といわれた第一次世界大戦の大虐殺の影響を受けたほとんどの国で、男たちは軍隊に入ることを急ぎ、大きな熱意をもって戦争へと行進していった。彼らは、この戦争が短く、鋭い、成功した戦争であり、正当な理由のために戦われ、勝者には栄光がもたらされると信じていた。彼らは、自分たちがより良い世界を築き上げると信じていたのだ。

「彼らは間違っていた。第一次世界大戦では、4年半の間、毎日平均5,500人が死んだ: これは、1分間に約4人、4年半の間、1千万人が死ぬまで...である。第一次世界大戦は、単に人命を奪っただけでなく、19世紀の特徴であった文明人の進歩、繁栄、理性に対する信頼を破壊したのである。この戦争によって、ヨーロッパに行けば指導的な役割を果たせたかもしれない多くの次世代が破壊されてしまったのです......」。

「今朝、私は娘を抱いて座りながら、イラクで激化する暴力について毎日報道を読みました。そこでは英国人、イラク人、米国人の男性が死に続けています。セントルイスの兵士たち - 決して戦ってはならない戦争の記念碑 - 


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その亡霊が慰霊碑に取り憑いているのです。最悪の災害であり、この戦ってはならない戦争が、私を悩ませているのです」。

「米政権のネオコンブレーン[新保守主義者](Neo-Conservative)は、すでに未知数の犠牲者を出し、直接的・間接的にさらに多くの犠牲者を出すであろう中東戦争に乗り出す前に、このような場所を訪れ、これらの記念館の教訓についてじっくりと考えることが賢明であったろうと思う。

(インディアナ州エバンズビル大学歴史学部准教授ジェームズ・ラクラン・マクラウド博士執筆)。

私の体験も、マクロード教授の体験と同じようなものだった。私は、ベルダンやパッシェンデールの戦場を訪れましたが、そこでは、教授の言うような殺戮が行われた場所をとても見事に再現していました。1千万人もの兵士が若くして亡くなったこと、彼らが体験した恐怖、恐怖、悲しみ、そして残された人々のやり場のない悲しみを想像してみた。フランスに数多くある戦没者墓地の一つで午後の薄明かりの中に立ち、戦没者墓地を行進する何千何万もの整然とした白い十字架を見ている間、私は怒りに打ち震え、次に悲しみに圧倒された。あまりの残酷さに、盛りを過ぎて殺され残忍に切り捨てられた死者の苦悶の叫びと正義を求める声が聞こえ、頭上の雲に彼らの顔が映ったように見えたほどである。

一生忘れられない神秘的な体験でした。1919年にこの戦場を訪れた英国人将校の体験によく似ている:


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昨日、私は晩年の戦場を訪れました。そこはほとんど見分けがつかない状態だった。砲弾で引き裂かれた荒野の代わりに、野の花や背の高い草が生い茂る庭のような土地が広がっていた。何といっても、最も印象的だったのは、何千匹もの白い蝶が飛び交っていたことです。まるで、多くの兵士が倒れた場所に、死んだ兵士の魂がやってきたかのように。見ていて不気味だった。そして、その静寂! あたりは、しんと静まり返り、蝶の羽音が聞こえてきそうなほどだ。(ロンドンの大英戦争博物館所蔵の記録より)

私は激しい憤りを感じ、現代世界の災厄である大規模な宣伝[マス・プロパガンダ]の噴出から始まった恐ろしい戦争について、できる限りのことを調べようと決心したのです。このことも、この本を書き、タヴィストックの悪事を暴こうと思ったもう一つのな理由であった。ロジャー・ケースメント卿は、ブライス卿は反逆罪で絞首刑にされるべきだと考えていた。そして私は、ウィルソンも同様の運命をたどるべきだったと思う。プロパガンダが蔓延し、西側文明圏は失われた。

私たちの知っている世界、西洋文明が築き上げた世界は、もはや存在しないのです。シュペングラーの悲観的な予測は正しかったことが証明された。私たちはやがて、私たちの西洋文明世界ではなく、新しい共産主義社会主義の一つの世界政府のおぞましい建造物が、来るべき長い夜の闇の中から迫ってくるのを間もなく目にすることになるのである。

第一次世界大戦は、イギリスとその同盟国であるアメリカが、ウェリントン・ハウスの援助を受けて引き起こしたものであることに疑いの余地はないだろう。ウェリントン・ハウスの闇の力なしには、この戦争は起こりえなかったのだ。その主要な設計者であるグレイ卿の名は、裏切り者の不誠実な政治家として歴史に刻まれることになる。


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イギリスがなぜ第一次世界大戦を始めたかについては、コンセンサス[統一見解]が得られず、意見が一致していない。しかし、1916年までには、ドイツ軍はフランス軍とイギリス軍を決定的な方法で破っていた。ウィルソンはアメリカ軍をヨーロッパに派遣するよう強い圧力を受けていたので、ウェリントン・ハウスはアメリカ国民に対して全面的な宣伝戦を展開したが、それでもブライス報告が発表されるまでは効果がないままであった。

イラクで起こっていることを理解するには、1913年と1940年に英米の人々に対して展開された恐ろしいプロパガンダを十分に認識しない限り不可能である。ウィルソンが「正義の戦争」、「すべての戦争を終わらせる戦争」、「世界を民主主義のために安全にするための戦争」などという嘘を口にしたのは、歴史上最も暗く、最も汚らわしい時代の一つであった。この戦争の目的は貿易の安全を図ることであり、特にイギリスにとって、フランスは今、ドイツの産業に脅かされていたのだ。

しかし、その言葉は彼の真意を難解にし、本心を隠した言葉であり、その文脈では何の意味も持たない、まさに政治家に期待されるような言葉であった。社会面に掲載されているようなナンセンスな戯言である。

ウィルソンが語った「民主主義のために世界を安全にする」という話は、色とりどりの泡沫にすぎなかった。彼は、まさにその当時、大日本帝国に民衆の民主主義が存在しないことを確認していたイギリス人の側に立って戦争に突入することを提案していたのだ。

イギリスは、南アフリカで3年間続いた残酷な戦争で、ボーア人を残酷に仕留めたばかりであった。もしウィルソンが世界を「民主主義のための安全地帯」にしたかったのなら、侵略者であり戦争の扇動者であるイギリスに対して、ドイツの側に立って戦争をすべきだったのだ。


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それは「民主主義のために世界を安全にする」どころか、退廃的で不道徳な嘘つきの手によって、文明国に降りかかる最大の破滅であることが証明され、「大戦」(The Great War)と呼ぶにふさわしい戦争になった。もちろん、その規模や範囲において「偉大」(great)であったに過ぎないが。

100年前のウィルソンと英国エスタブリッシュメント体制が犯した罪を告白しない限り、米国がなぜ「唯一の大国」になったのか、決して理解することはできないだろう。ジョージ・ワシントンの警告にもかかわらず、米国は、他の主権国家の問題に絶えず関与してきた。その最初の例が、第一次世界大戦への参戦と国際連盟の失敗であった。ウィルソンは、ウェリントン・ハウスのプロパガンダの名手たちを最大限に利用し、スローガンを剣のように使って、消極的な上院に、国際連盟を批准しなければ、「世界の心を壊すことになる」と告げたのである。

キャボット・ロッジ上院議員をはじめ、多くのアメリカ上院議員が、冷静に考え、アメリカ憲法を検討した結果、国際連盟条約がアメリカの主権を奪い抑圧しようとするものであることを知り、批准を拒否したことに感謝したい。ウィルソンは、プロパガンダの性向を利用・悪用して、再選キャンペーンを「条約受諾のための偉大で厳粛な国民投票」と宣言し、事態を収拾しようとしたが、ブライス卿の後ろ盾がなく敗北し、政権から一掃されたのであった。

しかし、残念なことに、このプロパガンダはすぐに国際連盟の改良版である国連版として再編され、カムバックを果たすのにそれほど時間はかからなかった。トルーマン(ミズーリ出身の単なる帽子売りではなく、マスター・メイソン)は、この単一世界の建造物をアメリカ国内に建設することを許可することによって、アメリカ国民を裏切った。トルーマンは、ウィルソンが残したプロパガンダを利用して、有力な主要上院議員に自分の嘘に投票するように説得したのである。


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トルーマンがしたことは、アメリカ国民に、正義と真実に対する権力の悪魔、つまり銃口の先にある正義、真実を支配する悪魔との協定[条約]を結ばせることであった。第二次世界大戦では、人命の損失を顧みずに民間人居住区へ大量爆撃し、戦争が終わっていたにもかかわらず、日本では原爆を使用し、ラムズフェルドは違憲のイラク戦争で「衝撃と恐怖」という宣伝トリックを使用したのである。


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第22章
平和は大衆のものではない(平和は歓迎されない)

第二次世界大戦は、第一次世界大戦とほぼ同じパターンで進行した。ヒトラーと和平協定を結んだことで、ネヴィル・チェンバレンはタヴィストック研究所から強力なプロパガンダの集中砲火を浴びることになった。チェンバレンは300人委員会に公然と反発し、世界社会主義への脅威と見なされる新参者、つまりアウトサイダーを支持したのである。

世界はチェンバレンの真実を知らなかったし、彼が再び戦争を起こさないようにと決意した有能な政治家であることも知らなかった。また、彼が経験豊富で、平和のための公正な計画を持ち、公平な和平案を練っていたことも知らなかった - 確かにそれもそのはず - しかし、武器[軍需]商人は、ハゲタカ[弱者を食い物にする強欲な人間]がどっちつかずの態度をとり、この国の富と、それらの息子[子孫](their)の死骸[身体:生命を失ったもの、酒の空き瓶・たばこの吸い殻=貧困層?]を一掃するのを待っているのは不愉快であった。

ロンドンのタヴィストック研究所に設置された巨大なプロパガンダマシンは、チェンバレンが和平計画[和平交渉・和解索、沈黙期間(計画)の概要・段取り]を成功させた後、チェンバレンに対して直ちに行動を開始した。シェイクスピアは、「人の行う悪~悪の権化は淘汰されるがその後にも生き;善は、常にその[悪の]骨の中にあり、しばしばその骨と一緒に埋葬される」と言った。チェンバレンが行った善行は、戦争屋[ドイツの?温情主義者]には気に入られず、彼らはチェンバレンをプロパガンダと真っ赤な嘘の目録[一覧表]の下に葬り去った。

これらの嘘は、ピーター・ハワード、マイケル・フット、フランク・オーウェンといった、タヴィストック研究所に雇われたプロパガンダの専門家たちの仕業であった。このうちの一人は、「カトー」(Cato)というペンネームでチェンバレンを誹謗中傷し、2005年7月の今日に至るまで、彼の名前につけられた悪名が残っています。これがタヴィストックの強力なプロパガンダ・マシンの力である。


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後年、[人を陥れるべく不誠実極まりない]策略[~1杯のウソ]をたくらむプロパガンダの専門家らが仕事を終えてからずっと後に、イギリスの歴史家であり学者であるデイヴィッド・ダットンは、ネヴィル・チェンバレンという本を書いて、その中で元首相についてバランスのとれた査定を[補佐として判事の横に座り]くだしている。

チェンバレンは、「ヒトラーのカモ」「愚か者」とは程遠く、交渉力に長け、かなりの交渉力を発揮し、再び戦争が起こらないように勇敢に戦った非常に有能なリーダーであった。しかし、これは300人委員会の意向に反したものであった。チャーチルは「おいしい戦争」を手に入れたが、1941年までに「連合国」は膨大な兵力を失い、事実上ヨーロッパ大陸から追い出されてしまった。フランス、ベルギー、オランダ、デンマークは占領された。

ドイツはイギリスに寛大な条件を提示したが、[温厚な?]戦争屋のチャーチルは和平の申し出[和平工作]を拒否し、古くからの仕事仲間[長い年月を重ね栄養分を与えられ成長した便利で耐用性のある働き者(使役馬・馬車馬・仕事の鬼)・主な同盟国]であるアメリカに人、金、物資を提供し、[興味をそそられる]「おいしい戦争」を続けるように仕向けたのだ。

私たちは、アメリカ国民に「いつになったら学ぶのだ」と深い悲しみの中で、悲痛な声をかけています。いつになったらプロパガンダと本当の情報の区別がつくのでしょうか?いつになったら戦争の提案を憲法のテストにかけるつもりなのか。

ウィルソンは完璧な嘘つきで、合衆国憲法を憎んでいた; しかし、ウェリントン・ハウスが組織し、運営維持する大規模なプロパガンダ活動により、戦争への強い反対を押し切って、愛国心の旗印のもとに活動し、使命を果たすことができたのである。ウィルソン、チャーチル、ルーズベルトの間で、西洋のキリスト教文明に甚大な損害がもたらされたのである。しかし、この事実にもかかわらず、まるで、何百万人もの血をその手に塗ったことを払拭するかのように、プロパガンダの波が、彼ら[投資家の広報活動、アイルランド(人)の]の名前[個々を区別する音の組み合わせ、個々の名称・定義]の上に押し寄せ続けているのである。


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悪者にされるどころか、彼らの名誉を称えるモニュメントがヨーロッパ各地に数多く建てられている。アメリカでは、数十億ドルかけてフランクリン・D・ルーズベルトの記念碑が建てられる予定です。彼は、スティムソン・デイリーズが記録しているように、日本に「最初の一発を撃つ」ように仕向け反逆をたくらんだ人物です。真珠湾攻撃は、共産主義者の中国支配への道を開き、最終的には、一つの同じ世界政府の中で新しい共産主義・社会主義の新世界秩序を確立する道を開くことになったのである。絶望の谷の中で、この著作がアメリカ国民の目を開かせ、9.11の悲劇をきっかけに、今や妄想としか思えないプロパガンダに左右されない決意をさせる一助になればと願うばかりである。
<絶望の淵に立たされた私たちの唯一の希望は、この著作がアメリカ国民の目を開かせる一助となり、二度とプロパガンダに騙されないようにすることであるが、9・11の悲劇の後では、その期待もむなしく、それは偽りの希望に思える。>

私たちは最近、セルビアで不必要な戦争に突入させられたという不穏な[不必要な戦争に向けて急がせられる不安にさせるような]経験をしました。タヴィストックの専門家が手にした拡張されたプロパガンダツールを通じて、アフガニスタンとイラク、カイザーやチェンバレンを誹謗中傷するのに使われたのと同じ手段です。ミロシェビッチ大統領は悪者にされ、軽蔑され、ついには大統領職を追われた。ミロシェビッチ大統領は不法にも逮捕され、「追跡」のためにオランダに不法に移送され、カンガルー裁判所は約4年間、彼を「戦争犯罪」の罪で有罪にしようとしているのです。

ジョージ・ブッシュ・ジュニアは、戦争を止めることができると知っていたので、イラクの調停役に仕事をする時間を与えることを拒否した。それが戦争を防ぐことになると知っていたからである。彼は、国連の兵器査察団に仕事をさせることを拒否し、その代わりに、「イラクの独裁者」の手にある「大量破壊兵器」がもたらす「差し迫った危険」があるため、世界はあと10日も待てないと、あらゆるプロパガンダの悪意を持って宣言したのである。(「バグダッドの屠殺者」)


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こうしてまたもや、タヴィストック研究所の宣伝担当者たちと、アメリカのメディア、特にアメリカを代表する宣伝機関であるFox News Channelによって、嘘八百の洪水が押し寄せアメリカ国民は圧倒されたのである。

一方、今回はアメリカ人が幸運だったという面もある: 真実が明らかになるのに100年も待つ必要はなかったのである: 「大量破壊兵器」も「化学・細菌工場」も「ボストン上空のキノコ雲」を引き起こす長距離ロケットもありませんでした。(タヴィストックのプロパガンダと大衆洗脳の弁明者であるライス女史の丁重さ)とブッシュ氏と彼の共犯者であるイギリスのトニー・ブレア首相にとっては存在しないものだった。しかし、嘘の網にかかったにもかかわらず、上記の人たちは全員大統領の座に留まっている。彼らは、自分たちが真実だと誓った数多くの大嘘のために解雇されることもなく、そこから抜け出そうともしていない。カール・ローブやアレイスター・キャンベルのようなスピンマスター(磨き上げられた上品な嘘つき)の助けによって、批判をすくい上げ逃れようとさえしているのである。正義という大義が果たされ、セルビアとアフガニスタンへの爆撃という惨劇を起こした責任者たち、そして、イラクへの不当な侵略に関わった人々が、国際司法の法廷に引き出されて、その罪の責任を取らされることを期待したいものである。

ヨーロッパの戦場から、太平洋の戦場から、セルビアから、アフガニスタンから、死者の悲鳴、叫ぶ声[意見]が聞こえる; そしてイラクからも、「洗脳」[強制思想改造工作]が勝利し、プロパガンダが普及し優勢になったために死んだと嘆いている。この現代世界の災いは、タヴィストック研究所から、じめじめとした沼地から出るムカつくような悪臭のある汚れた不正が、荒れた暴風雨のごとく、(病気を起こす)瘴気(しょうき)の毒気[不健全な重苦しい雰囲気・悪影響]として流れ出て、世界を包み込み、真実を見えなくしているのだと。


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ウェリントンハウス、プロパガンダの主要メンバー

(1) ノースクリフ卿
(2) ウォルター・リップマン
(3) エドワード・バーネイズ
(4) エドワード・バーネイズとエレノア・ルーズヴェルト


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タヴィストックの社会科学研究者

(1) W.R.ビオン
(2) グレゴリー・ベイトソン
(3) R.D.レイング.


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(1) エリック・L・トリスト。タヴィストック研究所の社会科学研究者。
(2) レオン・トロツキー。マルクス主義指導者(本名レフ.ブロンシュタイン。)
(3) ウィリー・マンゼンバーグ。ロシアの優秀なスパイであり、プロパガンダの第一人者。
(4) ノースクリフ卿とアドルフ・ヒトラー。


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(1) H.G.ウェルズ。イギリスの作家。フェビアニズムの第一人者、シークレットサービスエージェント。世界大戦の執筆者。
(2) ジョージ・バーナード・ショー。アイルランドの劇作家、フェビアン主義者。
(3) ワルター・ラテナウドイツを代表する実業家。カイザー・ヴィルヘルム2世の財務アドバイザー。
(4) バートランド・ラッセル卿。イギリスの社会主義者、作家、"300人 "の長老政治家。


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(1) カイザー・ヴィルヘルム2世ウェリントン家は、ドイツの指導者を "ブラッディ・ブッチャー"と誤って悪評を流した。
(2) ヴィクトリア女王は、ヴィルヘルム2世のいとこであった。
(3) 国王ジョージ5世
(4) ウッドロウ・ウィルソン アメリカ大統領。社会主義を公言。


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この悪名高いプロパガンダ絵画は、カイザー・ヴィルヘルム2世が、自らが撃ち殺したベルギー人女性や子どもたちの前に立っている姿を描いている。この絵とウェリントン・ハウスが制作した同様の絵が英米の新聞に掲載され、ベルギーの子供たちのそばにヴィルヘルム2世が立ち、切断された両手から剣の血が滴り落ちている様子が描かれている。


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(上)モスクワで「部隊」を「閲兵」するトロツキー。これは、西側[欧米]の新聞に氾濫した何百枚ものプロパガンダ写真の一つである。

(下)第一次世界大戦の数十に及ぶ凄惨な肉弾戦を描いている。その残虐さと殺戮によって、両陣営の生存者は精神的な傷を負い、経験したことに取り憑かれ、悩まされることになった。


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右の雷
(1) ショーン・ハニティ(2) ラッシュ・リンボー
(3) タッカー・カールソン(4) マット・ドラッジ
(5) G・ゴードン・リディ(6) ペギー・ヌーナン
(7) ブライアン・ウィリアムズ(8) ビル・オライリー
(9) ローレンス・クドロー(10) ディック・モリス
(11) ジョン・ストッセル(12) ウィリアム・ベネット
(13) オリバー・ノース(14) マイケル・サヴェージ
(15) マイケル・レーガン(16) ジョー・スカーボロ


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第23章
タヴィストック研究所:英国による米国支配

タヴィストック人間関係研究所は、ロンドンと英国サセックス州のサセックス大学の敷地内にあり、その研究施設のほとんどがここにある。タヴィストックは、私が1969年の初めにその存在を明らかにしたときと同じように、今日も重要な存在である。私は、タヴィストックのサセックス大学の施設のすぐ近くで働いていて、その歴史をよく知っていたので、タヴィストックに加担していたと非難されたことがある。

タヴィストックの最近の活動の多くは、アメリカでの生活様式や政治制度に大きな影響を及ぼしており、現在もなお影響を与え続けている。中絶推進派の宣伝[プロパガンダ]、薬物の蔓延、ソドミー[男色(肛門性交)や獣姦(じゅうかん)など、自然に反した性愛](sodomy)とレズビアニズム、家族の伝統、そして憲法に対する激しい攻撃、外交政策における不正行為、失敗するようにプログラムされた経済システムなどの背後に、タヴィストックがいると考えられているのである。

ジョン・ローリングス・リースを除けば、エドワード・バーネイズ(ジークムント・フロイトの双子の甥)とクルト・レヴィンほど、タヴィストックで形成された世界政治と世界の出来事に影響を与え大きな変化をもたらした人物はいないでしょう。タヴィストックで教鞭をとったことはないが、「第三の男」をここに加えなければならない。つまり、ウィリー・マンセンバーグである。彼のプロパガンダの方法と応用は、現代のマス・コミュニケーションにとって極めて重要であり、彼は「世界最高のプロパガンダ作家」という称号を獲得したのである。間違いなくその時代の最も優秀な人物で(第一次世界大戦前から活動をしていた)、ロマノフ王朝を倒した後のボルシェビキを浄化する役割[制裁]を担当した人物である。


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ミュンゼンバーグは、バーネイズやルインが実践した思想や手法を確実に形作っていた。ロート・カペルのカペルマイスター(スパイ組織「レッド・オーケストラ」の指揮者)であるレオン・テッパーの伝説的な活躍[実績](exploits)によって、ミュンゼンバーグは現存するすべての情報機関のスパイ・マスターとなったのである。テッパーはミュンゼンベルクに鍛えられ、決して捕まることはなかった。テッパーは第二次世界大戦における英米のあらゆる機密情報にアクセスすることができた。「同盟国」が打ち出した秘密計画で、テッパーがまだ知らないものはほとんどなく、モスクワのKGBやGRUに情報を流していた。

その分野ではバーネイズも同様に優秀でしたが、彼のアイデアのほとんどは、有名な叔父のシグムンドから得たものではないかと私は考えている。プロパガンダに関する彼の考えについては、彼がマンゼンバーグから「借用」したことは疑いようもなく、このことは1928年に出版されたバーネイズの古典『プロパガンダ』に反映されている。この本のテーゼは、政府が公式の政策に準拠[適合]するように世論を組織化することは全く適切であり、当然の権利であるというものである。このテーマについては、後でまた触れることにしよう。

ミュンゼンベルクは、バーネイズやドイツの大衆啓蒙大臣ヨーゼフ・ゲッベルス(宣伝省と呼ばれていた)よりもずっと前に、プロパガンダに関する自分の基本的な考え方を実践するほど大胆だったのである。

ナチス党のプロパガンダ専門家はミュンゼンベルクの仕事を大いに賞賛し、ミュンゼンベルクの方法を自分たちの宣伝プログラムの主要なモデルとして使用した。ゲッペルスはメンゼンベルクをプロパガンダの「父」と呼ぶことに常に注意を払っていたが、彼について知っている人はほとんどいなかった。


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ゲッペルスは、特に、1921年にヴォルガ地方の2500万人の農民を殺した飢饉によって生じた衝撃的なプロパガンダを薄めるために、レーニンがメンゼンベルクに依頼したときに、メンゼンベルクがプロパガンダの科学に精通していたことを利用したかについて考察している。 その結果、ドイツ生まれのメンゼンベルクは、ボルシェビキのお気に入りとなった。 最近の歴史的な記述を引用する:

「ミュンゼンベルクはベルリンに戻り、後に共産党の代議士として帝国議会の議員に選出された。彼は、ソビエト連邦の飢餓労働者救済組織のための外国委員会という偽の『慈善事業』を設立する責任を負っていた。その目的は、ハーバート・フーヴァーのアメリカ救済組織以外のところから人道支援を受けているように世界に見せかけるためであった。ミュンゼンバーグはこの点で完全に成功を収めたのです」。

ミュンゼンバーグは、旧ウェリントン・カレッジの理事会の目に留まり、1921年にタヴィストック人間関係研究所と改称し、元英国陸軍心理戦事務局のジョン・ローリング・リース少将の指揮のもと、その活動を開始した。

ミュンゼンバーグが採用し、完成させた手法の多くが、バーネイズとその同僚であるクルト・レヴィン、エリック・トリスト、ドルウィン・カートライト、H.V.ディックス、W.R.バイオンによってタヴィストックで採用され、彼らがその手法を中央情報局(CIA)に教えたことは、私の仕事を追ってきた読者にとっては驚くべきことではないだろう。

米国で起こった出来事に大きな影響を与えた共産主義者は、ミュンヘンベルクだけではなかった。私は、タヴィストックが、1973年に最高裁に提出された「妊娠中絶に関する準備書面」の作成に協力したと考えています。


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しかし、実際は、ソ連における「女性解放運動」の創始者であり、「自由恋愛」の提唱者であるコロンテイ夫人が書いたものを、オリジナル作品として再現したに過ぎない。

ボルシェビキの人民委員[コミッサール]であり、指導的立場にあった彼女の著書は、キリスト教国家において最も重要な社会的単位である結婚と家族の神聖さを攻撃する戯言[痛烈な批評]であった。もちろん、コロンテイの「フェミニズム」は、1848年の『共産党宣言』のページからそのまま引用されたものである。

有名な『1984』を書いたMI6のエージェント、ジョージ・オーウェルは、ミュンツェンベルクの仕事を詳細に研究していた。実際、彼の最も有名な発言は、ミュンツェンベルクが次のように述べたプロパガンダに基づくものであった:

「政治的な言葉は、嘘を真実らしく、殺人を立派なものにするために作られる。純粋な風[清潔でで、学問・理論的に無意味な言葉]に、堅実さという外観を見せるよう意図され作られている」。

ドイツのミュンツェンベルクが言ったように「すべてのニュースは嘘であり、すべてのプロパガンダはニュースに見せかけられる」。

ミュンツェンベルクについて知ることは、政治家がどのように活動し、秘密勢力がどのように情報へのアクセスをコントロールし、世論がどのように方向づけられ、そして形成されていくかを理解するのに役立つからである。バーネイズは確かに師匠に従い、その方法論から逸脱することはなかった。このようなことを理解しなければ、ジョージ・ブッシュ大統領がどうしてそのようなことを実行することが可能で、その結果に直面する必要がないのか、決して理解することはできないだろう。それは確かに、彼の政策に影響を与えたいわゆる「新保守主義者」(Neo-Conservatives)の起源を、その創始者であるアーヴィング・クリストルまでさかのぼることができた。彼は、レフ・トロツキーの信奉者であることを公言していた。


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タヴィストックは、行動修正、意見形成、政治的出来事の形成に関連するすべての研究施設の母体[親類関係]であり続けている。タヴィストックがやったことは、「20世紀における欺瞞[ぺてん]のブラックホール」を作ることであった。もし、メディアが売春[堕落・悪用]をし、『ジョージ・オーウェルによる福音書』を広める役割を担っていなければ、その任務はもっと困難なものとなっていただろう。

タヴィストックの前身であるウェリントン・ハウスの責任者であったノースクリフ卿は、メディア界の大物で、一時は毎週何千部もの『デイリー・メール』をフランスに送り、それをモータートラックで前線のイギリス軍に運び、「戦争支持の心をつかむ」(第一次世界大戦)こともやっていた。

特にここアメリカでは、マサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフォード研究所、エサレン研究所、ウォートン・スクール・オブ・エコノミクス、ハドソン研究所、キッシンジャー研究所、デューク大学、その他多くの、我々が完全にアメリカだと考えている多くの〔特殊な目的を持つ〕(公共)機関、(公共)施設、(公共)団体、協会、機構...などが事実上乗っ取られてしまっているのだ。

ランド研究開発公社は、タヴィストックの指導の下、私たちの社会の非常に多くの機関や分野に大きな影響を及ぼしてきました。ランドは、タヴィストックに直接支配されている主要な研究機関の一つとして、大陸間弾道ミサイル(ICBM)計画を担当し、米国の外交政策立案者のために主要な分析を行い、核政策(nuclear policies)に関する助言を行い、マインドコントロールの分野では、CIAのために数百ものプロジェクトを実施してきた。

ランド社の顧客には、AT&T、チェースマンハッタン銀行、米空軍、米エネルギー省、B.M.などがある。ランド社は、政府、軍、宗教団体などあらゆるレベルの洗脳を専門とする世界有数のタヴィストック支配の機関である。


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英国国教会のデズモンド・ツツもランドのプロジェクトの一つであった。

別の例を挙げてみましょう; ジョージタウン大学は、おそらくアメリカでもトップクラスの高等教育機関である。1938年以降、ジョージタウンの組織はタヴィストックに買収され作り変えられました - そのすべての研究形態やプログラムは、タヴィストックの「頭脳集団」[シンクタンク]が作成した設計図に合わせて、すべて去勢[変更]されたのである。

このことは、米国の政策、特に外交関係の分野で重要な意味を持つことになった。米国国務省の現地職員は、例外なくジョージタウン大学で研修を受けている。

ジョージタウン大学(タヴィストック)の卒業生でよく知られているのは、リチャード・アーミテージとヘンリー・キッシンジャーである。ジョン・ローリングス・リースの顔・姿を見せない[財務諸表に表れない、貿易外の、人・問題などが無視されなおざりにされている]隠れた透明軍団(Invisible Army)のこの二人が、我が国の幸福・繁栄・健康・福祉にどれほどの損害を与えたかは、別の機会に語られなければならないだろう。

タヴィストックが諜報機関への関与を強めているという証拠が増えている。米国で諜報活動といえば、一般的にはCIAやFBIの第五課を思い浮かべるのが普通である。

しかし、タヴィストックから指示を受けている情報機関は他にもたくさんあるのです。 その中には、国防省情報局(DIA)、国家偵察局(NRO)、海軍情報局(ONI)、財務省情報局(TIS)、国務省情報局、麻薬取締局(DEA)など、少なくとも10の機関[情報局]が含まれている。


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タヴィストックは、いつ、どのようにしてその活動を始めたのだろうか。1969年と1983年の著作で述べたように、私たちはタヴィストックといえば、その創設者である英国陸軍のジョン・ローリング・リース少佐のことを自動的に思い浮かべることになる。1969年まで、タヴィストックの存在を知っている人は英国情報機関関係者以外にはほとんどおらず、ましてやロンドンとサセックスにあるその施設で何が行われていたかを知っている人はいませんでした。

タヴィストックは、この国中のどの都市でも気付く不吉な性質のサービスを人々に提供していた; 地方や州の役人や警察を握り手のひらの上で操っているような人たちに。

アメリカの主要都市でも同様で、フリーメーソン団主義[暗黙の共感](Freemasonry)のイルミナティ・メンバーが秘密の支配力を利用して、権利章典上いたる所をうろつき、思うままに罪のない市民を威嚇して恐怖に陥れ、非人間的な仕打ちで残忍な虐待行為を行って[人を獣的にして]いるのである。かつてこの国を偉大にした政治家たちはどこにいるのでしょうか。その代わりにいるのは、自分たちが作った法律を守らせない議員たちであり、あらゆる方法で溢れている明白な誤りを正すことを恐れる議員、もし彼らが宣誓に従い守れば、自分たちが職を失うことになるかもしれないと恐れている議員たちがいる。

彼らはまた、憲法が何であるかについて漠然とした考えすら持っていない議員であり、気にも留めていないようである。彼らは、その合憲性が問われることのない「法律」を通してしまうのです。とにかく議員の大半は、その方法を知らない。その結果、ワシントンでは無政府状態が蔓延している。下院と上院の選挙に立候補したほとんどの候補者は、タヴィストックやその米国内の関連会社の行動修正科学者によって、一人一人注意深くチェックされ、プロファイリングされていることに衝撃を受けるかもしれない。提案に柔順で[アドバイスを受け入れ]、コントロールしやすいと判断された候補者は[患部が腫れてふくれ上がり][息切れして][大げさな推奨・誇大自己宣伝]「誇張化」しているのです。


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議会には違憲無法の精神が蔓延しており、「ブレイディ法案」(Brady)やファインスタインの「アサルト・ウェポン」法案のような措置に侮辱されるのはそのためだと言えば十分であろう。

「アサルト・ウェポン」と2003年の「国土安全保障法」と「米国愛国者法」は、憲法のどこにも出てこないので、すべて禁止されています。ファインスタイン氏の「法律」は、タヴィストック研究所の仕事のように似ており怪しく見える。憲法は国の最高法規であり、「銃規制」法は無効である。

銃は個人の所有物であり私有財産です。銃は州をまたぐ商取引の一部ではありません。健全な精神を持ち、合法的な年齢で、重罪犯(felon)ではないすべての米国市民は、どんな場所ででも、何丁でも[どんなに多量でも]銃器[武器]を保有し、所持[携帯]する権利があるのです。

これは、偉大なるセント・ジョージ・タッカーの言葉であり、こう宣言している:

「合衆国議会には、各州の国内に関する事項を規制し干渉する権能を有しない。財産権[所有権]に関するいかなる規則をも制定することは、彼ら(州)に属するものである。また、憲法は、どんな場面でも、いかなる目的であれ、またいかなる数であれ、国民が武器を持ち、平和的に集会を行うことを禁ずるものではない」とある。(『ブラックストーンの憲法に関する見解』315頁)

コントロールしにくい候補者、タヴィストックのプロファイルに合わない候補者は排除される。その際、タヴィストックの指揮下にある印刷物や電子メディアは -- タビストックの指示の下に -- またはその関連会社が重要な役割を果たす。有権者に[見張り、~に~しないように]用心させ、国民[大衆]には[~に~しないように]気をつける。


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「内的指向性条件付け」と「長距離遠隔浸透」によって、この国の人々の心と認識、思想や考えをコントロールしている。このマインドコントロールの科学である世論調査[投票](polling)は、その不可欠な要素である。タヴィストックは、1776年のアメリカ革命の勝利を奪うために、そのすべての要素、あらゆる方面で、黒い貴族に仕えていた。もし読者が「黒い貴族」(Black Nobility)を知らないなら、もちろんこの言葉は黒人(black people)を指しているのではない。500年以上の歴史を持つ超富裕層のグループ、王朝[ある分野の支配者群・権力者の継承、その統治期間]を指し、300人委員会のバックボーンを構成しているのである。

国際活動領域に関しても、アメリカの外交政策を決定する機関においても、タヴィストックはあらゆるレベルの政府機関で心理的な特徴分析[プロファイリング]を行い[政府を精神分析し]、(公人の)私生活への侵入も実に膨大な規模で行っているのです。

タヴィストックは、ローマクラブ、チーニ財団、ジャーマン・マーシャル・ファンド、ロックフェラー財団、ビルダーバーグ、CFRと三極委員会、ディッチリー財団、国際決済銀行、国際通貨基金(I.M.F)、国連と世界銀行、マイクロソフト、シティバンク、ニューヨーク証券取引所などに対してプロファイルとプログラムを開発してきました。 これは、タヴィストックのプランナーの手になる機関の完全なリストではありません。

1991年のブッシュ湾岸戦争に先立つプロパガンダの嵐は、タヴィストックによって作成されたアメリカの大規模な人口集団の心理的プロフィールを中心に展開された。その結果は、マディソン・アベニューの「広告代理店」(advertising agencies)とも呼ばれるオピニオンメーカーに手渡された。


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このプロパガンダは非常に効果的で、2週間もすると、イラクが地図上のどこにあるのか、ましてやその指導者が誰なのかも知らなかった人々が、声を上げ始め、「アメリカの利益を脅かす独裁者」に対する戦争を要求するよう叫び、騒ぎ始めたのである。怖いですか? はい、しかし残念ながら100%事実なのだ。「湾岸危機」[大きな隔たり・越えがたい溝ペルシャ湾諸国との決定的なもの → 将来を決する重要な分岐点]という言葉そのものが、300人の委員会の代表的旗艦企業であるブリティッシュ・ペトロリアム(BP)に代わって、ブッシュの戦争への最大限の支持を呼び起こすためにタヴィストック研究所が作り出したものである。

私たちは今、次のことを知りました -- 少なくとも私たちの何人かは知っている -- 難読化[不明瞭化]、嘘、偽り[隠蔽]、不当[虚偽]表示[によるゆがめた説明]、そして徹底的な詐欺に基づいて世論[民意]を形成することに関し、タヴィストックがいかに重要な役割を担い果たしてきたかということです。タヴィストック人間関係研究所に匹敵する[ろうそくを立て保つことができる]〔特殊な目的をもつ〕機関は、世界中どこにもないでしょう。1984年に更新したレポートから引用します:

「起こっている変化に追いつきキャッチしている機関や出版ビジネスがいくつかあります。『エスクァイア誌』の最新号には、『ディスカバリング・アメリカ』[アメリカ発見](Discovering America)という記事が掲載されています。『エスクァイア』はタヴィストックについて名指しで触れてはいないが、こんなことが書かれている: 1970年代の社会革命(非常に重要なフレーズ)の間に、ほとんどの儀式や個人的な交流による相互作用、そして制度的な生活のほとんどが根本的に変更された。当然のことながら、こうした変化は、わたしたちの未来を認識する方法[将来観]にも影響を及ぼしています...。アメリカの経済的基盤が変化し、新しいサービス[儀式・礼拝・勤務・軍務・部門]や製品[結果・出身者]が提供されるようになった。

その後、記事ではさらに、私たちの職業生活[プロの人生]、余暇、教育制度が変更されており、さらに重要なことに、子供たちの考え方が変質している[子供たちについての考え方が変更[去勢](altered)されている]と述べているのである。『エスクァイア』の記事の書き手は、次のように結論付けた:


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「アメリカ(America)は変わりつつある、将来の方向性と同様に[それがとるであろう指示が将来がそうであるように]変貌しつつある、そしてそれはどこへ行くのか...時折、私たちの新しいアメリカの(全体を組み立てる部分品、仕切られた場所、アメリカ(American)という章における段落。〈精神病の人を〉精神病棟に強制収容する)セクション(『エスクァイア』の将来のエディション[普及版・豪華版などの本の体裁による版(~改訂・増補または判型・定価などを変更して新しく印刷発行したもの)]に約束されている)は、新しい考え方のほとんどがアメリカの生活の主流に忍び寄っているので、それほど新しく見えないでしょうが、それは注目されず見過ごされていたのだから...」。

「時代[時の経過]がすべて[物事]を変える」という誤謬[誤った推理]について、私はこれ以上うまく説明することができない。 何もそれ自体で勝手に変化が起こるものではなく、すべての変更は、秘密裏であろうと公開されたものであろうと、慎重に操作されたもので設計[画策]されているのです。「エスクァイア」は、「わが人々」が抵抗しようとした変化 - 大部分は望まない変化について - に誰が責任があるのかについては述べていませんでしたが、ほとんどの場合、望ましくない変更についてである。(首都は意図されているのだ)

「エスクァイア」だけが物議を醸しているわけではありません。何百万人ものアメリカ人が、自分たちの未来を形成している力について全く知らずに暮らしているのです。彼らは、アメリカがタヴィストックの「内なる方向への長距離[長期的遠隔]浸透操作透視法」[内面的な方向性を示す長距離長期普及率方法]によって徹底的に「条件づけ」されていることに気づいていないのです。最悪なのは、この数百万人もが、タヴィストックの条件付け(アメリカ人にタヴィストックが考えさせたいように考えさせるように仕向けられている)のせいで、もはや気にも留めていないように見えることです。彼らは、「長距離浸透法」によって「内なる条件付け」を受けてきたため -- タヴィストックが開発した洗脳のための支配計画[コントロールプログラム]によって、国民は長い間洗脳され、今では常に「シェルショック」[戦争神経症](shellshock)状態に陥っているのです。

後述するように、このような無関心と無知には、それなりの理由がある。私たちが国民[国家]として被った望まない強制的な変化は、タヴィストック研究所のジョン・ローリング・リースに加わった数人の熟練した理論家[論客]・技術者の[研究・努力・著作物・仕掛け...による]仕業[工作]でした。


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第24章
洗脳がアメリカ大統領を救う

あえて言えば、私が何年もかけてリース(Reese)とその仕事を暴露してきた私でもあえて言うならば; 95パーセントのアメリカ人(Americans)は、彼が誰であるか、彼が米国(United States)にどんな損害を与えたかを知らないのです。わたしは危険を伴う冒険的事業として、このことを指摘しているのです。

この相当数の公民権をもった国民たちは、今日でさえ、自分たちがいかに「新しい考え」、「新しい文化」、と「新しい宗教」[新興宗教]を受け入れさせられ、操作されてきたかにまったく気づいていないのである。彼らは、重大な[力で乱暴に扱い名誉を汚す]暴力[違反・侵害・侵入・裏切り・不敬・冒涜・妨害・強姦]を受けているのに気づいていない。彼らは、特に、世論調査[(選挙の)投票](polling)による意見形成[世論操作](opinion making)に関しては、いまだに暴力を受けており、何が起こっているのか分からない状態です。

私の主張[論争]を例証すると、クリントン元大統領がスキャンダル[語源:わな・つまずきの石]に次ぐスキャンダルを生き残れたのは、アメリカ国民(American people)が彼の突飛な行動に弾劾手続きを求めるほど関心を持たなかったという世論調査の結果に基づいている。これで良いのだろうか?人々はみな、本当に風紀[公序良俗]を気にしなくなったのだろうか?もちろん、そんなことはない!

この状況は、タヴィストック研究所が[工夫し]教えた[わざとらしく不自然な]人為的に仕組まれたものであり、各投票者[世論調査員](polltaker アイルランド語?)はタヴィストック方式の意見作成(public opinion)と意見形成[世論操作](opinion making)の訓練を教え込まれて、「正しく見える」[(彼らが意図した)正しい結果となる]ような「答え」を出すようになるのです。

G.W.ブッシュ大統領も「生存者」のリストに加えることができる。彼は、イラクで[不法入国者による]違法な(憲法違反の)戦争を始めるために、[騒々しく、しつこくて、図々しい]あからさまな嘘をついたにもかかわらず、職を解かれていない。憲法上、宣戦布告はされていないので、これは違憲なのだ。


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また、米国が自国に対して交戦行為を行っていない他国を攻撃することは、米国憲法に規定されていない。なぜブッシュ大統領は弾劾されずにすんだのか?その答えは、タヴィストック研究所とそ、の集団洗脳能力でウソが拡散され、間違った印象を与えられた状態にあるからです。

1946年にアメリカに全面戦争を仕掛けた後、タヴィストックが取り組んだ初期の仕事の一つは、アメリカ国民に「[2つのものが代わる代わる交替で行われる]別の生活様式」の受け入れを強制することであった。タヴィストックの文書には、ある運動の指導者たちが、議会がその変更を強行するまで、連邦のほぼすべての州で犯罪として認識され、そして、いくつかの州では今も犯罪として認められている行為を、国民が合法的に受け入れるよう強制したことが記されている。私が言っているのは、よく知られている「ゲイのライフスタイル」[同性愛者の生活様式](gay lifestyle)を指しているのです。

この「変化」プログラムが開始される前に行われた入念なプロファイリング分析は、最もシンプルな言葉で綴られていたにもかかわらず、何も知らない人々[素人]には信じられず、「薄気味悪いSF」[ぞっとするような空想科学小説]と一蹴されたのである。大多数のアメリカ人は、タヴィストック研究所が1946年に自分たちと戦争をしたことも、それ以来、国民がその戦争に負け続けていることも知らなかった(2005年現在も知らない)。

タヴィストックは、第二次世界大戦が終わると、米国に目をつけた。ドイツを崩壊させた手法が、今度はアメリカに対して放たれたのです。この大規模な洗脳は、「人・物を整列させ順に並べ、反対の立場をとらせ、参加させ、一員にさせる、長期長距離にわたり軍隊の侵攻で敵陣突破し、市場への進出する眼識・頭の鋭さ・洞察力[ペニスの挿入]」(Long Range Penetration)と「内側に秘め、(流行などで)指導的な立場で方向性を示し(都合の)よい状態に調整し条件付けする」(Inner Directional Conditioning)と呼ばれるものであった。

この取り組みの主な目的は、政府のあらゆるレベルに社会主義的なプログラムを導入し確立することであった; 新暗黒時代(New Dark Age)の到来を告げるものであり、新世界秩序(New World Order)とは、一つの世界政府(One World Government)の共産主義者の独裁[絶対]政権(Communist dictatorship)の下に人々を案内[誘導]しているのです。


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特に、結婚や家庭生活の神聖さを損なうことを目的としています。そして、憲法を「無効とする」こともターゲットにしています。同性愛、レズビアニズム、中絶は、タヴィストックがデザイン[下に印をつけ設計]したプログラムであり、米国憲法を「変える」[ように、計画され、獲得・達成を意図して、人・物などに、銃・ミサイルなどを向け、一撃を狙う]ことを目的としている。

タヴィストックのプログラムの多くは、「正しい」候補者を選出されるようにすることに基づいて行われる; これは、高度な訓練を受けた世論調査員が巧みに質問を仕掛けることによって達成された。タヴィストックの「ゲイのライフスタイル」[同性愛者の生活様式]の青写真は、メディアを援助して、同性愛者の猛攻撃を覆い隠し、「新しいライフスタイル」の十字軍[による聖戦]を、[他の人と同じように見える]「普通の人々」と思わせるべく、いくつかの「特別対策本部」[(特殊任務を果たす)機動部隊・特別研究班]なる部門を必要としていた。

「トークショー」は、今でこそこうした企画に欠かせない存在となっているが、当時はまだ、社会変革のための手段として、今日のように広く使われていたわけではありません。タヴィストックが、トークショーを通じて社会や政治に大きな変化をもたらすために選んだリーダーは、フィル・ドナヒューやジェラルド・リヴィエラ、ビル・オライリー、バーバラ・ウォルターズなど、アメリカでその名を知られるようになった人たちがたくさんいます。選挙に出馬する人たちを紹介するのも彼らだった; これまでなら壇上から一笑に付されていたような人たちを紹介した。しかし、今では、世論調査を巧みに利用することで、そのような人たちも真剣に受け止められるようになった。

テレビのトーク番組の司会者たちを通じて一般大衆に宣伝された[前もって教え込む]手薄な[非常に小さい]計画と、このタヴィストックに強制された社会変革の長期計画を実行に移すために何百万ドルも費やされたのです。そして、その結果が示すように、タヴィストックはよく下調べ[準備]をし、その宿題をこなしていたのである。私は今までの経験上、この偉大なクーデターがいかに成功したかに驚いているのです。


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[共通の祖先と言語を持つ民族、誕生、階級、子孫、親族、故郷、起源、品種、株、種類、種から派生し、繁殖した家族・部族などの大きな集団が、一方から他方へと、十字架上に交差した位置で起こる、その何かを理解し評価させ、すべてのカテゴリーを包含すべく]全米中のコミュニティー全体がプロファイリング[各人物が文章で要約]された; トークショーのゲストとその視聴者は、[彼らが描いた輪郭にピッタリと合い調和するものを糸で結ぶ]プロフィールマッチングによって選ばれ、自分の知らないところで、同意なしに行われていることに気づかなかったのです。アメリカ人は壮大なスケールで騙され、当時も今もそのことに気づいていないのです!また、タヴィストック人間関係研究所から鞭で打たれて[(右派・左派などの)両極に揺さぶられていたり、株価・価格などが繰り返し大変動・乱高下し両損させられたり、2つ以上のことが同時に起こって二重に騙されダブルパンチを食らい、経済・会社などをいっそう弱くされて]いたことを知りませんでした。

ついに、3年間の準備期間を経て、まったく[危険・悪事などを感じ下から上を疑い深く見上げることもなく、疑うことを知らない、疑ってもみない]無防備なアメリカ国民に襲いかかったタヴィストックのソドミスト/レズビアンへの猛攻は、フランス革命の時に[怪しまない、疑わない]無防備なフランス国民(nation)に突然吹き荒れた嵐に例えることができる。

よく計画され、そして実行されたキャンペーンは、計画通りにフロリダで始まりました。そして、まさに計画通り、アニタ・ブライアントが[立派で美しい共有の状態、陽気な好感の持てる喜びに満ちた共に働く(乱交)共同体]「ゲイ・コミュニティ」(gay community)からの侵略者に対して棍棒[弁護]を取り上げる[巻き取り、吸い上げ、陣取る]ために名乗りを上げたのです -- 「ゲイ・コミュニティ」とは、タヴィストックが厳選した言葉で、今では完全に通用するようになり、すっかり定着しています。このエピソード以前まで、「ゲイ」という言葉は、同性愛者やその行動を表す言葉としては使われていませんでした。

タヴィストックは、1914年と1917年に大きなクーデターを起こし[引き当て・引き抜き、剥奪して、うまくやり遂げ]大成功を収めたウェリントン・ハウスの後継者が、1921年に設立された組織である。そして、すでに述べたように、イギリス(Britain)とアメリカ(America)をドイツとの野蛮[残虐]な[戦争を行うことを可能にし]戦争に巻き込んだのである。

タヴィストックは、現在も世界最高水準を誇る英国諜報機関の主要な研究機関として機能することになり、その地位を維持することになった。君主(monarch)から依頼されたジョン・ローリングス・リース少佐(後に准将)がプロジェクトの責任者に選ばれ、英国王室はロックフェラー家やロスチャイルド家の援助を受けて、このプロジェクトに資金を提供した。


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第二次世界大戦のさなか、タヴィストックは、元レイナード・ハイドリヒのドイツ秘密諜報機関の買収に協力する見返りに、デイヴィッド・ロックフェラーから追加の資金提供を受けた。ナチスの優秀なトップセキュリティサービスの全機構と人員は、この国の最高法規に違反してワシントンDCに体当たりで移送された。そして、今では、この組織は「インターポール」と呼ばれるようになった。

第二次世界大戦中、ロンドンとサセックスにあったタヴィストックの施設は、英国陸軍の心理戦本部としての役割を果たした。

その意義は、チャーチルとルーズベルトの「親友」の取り決めによって、タヴィストックは特殊作戦局(SOE)を通じて、米国の諜報活動や軍事政策を完全に掌握し、第二次世界大戦も、その支配力を維持することができたということである。アイゼンハワーは、300人委員会によってヨーロッパ連合軍総司令官に選ばれたが、それはタヴィストックによる徹底的なプロファイリングの後のことであった。その後、彼はホワイトハウスに赴任した。アイゼンハワーは、その役目を終えるまで、ホワイトハウスに居座ることを許されたが、戦争の記憶が薄れ、その有用性が失われると、捨てられることになった。アイゼンハワーは、300人委員会とタヴィストック研究所から受けた仕打ちに対する恨みから、軍産複合体がもたらす危険性についての彼の発言に反映されている -- というのは、かつての上司である "オリンピアン "のことを暗に指しているのです。

本書「300人委員会」は、世界を支配するこの超極秘の超エリート集団主要部本体の全貌を語るものである。300人委員会は、銀行、金融機関、印刷出版物および電子メディア、多数の「シンクタンク」の大規模なグループ、その国の国民が現代と認識するものを実際に創造する新しい科学者、そしてその国の世論調査会社を通じて生み出される意見など、


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相互に結びついた広大なネットワークを持っています。現在、フォーチュン誌のトップ500社のうち450社以上が「300人委員会」の掌中にある。

ペトロカナダ、香港上海銀行、ハリバートン、ルート、ケロッグ&ブラウン、ブリティッシュ・ペトロリアム、シェル、ゼロックス、ランク、レイセオン、ITT、イーグル保険、すべての最大手保険会社、米国、英国、カナダのすべてのトップ企業や組織などが含まれます。いわゆる環境保護運動は、タヴィストック研究所を通じて、委員会に完全にコントロールされている。

多くの人は、「洗脳」は韓国・中国の技術だと思いがちです。そうではありません。洗脳の起源はタヴィストックにさかのぼる。行動修正の科学はタヴィストックに端を発しており、タヴィストックは多くの諜報員の軍隊[陸軍]を訓練し、同じことをさせるように仕向けた。

アメリカ(The United States)は、おそらく他のどの国よりも、国民生活のほとんどすべてのレベルでタヴィストック拳の重みを感じてきたし、この国に対するその支配力は弱まってはいない: その支配力は弱まるどころか、むしろ、ウィリアム・ジェファーソン・クリントン、そしてブッシュ父子の出現によって、それはかなり強化された。1992年と1996年の私たちは本当に洗脳されていた。2005年の私たちは、まさに洗脳された国(nation)である。リース(Reese)の技術的な長距離電撃戦の主な犠牲者はアメリカ(The United States)であった。

他の被害国としては、ローデシア(現ジンバブエ)、アンゴラ、南アフリカ、フィリピン、韓国、中米、イラン、イラク、セルビア、ユーゴスラビア、ベネズエラがある。


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イラクやイランではこの手法は通用しないし、一般にイスラム諸国は欧米諸国ほどタヴィストック方式の大量人口制御手法を受け入れていないようである。

彼らがコーランの掟を厳格に守り、イスラム教の信仰を貫いたことが、タヴィストックの中東での計画を少なくとも一時的に頓挫させたことは間違いないだろう。そのため、イスラム世界に戦争を仕掛けるための共同キャンペーン[総力戦]を展開したのです。

リース(Reese)が多くの国に変革を強いることに成功したことは、その後の展開に反映された。 国内では、タヴィストックは、情報機関、ペンタゴンの各部門、議会委員会、大企業、娯楽産業など、民間・政府を問わず、アメリカのさまざまな主要機関全体の形を変え、再構築したのです。


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第25章
タヴィストックのアメリカへの攻撃

タヴィストックチームの中心人物の一人がクルト・レヴィン博士である。ドイツで生まれたが、人口コントロール実験がドイツ政府に見つかり、逃亡を余儀なくされた。レヴィンは、すでにリースと面識があった - 2人は、 広範囲の世論調査[投票]や、類似する世論形成[民意の具現化]の実験において、幅広く協力していた。ゲッペルス博士はタヴィストック方式を熱狂的に支持し、受け入れたと言われている。

レヴィンはイギリスに逃げ、タヴィストックでリースと合流し、最初の大きな仕事を任されることになった: アメリカを第二次世界大戦に巻き込むよう宣伝[伝道]活動に従事し、ヨーロッパとアメリカの両方でドイツに対するメディア攻撃を開始した。彼は、歴史上最大の宣伝攻勢[外国宣教を担当する軍事活動・方面作戦~プロパガンダキャンペーン]となった作戦を見事に成功させ、アメリカ国民をドイツ、そして後には日本に対する憎悪の念で熱狂させたのであった。この電撃作戦は、最終的に何十万人ものアメリカ兵の命を奪い、ウォール街や国際銀行、武器商人の金庫に何十億ドルも注ぎ込むことになった。

人命と国宝の損失は取り返しがつきません。

イラク攻撃の直前、米国に対するプロパガンダの影響は、米国を第二次世界大戦に追い込んだレベルをわずかに下回る程度であった。レヴィンが第二次世界大戦で使用するために開発したキーワードやフレーズを詳しく分析したところ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争で使われたトリガーワードやフレーズが、調べたすべてのケースで93.6%で一致していることがわかりました。


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ベトナム戦争では、タヴィストック方式による世論調査が行われ、アメリカ国民に壊滅的な影響を与えた。

湾岸戦争中、国務省がクウェートの大使館員を「人質」[原義:主人+状態→客をもてなす状態。質物、抵当]と呼び続けたのも、タヴィストック手法の一例である(ただし、誰一人として投獄されたことはない)。実際には、一人残らずいつでも自由に[帰れる]出て行くことができたが、自分たちの状況を宣伝するためにクウェートに留まるよう命じられたのである。

要するに、「人質」は国務省の「人質」だったのである!フセイン大統領に最初の一発を撃たせることができず、真珠湾攻撃のような「仕組まれた人為的状況」をもう一回作らざるを得なかったのだ。エイプリル・グラスピーの名は、裏切りや悪名とともに永遠に語り継がれることになる。その後、クウェートがイラクの石油を何百万バレルも盗むという手の込んだことをした。バグダッドのアメリカ大使エイプリル・ギレスピーは、フセインにイラクを攻撃し、イラク国民に何十億ドルもの損害を与えている状況に「警報解除信号」[終止符]を打つよう、すべての許可を得たのであった。しかし、攻撃されたとき、ブッシュ大統領はすぐにクウェート救援のために米軍を派遣した。

ブッシュ大統領は偽の「人質」の主張を利用して、イラクに対する支持を呼び起こした。タヴィストック研究所が失敗したのはこの点である。アメリカ人の大多数には中東政策が正しいと信じ込ませることができたが、タヴィストック研究所は、シリア、イラン、イラク、アルジェリア、サウジアラビアを支配することはできなかったのだ。

この時点で、アラブ諸国から石油を奪うというタヴィストックの狡猾な計画が崩れ去ろうとしているのである。MI6がフィルビーやヒル大尉のような「アラビスト」を派遣してイスラム国家を弱体化させることができた時代は、とうに終わっているのだ。


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アラブ諸国は失敗から学んでいる。現在では、第一次世界大戦が始まった頃よりも、イギリス政府に対する信頼度ははるかに低くなっている。エジプトのムバラクの独裁体制は、大変な問題を抱えている。イスラム原理主義者は観光を危険なものにしようとし、エジプトはアメリカ(U.S.)の納税者からの年間30億ドルの贈与を受けるだけでなく、変動相場制を維持するために海外からの交換可能通貨[金または金の裏付けのある貨幣と交換可能な通貨]に依存しているのだ。同様に、シリアもパレスチナ人よりもイスラエルを優遇する米国を長くは支持しないであろう。

国内では、アメリカ政府によってタヴィストックの金庫に何十億ドルもの資金が注ぎ込まれた。この数十億ドルの恩恵を受けているのは、ナショナル・トレーニング・ラボラトリー[クルト・レヴィン設立]、ハーバード心理クリニック、ウォートン・スクール[ペンシルベニア州 フィラデルフィアの大学]、スタンフォードのフーバー研究所、ランド研究所、マサチューセッツ工科大学(MIT)、アメリカ国立精神衛生研究所、ジョージタウン大学、エサレン協会、行動科学高等研究センター[スタンフォード大学の研究所]、ミシガン社会研究所、その他多数のシンクタンクと高等教育機関であった。

世界的な諜報機関である米国(U.S.)にこれらの関連組織を設立する任務を与えられたのは、すでにお会いしたことのあるクルト・ルウィンだが、私がタヴィストックについての記事を書くまでは、おそらく100人以上の人にその名前は知られていなかったでしょう。しかし、この人物とジョン・ローリングス・リースは、ヒトラーやスターリンが成し遂げたこと以上に、アメリカ合衆国が依存しているシステムにダメージを与え、国の基盤を弱体化させることに成功したのである。タヴィストックが、この国を支えている社会基盤の縦糸[心が曲がり、判断をゆがめ偏り]と横糸[ひもでつなぎ、ねじりながら進む。犬の低い唸り声・怒鳴り声による命令。銃声・ノイズ]をどのように解きほぐしたかは、冷ややかで恐ろしい物語になっている。その中で、同性愛やレズビアンというライフスタイルを「正常化」するという、冷ややかで恐ろしい物語を小さくしたことが、大きな成果である; さらに不気味なのは、世論調査[opinion polling]による大衆洗脳に成功したことは、はるかに大きく、よりぞっとするような成果でした。


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なぜ、リースのタヴィストックのテクニックが、なぜ実践で効果を発揮するのでしょうか。?リースは、ストレステスト、すなわち心理的ショック、またの名をストレスフルな出来事を通して、その集団洗脳実験を完成させました。リースの理論は、現在では十分に証明されているが、もし全人口[集団全体]にストレステストにかけることができれば、与えられたストレスフルな出来事に対して大衆がどのように反応するかを事前に計算することができる、というものであった。

分かりやすく言えば、この手法は、世論調査によって望ましい世論を作り出すための核心であり、ホワイトハウスに渦巻くスキャンダルからクリントン政権を守るために、壊滅的な効果を発揮し、そして今度は、ホワイトハウスから追い出されたジョージ・ブッシュ・ジュニアを守るために使われているのである。


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第26章
平凡な政治家、俳優、歌手がいかに「もてはやされる」ようになるのか
そして、いかに「吹けば飛ぶような」存在であるか

この手法は、いわゆる「プロファイリング」と呼ばれるものであり、個人にも、少人数または大人数のグループ、集団、またはあらゆる規模の組織に適用することができます。そして、「ふくらませ」て「スター」にするのです。まだ20代前半の頃、アーカンソー州で、ローズ奨学金制度に合格したウィリアム・クリントンのプロフィールが掲載されました。その歩みは、キャリアを通じて、特にベトナム戦争期間中にプロファイリングされ解剖され続けました。そして、自分の実力を証明した後、クリントンはホワイトハウスに「迎えられ」され、その後は常に「もてはやされる」ようになったのです。

この作戦はすべて、タヴィストック研究所の洗脳者の管理下で行われていた。この種のことは、このような仕組みで機能するのである。こうして、文字通り候補者、特に公職にふさわしいと思われる候補者、つまり常に「正しい」[適切な]ことをすると期待される候補者を作るために鍛えられた道具なのです。議会はそのような候補者で溢れている。ギングリッチは、彼の行動が発覚するまでは、典型的な成功した「タヴィストック製品」であった。トレント・ロット、ディック・チェイニー、チャールズ・シューマー、バーニー・フランク、トム・デレイ、デニス・ハスター、ドクター・フリストなどは、タヴィストック「卒業生」の例である。同じ手法が、俳優、歌手、ミュージシャン、エンターテイナーにも適用されている。

歓迎されない「環境社会の激動」[環境社会不安]は、私たちが生きている時代の変化の結果であると国民に信じ込ませるために、多くの激しいプロパガンダが行われている。しかし、今、私たちが知っているように、特別なニューサイエンス科学者が「環境社会の激動」を人工的に作り出し、それを「時代の変化」としてよく知られている自然条件の結果であると言い逃れる[偽装する]ためのプログラム(ストレスプログラム)を考案しているのだ。


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タヴィストックのニューサイエンス科学者たちは、私たちが「すべての結果には原因があるはずだ」という原則を適用することはないと確信していました -- そして、それはその通りでした。例えば、私たちは「ビートルズ」とその「斬新な音楽」と「歌詞」(あえて「音楽」と「歌詞」と呼ぶなら)彼らがすべて自分たちで書いたものだと聞かされて、これをおとなしく「ビートルズ」を受け入れていました。

実は、タヴィストック卒業生のテオ・アドルノが作曲し、その12音類の -- 無調の不協和音を科学的にピッチング[アレンジ~仕向けられ、売り込まれた]して、アメリカ全土に大量の「環境的社会的動揺~社会不安」を作り出したのだ。ビートルズには楽譜が読める人がいなかった。それにもかかわらず、彼らは、彼らのすべてが、嘘も含めて、真実として受け入れられるまで、昼も夜も絶え間なく「ほめそやされ」ていたのです。

タヴィストックは、大きな集団がうまくプロファイリングされると、社会生活や政治生活のあらゆる側面で「内なる方向づけ」[内的演出]が可能になることを何度も実証してきた。

1946年以来続いているタヴィストックのアメリカにおける大規模な大衆マインドコントロール実験に不可欠なもので、この世論調査(poll taking)や意見形成(opinion making)は、タヴィストックが最も成功した事業[下を取り引き受ける企て~葬儀屋業プロジェクト]である。アメリカは[ムチ打たれ]振り回され[二重に損をし、簡単に打ち負かされ]、そしてそれに気づかなかった。

リース(Reese)は、自分のテクニックの成功を証明するために、タヴィストックに陰謀に関連したテーマで大勢の人々をテストするよう依頼した。その結果、質問された人々の97.6パーセントが、「陰謀が存在する」という考えを完全に否定していることが判明したのである。それなら、過去56年間タヴィストックから直接攻撃を受けてきたことを信じる国民はどれほどいるのだろうか。私たちには、陰謀など存在しないと聴衆に言い続けるラッシュ・リンボーのようなラジオのトークショーの司会者もいます。


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タヴィストックが、過去56年間、全国のあらゆる集落、村、町、都市に、目に見えないショック部隊を送り込んでいたことを信じる人は、どれだけいるのでしょうか。「目に見えない[霊界・神なる]軍隊[陸軍]」[目に見えない透明人間軍団]の任務は、「内的方向づけ」によって、共同の社会集団の行動[習性]に潜入し[物質・思想などをしみ込ませ、浸透させ]、改ざんし、修正することである。

リースの「目に見えない透明人間軍団」は、自分の仕事を理解し、依頼された仕事に専念する本物のプロフェッショナルで構成されています。今日、彼らは、司法の場、警察、教会、教育委員会、スポーツ団体、新聞社、テレビ局、政府の諮問委員会、町議会、州議会で見かけることができ、ワシントンにも大勢いる。郡会議員から保安官、判事まで、あらゆる役職に立候補するのです。教育委員会から市議会議員へ、そして、アメリカ大統領の座を狙うことさえもある。この仕組みは、1954年にジョン・ローリング・リースが説明したものである:

「彼らの仕事は、私たちが知っているような高度な心理戦のテクニックを、今後ますます大きくなっていく人口集団全体に適用することです。そうすれば、集団全体をより簡単にコントロールすることができます。完全に狂ってしまった世界の中で、タヴィストック心理学者のグループが互いにリンクし、政治や行政の分野に影響を与えることのできるアービター[権力者・裁定者]でなければならないのだ」。

この率直な告白は、陰謀論懐疑論者を納得させることができるだろうか?たぶん、ないと思います。というのも、そのような閉ざされた思考の持ち主が、これらの事柄について本当の知識があるかどうかは疑わしいからだ。このような情報は、ラジオの「話し手」[テレビ・映画などの画面に現れ、肩から上が大写しになってカメラに向かって話す人]には無駄なことである。

リースの見えない軍隊の監督は、子供たちの心を[へたな繕いで]いじくり回すことを得意[専門分野]とするロナルド・リッパートであった。


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フレッド・エメリー博士もタヴィストックに「リンク[関連]する心理学者」の一人で、ジョンソン大統領のカーナー委員会の理事[ボード上(ゲーム盤)の一人]であった。

エメリーは、タヴィストックでいうところの「社会環境激変」の専門家である。その底流には、ある集団全体が社会的危機にさらされたときには、共観福音書[の大意・概要、あらすじ、天気図的]な理想主義に陥り、ついには断片化され、分裂してしまう; つまり、一つ以上の問題や課題に対処することをあきらめてしまうということがあるのだ。

「環境」[円の中にいる~入れる、取り巻く]という言葉は、エコロジー[生態系の問題~活力のないクズの学術論]問題とは全く関係ない。しかし、その専門家が、トラブルを起こすという特別な意図を持って、自ら注入した特定の環境と関係があるのです -- [感情などがかき乱され混乱し荒れ狂う]「社会的動乱」、または[人を追い込んで苦しめて困窮・貧困化させる、主人・保護者~父のようにまねされるべきものの手本・原型を、規則的に繰り返し起こす民への圧力]「ストレスパターン」を意味するのです。

これは、ロックンロール、ドラッグ、自由恋愛(中絶)、ソドミー、レズビアニズム、ポルノ、ストリートギャング、家庭生活、結婚制度、社会秩序、憲法、特に憲法2条と10条に対する絶え間ない攻撃によって、すでに起きていることです。

このようなことが起こっている地域では、崩壊した司法制度に対処する力を失った地域社会、進化論を教える教育委員会[の教育改革]、コンドームを買うように勧められる未成年者、そして「子どもの権利」さえも押し付けられ、その推進などに対処することができない地域が見受けられます。「子どもの権利」とは、通常、子どもが親に逆らうことを許すべきだという意味であり、あらゆる社会主義者の[子育て計画~]「育児」プログラムにおける重要な問題である。リースの「目に見えない透明人間軍団」のメンバーは、下院と上院、軍人・兵士(military)、警察、そして事実上、この国のすべての政府機関・官庁に存在し、定着しているのです。


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カリフォルニア州を研究した結果、カリフォルニア州は全米で最も多くの「目に見えない透明人間軍団」による「ショック部隊」[がたがた揺さぶる精神的打撃(動揺)により、激しくぶつかる(人・動物の)群れ]を抱え、社会主義、警察国家に近いものになっているという結論に達しました。私は、カリフォルニアが全米の「お手本」[役者のセリフを書いた巻物に描かれた役割=理想的な模範]になると信じています。

現在のところ、このような「条件付け」を違法とする法律はない。リースとレヴィンはイギリスとアメリカの法律を調べて、本人の同意や知識がなくても[共に言うこと → 話すこと。時間的・内容的に限られた]「条件付け」をすることは合法であると結論づけた。

これを変えなければならない。世論調査[投票](Polling)は「条件付け」に不可欠なものだからです。タヴィストックの「見えない軍隊」と呼ばれるショック部隊は、ロック、婚前交渉、薬物摂取、婚外子、乱婚、結婚、離婚、家庭生活、中絶、同性愛やレズビアン、憲法、そう、殺人についてのアメリカの考え方を変えてしまった。「モラルが欠如していても、いい仕事をすればいい[うまくやればいい]」というのは言うまでもないが。

タヴィストックの初期には、「リーダーなき集団構想」を用いて、かつて私たちが知っていたアメリカを粉々に滅ぼしたのです。このプロジェクトの責任者はウィルフレッド・ループレヒト・ビオン(イギリスの精神科医)で、彼は長年ウォートン・スクール・オブ・エコノミクスを運営しており、自由貿易やケインズ主義経済学といったナンセンスなことを教えているところである。日本はマッカーサー元帥が教えたアメリカのモデル -- ウォートン・スクールの詐欺ではない -- に従ったが、今の日本を見てください。日本人の成功を責めないでほしい。経済システムを破壊したのはタヴィストックだと非難すべきだ。しかし、今度は日本の番がやってくる! 新世界秩序の中で、一つの世界政府を実現するための最後の猛攻を、どの国も免れることはないだろう。


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タヴィストックの「対米戦争」(1946年〜)を担当した「ブレーントラスト」[政府の非公式な顧問団、テレビなどの専門解答者たち、頭でっかちの小難しい議論を続ける現実には役に立たない人々]は、バーネイズ、レヴィン、バイロン、マーガレット・ミード、グレゴリー・ベイトソン、H・V・ディックス、リッパート、ネスビット、エリック・トライストから構成されていた。「目に見えない透明人間軍団」のショック部隊は、どこで訓練を受けたのだろうか?彼らはタヴィストックのリースから訓練を受け、そこからアメリカ全土に「環境社会乱気流ストレスパターン」(environment social turbulence stress patterns)の種をまいたのだ。

彼らは、アメリカ社会のあらゆる階層に散らばり、リースから教えられた影響力を発揮できるような地位を獲得していった。この「目に見えない透明人間軍団」であるショック部隊のメンバーが下した決断は、あらゆる階層[レベル]でアメリカに多大な影響を与えることで、最悪の事態はまだ起こっていない。

誰が主な襲撃者であったかをいくつか例に挙げると、ジョージ・シュルツ、アレクサンダー・ヘイグ、ラリー・キング、フィル・ドナヒュー、バークレー提督(ケネディ暗殺犯の隠蔽に深く関わった)、リチャード・アーミテージ、ビリー・グラハム、ウィリアム・ペイリー、ウィリアム・F・バックリー、、パメラ・ハリマン(故人)、ヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・ブッシュ、などが挙げられるだろう。故キャサリン・メイヤー・グラハムはもちろん、92年にアーカンソーからやってきたキャラバンも挙げたいところだが、その先頭には、クリントン夫妻もいたのだった。そして、1992年にアーカンソーからワシントンに到着した、クリントン夫妻を筆頭とするキャラバン隊である。彼らの手によって、この国はまもなく引き裂かれることになる。新参者には、ラッシュ・リンボー、ビル・オライリー、ラリー・キング、カール・ローブなどがいる。

ショック部隊に所属するビジネスリーダーを挙げればきりがない。アヴリル&パメラ・ハリマン夫妻の広大なニューヨークの屋敷で始まった[1947年にクルト・レヴィンが設立した]米軍の施設「タヴィストックの国立訓練研究所(NTL)」が巨大化し、ビジネス旅団(Business Brigade)から数千人の「目に見えない透明人間軍団」であるショック部隊が実戦配備されたのだ。このようにして、ハリマン夫人は、クリントンを選んで特別な訓練を受けさせ、やがて大統領執務室に入るように仕向けた人物であることは周知のとおりだ。


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国立訓練研究所では、企業のリーダーがストレスの多い状況やその対処法について訓練を受けました。タヴィストックのトレーニングを受けるためにNTCに研修でトップを派遣した企業には、ウェスティングハウス、B.F.グッドリッチ、アルコア、ハリバートン、BP、シェル、モービル・エクソンエリリー、デュポン、ニューヨーク証券取引所(NYSE)、アーチャー・ダニエルズ・ミドランド、シェル・オイル、モービル・オイル、コノコ、ネスレ、AT&D、IBM、マイクロソフトなどでした。モービル石油、コノコ、ネスレ、AT&T、IBM、マイクロソフトがあります。さらに悪いことに、アメリカ政府は、アメリカ海軍、アメリカ国務省、公務員委員会、空軍から集められたトップクラスの人材を送り込んできた。ハリマン・エステートのアーデンハウス(Arden House)で、タヴィストックがこれらの政府職員に行った「教育」の費用は、皆さんの税金が何百万ドルも使われているのだ。


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第27章
アメリカを第二次世界大戦に巻き込んだタヴィストックの方程式

おそらく彼らのトレーニングの中で最も重要な点は、タヴィストックの目標が望ましいとするものに公共政策を従わせるために、世論調査[投票](polls)をいかに利用するかということであった。この幻覚作用がある、心を変える技術(mind-altering technique)は「世論調査」(opinion polling)と呼ばれている。

タヴィストックの大規模なプロファイリングによって可能になった不適応な反応、そしてその不適応対応において、タヴィストックの「目に見えない透明人間軍団」は湾岸戦争で完璧に機能した。

アメリカ議会の適切な宣戦布告なしに行われた、何の争いもない友好国との戦争にこの国を引きずり込むことに反抗する代わりに、私たちはその戦争に「転向」させられたのです。要するに、私たちは知らないうちにひどく惑わされ誤解をしていたのです。これは、1946年以来、アメリカ国民が受けてきた「長期的な内的方向性の条件付け」によるものである。

タヴィストックはブッシュ・シニア大統領に次のような単純な公式を使うように助言した。これは1941年にルーズベルトがアメリカを第二次世界大戦に引きずり込もうと準備していたときに、リースとレヴィンがアレン・ダレスに指示した次のような単純な公式を使うようにと助言したのである: 

(1) 対象国のモラルの状態、およびその可能性は?(これは米国内の士気にも適用される)。

(2) ペルシャ湾での戦争が必要だという考えに対して、アメリカはどの程度敏感なのでしょうか?

(3) ペルシャ湾での戦争に対するアメリカ国内の反対を弱めるには、どのような手法が考えられるか?


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(4) どのような心理戦の手法で、イラクの人々の士気をうまく下げることができたのでしょうか。(タヴィストックはここで大失態を犯してしまったのだ)。

ブッシュがエリザベス女王とBP石油会社のためにサッチャー首相が1991年に行った湾岸戦争に参戦すると、タヴィストックは心理学者、ヒル・アンド・ノールトンの図々しい嘘つきが率いる世論形成者、そしてタヴィストックのプロファイラーたちを集めたチームを結成したのである。ブッシュ大統領がイラク戦争を推進するために行った演説の一つ一つは、タヴィストックによって訓練された複数の分野のライターチームによって作られたものです。

湾岸戦争がどのように宣伝され、ジョージ・ブッシュ大統領によってあの厄介で腐敗した戦争の背後にアメリカ国民がどのように振り回されたかについての極秘情報が、最近、議会の委員会に提供された。それによると、イラク討伐計画の初期段階で、ブッシュ政権は国民の支持が最重要であり、アメリカ国民の支持を得られないと忠告されたとのことである。

ルールその1は、「狂人の指揮下にあるイラクの侵攻によって脅威にさらされたサウジの油田を守ることが非常に重要である」ということをアメリカ国民の心に植え付けることであった。こうして、イラクがサウジの油田を意図していないことは当初からわかっていたにもかかわらず、米国家安全保障局(NSA)は、サウジの油田がイラクの最終目標であるという趣旨の、虚偽かつ誤解を招く情報を流したのである。これは全くのでっち上げであったが、これが成功の鍵であった。NSAは、その嘘の行為に対して一度も処罰されたことがない。


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この報告書では、国民の支持を戦争に振り向けるためには、かつてないほどのテレビ報道が必要であるとしている。ブッシュ政権は、早くからアメリカの3大ネットワークである、ABC、CBS、NBC、後にはCNNの全面的な協力を取り付けた。後年、事実上のプロパガンダ局である「Fox News」(Faux Newsとも呼ばれる)が加わった。これらの放送局による1990年の湾岸戦争と関連テーマの報道量は、1989年に報道されたどのテーマよりも3倍も多く取り上げ、戦争が始まると; 天安門事件を含む他のどのニュースよりも5倍も多く報道された。

2003年、ブッシュJr.は、父親が成功した手法に非常に近い形で、しかし、いくつかの改良を加えて、その方式を踏襲した。フィクションの混じったニュース(H.G.ウェルズ『宇宙戦争』の項を参照)は、よりフィクションの混じったニュースとなり、あからさまな嘘がまかり通るようになったため、真っ当な報道とフィクションの混じったニュースの区別がつかなくなりました。

戦争報道の主要な担い手のひとつであるCNNは、ブッシュ政権と契約して、湾岸戦争を24時間体制でアメリカ人の居間に持ち込んだ。都合のいい偏向報道[斜め読みニュース]が大量に流された結果、湾岸地域への軍隊派遣は、約90%のアメリカ国民から好意的に受け止められた。これは、アメリカ国民に世論作りの世論形成のための世論誘導工作(opinion-making polling)を実践し、洗脳するための1つの手段に過ぎない。

国家安全保障局(NSA)のアドバイザーは、ブッシュ政権に対して、当初から湾岸戦争計画に賛成するように国民を説得する必要がある、と伝えていた。ヒトラーとサダム・フセインを並列化し、「サダム・フセインを止めなければならない」という言葉を何度も繰り返し、その後にイラクの大統領が「ヒトラーのように行動している」という嘘をつき誤魔化すことにしたのだ。


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その後、イラクは長距離大量破壊兵器でアメリカを攻撃することができるという恐ろしい脅しが付け加えられた。これは「自国民を捕らえて奴隷にするには、まず彼らを恐怖に陥れなければならない」というスターリンの勅令を応用したものである。

イギリスのトニー・ブレア首相は、さらに踏み込んだことを言った。ブレア首相は議会で、「サダム・フセイン」は英国を攻撃する能力を持っており、45分以内に攻撃することが可能だとイギリス国民に訴えた。さらに、イラクがキプロスに対して核攻撃を行う準備をしていることをイギリスの情報機関が突き止めたので、キプロスで休暇を過ごしているイギリス人旅行者に、一刻も早くイギリスに戻るように警告を発したほどだ。ブレアは、イラクの核兵器計画が1991年に完全に破壊されたことを十分承知した上で、この発表を行ったのだ。

駐ワシントン・クウェート大使の娘は、湾岸戦争の必要性を伝える第一次ブッシュ政権の「技量」の集大成として、ヒル・アンド・ノールトン[ニューヨーク市に本拠を置くPR・コンサルティング会社](Hill and Knowlton)がでっち上げた「インキュベーター」ストーリーを涙ながらに語ってくれた。上院は -- そして国(country)全体が -- この巨大な詐欺を受け入れたのである。

それはカイザー・ウィルヘルム2世が「ベルギーの幼い子供の腕を切り落とす」という嘘の繰り返しであり、さらに大きな成功を収めたのである。ヒル・アンド・ノウルトンの「大嘘」の後に、調査対象のアメリカ人の77%が、イラクに対してアメリカ軍を使うことに賛成と答えたが、調査対象の65%の人はイラクが地図上のどこにあるか知っていた。

すべての主要な世論調査で、ブッシュの憲法への横やりが承認されたことがわかった。というのも、世論調査の対象者は、憲法上の宣戦布告が何であるかを知らなかったからだ。また、それが強制的なものであったのです。国連が果たした役割は、ブッシュ政権に加担し「コミュニケーション能力」に拍車をかけたと、報告書は伝えている。


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第二次ブッシュ政権も同じタヴィストックの手法が使われ、またしてもアメリカ国民は、事実として示された嘘と歪曲を受け入れたのである。この戦争は、チェイニー副大統領によって精力的に推進され、彼は世論をジョージ・ブッシュの側に引き込むための大規模なキャンペーンを行った。アメリカ(United States)の歴史上、これほど積極的にアメリカ国民(American people)をイラク戦争に引きずり込むことに加担[強要]した副大統領は他にいない。

チェイニーは1ヶ月の間に15回もテレビに出演し、ニューヨークの世界貿易センタービルへの攻撃の背後にタリバンがいること、タリバンはフセイン大統領の支配下にあることを断固として宣言したのである。「テロとの戦いは、イラクの "テロリスト "に向かって行われなければならなかった」。また、チェイニーは「彼らが再び米国(U.S.)を攻撃する前に」と、訴えたのである。

世界の権威が名乗りを上げ、イラクは9・11とは何の関係もなく、イラクにタリバンの戦闘員はいないと発表したにもかかわらず、チェイニーは嘘の太鼓を叩き続けた。元国連主任兵器査察官ハンス・ブリックスが口を挟むまで、CIAは米国上院に、イラクとタリバンと9・11の事件との間に何の関連も見いだせないと報告するまで嘘をつきつづけたのである。

実際、CIAの報告書によれば、フセインはタリバンを嫌い、何年も前に彼らをイラクから追い出していたのである。私たちは、アメリカ国民が、次に大統領が戦争に巻き込もうとするときに、それほど騙されないことを願って、この情報を公表している。私たちはまた、アメリカ国民には、多くの問題に関して常に誤解を与えている外国の「シンクタンク」によって、大きく欺かれ惑わされていることを知ってほしいと思っています。


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その問題点を検証し、アメリカ国民が巧みな「伝達者」[アイデアや自分の感情を相手に明確に伝えることができる識者たち]に二度と惑わされないことを祈りたい。

アメリカ国民は、5つの大きな戦争について重大な誤解をしてきた。どの国にとっても、それで十分なはずである。しかし、残念ながら、アメリカ(U.S.)によるイラクとセルビアへのノンストップ爆撃は -- 湾岸戦争がいかに煽られ、アメリカ国民が何も学んでいないことを示したのが、このイギリス(British)の航空機であり、まったくもって非難されるべき形で騙され、操られていたのです。

第二次湾岸戦争は、タヴィストックのメソッド[アプローチ]が今も有効であることを、あからさまな嘘まで含めて十分に証明していた。そのため、たとえ嘘だとわかっても、あからさまな嘘をつくようになった。ブッシュ政権は、自分たちの嘘がすっぱ抜かれることを知っていたが、その嘘に肩をすくめるだけだとわかっていたのである。なぜなら、アメリカ国民は今や永久的に「シェルショック」状態に完全に慣れてしまい、どの国にとっても非常に深刻な状況に陥っていることに何の関心も示さないように徹底的に仕向けられていたからである。

タヴィストックとその多くの関連機関がこの国を支配していることに対して、何ができるのでしょうか。キリスト教右派、議会、諜報機関や国務省、大統領や軍の高官にまで及んでいることについて、何ができるのでしょうか?以前にも述べたように、主な問題は、自分たちと国に何が起こっているのかを、広範なアメリカ人の大衆に納得させることができるかどうかであり、自分たちの力ではどうにもならない事情で「時代が変わった」ということではありません。しかし、それは周到に仕組まれた[不自然で、わざとらしく計画された]陰謀(contrived plot)であり、私たち全員の未来に対する真の威嚇[脅威]という、単なる「陰謀論」(conspiracy)ではないのです。

私たちは国民を喚起することができるが、それは草の根レベルで協調して努力する場合のみである。草の根の協力があれば、国を動かすことができる。問題の解決は、アメリカ人を教育することと、一致団結して行動することによってもたらされる。


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秘密工作員が何をしているのか、さらに重要なことは、彼らがどのように、そしてなぜそれを行っているのかについて、何百万人もの国民を教育することが急務となっているのです。これを実現するには、早急な憲法上の措置が必要である。草の根運動を展開するだけのパワーと資金力を持った有力な市民がたくさんいるのです。いらないのは第三の政党である。

草の根運動、適切な教育、そして協調して行動することが唯一の方法である。(少なくとも私の意見ではありますが)私たちは、国(country)を支配している暗黒の悪の力から国を取り戻すことができるのです。草の根運動で力を合わせれば、アメリカを外国勢力の支配から解放することができるのです。タヴィストック研究所は、これらの外国勢力によく仕え、非常によく機能する力を持っています。これらの外国勢力は、建国の父たちが築いたアメリカの破壊しようと企んでいるのだ。

このタヴィストック研究所に関する著作も、読者にとって初めて名前を聞くような主要な組織に関する私のシリーズの「第1弾」である。タヴィストックは、アメリカ(U.S.)における最も重要な神経中枢であり、1946年に北米で事業を開始して以来、私たちの生活のあらゆる面を毒し[駄目にして]、徐々に悪い方向へと変化させてきたのです。

タヴィストックは、アメリカ(U.S.)の政策や世界の出来事を形成する上で主導的な役割を果たしており、今後もその役割を担っていくことでしょう。タヴィストックは、間違いなく、世界のマインド・コントロールと精神規制の世界的な中心地であることに疑いの余地はない。米国(United States)では、日々の業務に大きな影響力を持ち、スタンフォード・リサーチなどの米国のシンクタンクの進路や方向性に直接的に関与している。エサレン研究所、ウォートン・スクール、MIT、ハドソン研究所、ヘリテージ財団、ジョージタウン大学など、さらに多くの機関が直接参加しており、ホワイトハウスや国務省にまで影響力を及ぼしている。


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タヴィストックは、黒い貴族と、一つの世界政府の中で新世界秩序を推進しようとする人々のための研究センターである。

タヴィストックはローマクラブ、CFR、三極委員会、ジャーマン・マーシャル・ファンド、モン・ペレラン協会、ディッチリー・グループ、クアトール・コロナティ・フリーメーソン・コントロール・ロッジ、国際決済銀行などのために仕事をしています。


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第28章
タヴィストックはいかにして健康な人を病気にするか

タヴィストックの物語は、1921年、創設者のジョン・ローリングス・リース准将から始まる。タヴィストックの集団「洗脳」手法を改良・進化させたのはリースである。タヴィストックは、英国特殊情報局(SIS)の研究機関として設立された。

政治キャンペーンをコントロールする方法と、今日まで続いているマインドコントロールのテクニックを始めたのはリースであり、ソ連、北ベトナム中国、ベトナムに彼のテクニックの応用方法を教えたのもリースとタヴィストックであった -- 個人または集団を洗脳する方法について疑問を抱いていた、彼らが知りたい情報のすべてです。

リースは、故マーガレット・ミードやその夫グレゴリー・ベイトソンの側近だった。この2人は、政府の政策を決定する米国の〔特殊な目的を持つ〕(公共)機関、(公共)施設、(公共)団体、協会、機構などの組織制度の形成に大きな役割を果たした人物である。また、シオニストとして活動し、ドイツから追放されたクルト・ルインとも親交があった。レヴィンは、NSDP(NSDAPナチ党?)がドイツを支配することが明白になったので、ドイツから逃亡した。レヴィンは1932年にタヴィストックの所長に就任するまでになった。第二次世界大戦に参戦するアメリカ国民の準備に大きな役割を果たした。レヴィンは、人類が知る限り最大のプロパガンダマシンを組織化し、それを全ドイツ国民に向け指示する責任を負っていた。レヴィンのマシンは、ドイツに対する憎悪の風潮を巻き起こし、アメリカの世論を戦争に賛成するように仕向ける役割を担っていた。リース方式が成功した理由は何だったのでしょうか。基本的には、こういうことであった: 精神的に病んでいる人を治すのと同じ心理療法と同じ技術を、正反対[提案・計画などに反対・対抗する、子孫・先祖などが直系でない、転回しない](=against)の方向にも適用することができたのである。


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また、健康な人を精神的に病ませることにも利用できる。リースは、1930年代から英国陸軍の新兵を実験台にして、長い間実験を続けてきた。その後、リースは、大衆洗脳の技術を完成させるまでに至った。そして、それを後に変革が予定されている国々に適用することになるのです。その1つが、今もタヴィストックが注目しているアメリカである。リースは、1946年にアメリカ国民に対して行動修正技術の適用を開始した。リースがアメリカにとって極度の脅威であることを理解している者は、ほとんどいなかった。

英国陸軍心理戦局は、チャーチルが首相になるずっと前に、チャーチルとの秘密協定によってタヴィストックに設立された。この協定により、SOEとして一般に知られている英国特殊作戦局は、民間ルートで行動する米軍の政策を完全に掌握することができ、それは必ず米国政府の公式政策となった。

この協定は、設立当時と同様、今日でも愛国心に満ちたアメリカ人にとって受け入れがたいものとして、しっかりと存在している。アイゼンハワー元帥(第34代アメリカ合衆国大統領)が、「軍産複合体」の手に蓄積された権力(power)について歴史的な警告を発したのは、この協定の発見がきっかけであった。

タヴィストックがアメリカの政治、社会、宗教、経済の日常生活に与えた影響を十分に理解するために、クルト・ルウィンのことについて説明させてください。それは、次のようなアメリカの制度を創設する役割を担った副司令官[二番手の指揮官](second in command)のことです。その多くは、米国の外交政策や地域政策に大きな変化をもたらす役割を担っていたのです:


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*ハーバード・サイコロジカル・クリニック

*マサチューセッツ工科大学(MIT)

*ナショナルモラル委員会[国民道徳委員会]

*ランド・コーポレーション

*米国国防資源評議会

*国立精神・神経医療研究センター

*ナショナルトレーニングセンター

*スタンフォード大学研究センター

*ウォートン・スクール・オブ・エコノミクス

*ニューヨーク市警

*FBI

*CIA

ランド研究所

レヴィンは、エサレン、ランド・コーポレーション、アメリカ空軍、海軍、統合参謀本部、国務省などの一流の研究機関で、重要な人材を選ぶ役割を担っていたのです。後年、タヴィストックは、ウィスコンシン州とミシガン州にあるELF気象修正施設を運営するために選ばれた人々を条件づけました。これは、ロシアのコラ半島から運営されているELF気象修正施設に対する防衛策でした。


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スタンフォード大学やランド大学のような機関を通じて、反逆罪に値する悪名高い[中央情報局 科学技術本部がタビストック人間関係研究所と極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム]「MKウルトラ計画」プロジェクトがスタートしたのである。「MKウルトラ計画」は、オルダス・ハクスリーと「原爆禁止」運動の第一人者であるバートランド・ラッセル(300人の上級政治家)の指示の下、CIAのために、LSDやその他の「精神障害」薬を使った20年にわたる実験であった。

第二次湾岸戦争では、タヴィストックの訓練を受けた工作員が、イラクのアブグレイブ刑務所とキューバのグアンタナモ湾に収容されていたイスラム教徒の捕虜[囚人]から「情報」を引き出すための組織的拷問の方法を、アメリカのミラー将軍に教え、それが暴露されると世界中が衝撃と嫌悪に包まれたのです。これらの薬や類似のマインドコントロール、気分転換のための薬を通して、レヴィン、ハクスリーとラッセルは、アメリカの若者たちに筆舌に尽くしがたいダメージを与えることができたのだ。その結果、私たち国民・国家(nation)として、おそらく完全に回復することはないでしょう。彼らの恐ろしい薬物実験は、スタンフォード研究所、マギル大学、ベセスダ海軍病院をはじめ、各地に点在する米軍基地に設置された施設で、彼らの陰惨な薬物実験が行われたのである。

繰り返しになりますが、1950年代から1960年代にかけて、若者の間に芽生えた、「ニューエイジ」「水瓶座の時代」とも呼ばれる、この運動は、はタヴィストック社のプログラムあった。そこには自然発生的なものはなかった。ヌードは、女性の品位を落とす方針に沿って導入された。

2005年になると、「新しい」流行は「ヒップホップ」と呼ばれる、主にアメリカの都市部の貧しい郊外の子供たちが遊ぶダンスゲームの一種になりました。それがタヴィストックに買収され、彼らの専門家が「音楽と歌詞」を書くことで本格的な産業に発展し、レコード業界で最も収益性の高い稼ぎ頭(profit-makers)のひとつとなるまでに成長したのである。


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リースの手法は、アルダス・ハクスリー、バートランド・ラッセル、アーノルド・トインビー、アリスター・クロウリーらにも踏襲された。ラッセルは、「CND」(核兵器撤廃運動)を形成する上で、特にタヴィストックのメソッドを巧みに利用した: 米国の核実験に反対する「核兵器禁止」(Ban the Bomb)キャンペーンを展開したラッセルは、特にタヴィストック方式に精通しており、米国政府から多額の資金援助を受けていた。このような機関では、大量の人口を条件づける研究実験が行われています。CND運動とは、ハクスリーがイギリスの若者たちに薬を配るための隠れ蓑だったのだ。

これらの実験において、アメリカ国民は世界中のどの国民集団よりもターゲットにされてきた。1969年と2004年に私が公表したように、1946年以来、アメリカ政府は何十億ドルもの資金を「秘密工作」と呼ばれるプロジェクトに注ぎ込んできた。これは「潜入捜査」という名目で行っていた可能性もあるのです。つまり、実験的なプログラムは別の名前やタイトルで行われるため、疑うことを知らないアメリカ国民は、このような政府の贅沢な支出に対して抗議を起こさないようになっているのです。

このようなタヴィストックの実験では、アメリカの生活様式、習慣、伝統、歴史のあらゆる側面が、変化の対象となり得るかどうか[変更可能かどうか]が[検討され]試されるのです。タヴィストックのアメリカの施設では、私たちの心理的、生理的生活のあらゆる側面が常に監視され精査されているのです。

「チェンジ・エージェント」は、私たちの生活様式を変えるためにたゆまぬ努力を続け、そのような変化は、私たちが適応しなければならない単なる「時代の変化」であるかのように見せているのです。こうした強制的な変化は、政治、宗教、音楽、ニュースの作り方や報道の仕方[伝え方]に見られるものである。女性らしさを徹底的に排除したアメリカ人女性読者が圧倒的に多いというニュース読者の配信スタイル; ブッシュによるスピーチのスタイルと伝え方(短い断片的な[スタッカートの]文章)、チェンジ・アーティスト[変幻自在のアーティスト、アーティストの交代、代わる代わるの芸人...]に教わった顔の歪み[表情の変化]と、[死体=犠牲を含む]体の動かし方[主要組織の動静]、


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歩き方(アメリカ海兵隊式)、キリスト教原理主義者と呼ばれる人たちの政治への進出、「イズム」の圧倒的な支持など、数え上げたらきりがない。

これらの結果、つまりこれらの実験的プロジェクトの最終結果は、現在と未来の私たちがどこでどのように生活し、国家や個人の生活の中でストレスの多い状況にどう対応し、教育、宗教、道徳、経済、政治に関して国家レベルでどう「正しい方向」に導くことができるかを決定することになります。

私たち国民は、タヴィストックの研究機関で果てしない研究の対象になってきたし、今も際限なく調査されています。私たちは解剖され、プロファイリングされ、思考を読み取られ、そのデータは、コンピュータのデータバンクに入力されている。それは、将来予定されているショックやストレスの多い状況にどう反応するであろうかをまとまった形にし、計画[企画立案]するためである。これらはすべて、私たちの同意なしに、またプライバシーに対する憲法上の権利に著しく違反する形で行われたものです。

これらのプロファイリング結果や予測は、国家安全保障局、FBI、国防総省情報局のコンピュータにあるデータベースに入力される。このようなデータが保存されている場所には、例えば、米統合参謀本部、米中央情報局(CIA)、米国家安全保障局(NSA)などがありますが、そのようなデータが保存されているところは少ない。

アメリカ国民が来るべき「一つの世界政府」に備え、個人への監視が前例のないレベルに達する中、内部スパイと外部スパイの境界線が曖昧になりつつある。

このような情報があったからこそ、FBIはデヴィッド・コレシュとブランチ・ダビディアンを焼き払い、国民はそれを全国放送で見ていたが、国民からはほとんど抗議がなく、驚くべきことに、議会からも抗議が上がらないまま逃げ切ることができたのです。


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一挙両得にテキサス州の国権が破壊されたのである。ウェーコの目的は、憲法修正第10条が目の前で破壊されるのを目撃した人々がどう反応するかを見るためのテストケースでした。そして、プロファイル通り、テキサスとアメリカの人々は、まさにタヴィストックのプロファイルのように行動しました。彼らは、ユダの山羊が彼らを屠殺場に連れて行き、群れを一掃するのを、草原で静かに草を食べ、平和に過ごす羊のように振る舞ったのです。

カーター首相の国家安全保障顧問だったズビグニュー・ブレジンスキーが、1970年に出版したニューエイジの本「テクノクラート時代」で予言したことが、今現在も続いているのである。ブレジンスキーが予言したことは、今まさに目の前で起こっているのに、これらの出来事がもたらす致命的な悪意は、その凶悪な事件の本質が人々に伝わっていない -- 入手可能な場合[取れるものなら取ってみろ] -- そして、私と同じように、1970年以降の出来事と『テクノトロニック時代』に書かれていることを比較してみてください。ブレジンスキーの予測の正確さには驚くばかりでなく、むしろ恐怖を覚える。

もし、あなたがまだ懐疑的なら、元M16の英国諜報部員だったジョージ・オーウェルの「1984」を読んでみてほしい。オーウェルは、この驚くべき事実を、英国の公文書保護法に基づいて訴追されるのを避けるために、フィクションとして書かなければならなかった。オーウェルが書いた[小説『1984年』(1949年出版)に描かれた架空の言語]「ニュースピーク」[新語法](newspeak)は、今や至る所にあり、彼が予言した通り、何の反対も起きないのです。

読者はオーウェルがロシアを描いていると思ったが、彼はボルシェビキ体制よりはるかに悪い体制、すなわちイギリスの新世界秩序政府の到来を予言していたのである。


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ブレア政権で可決された法案を見れば、自由が打ち砕かれ、政治的異論が封じられ、マグナ・カルタが焼き払われ、その代わりに不吉な予感を与える一連の強権的な法律に取って代わられたことがわかる。 古い格言によれば、「今日のイギリスと同じように、明日のアメリカも同じようになる」ということである。

好むと好まざるとにかかわらず、ブレジンスキーは「われわれ国民にはプライバシーを守る権利など何も残されていない[何も持たなくなる]」と予言した; 私たちの生活のあらゆる詳細が政府に知られ、データバンクから即座に呼び出されることになるのだ。2000年までには、他のどの国も経験したことのないほど、一般市民は政府のコントロール下に置かれることになるだろうと彼は言った。

2005年の今日、私たちはほんの数年前には想像もできなかったような常時監視下に置かれています。憲法修正第4条が踏みにじられ、巨大な国家から私たちを守る最善の手段は失われ、憲法修正第10条はもはや存在していないのです。そして、それはすべてリースとタヴィストック研究所を支配する社会科学者の仕事を通じて、これが可能になったのです。

1969年、300人委員会の命令で、タヴィストックはローマクラブを設立したことは、1969年の私のモノグラフで最初に報告したとおりである。そして、ローマクラブは、政治同盟として北大西洋条約機構(NATO)を設立した。

1999年になると、私たちはNATOの真実を知ることになる; NATOは、加盟国による軍事的支援を受ける政治的実体であり、タヴィストックは、NATOの発足当初から主要な人材を提供し、現在もその役割を担っているのです。NATOの重要な政策はすべてタヴィストックが書き決めているのです。つまり、タヴィストックがNATOをコントロールしているのです。


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その証拠に、NATOはセルビアを72日間昼夜爆撃して、ジュネーブ条約、ハーグ条約、ニュルンベルク議定書、国連憲章に違反しながらも、逃げ切ったことに見られる。このような野蛮な行為に対して、アメリカ国民からもイギリス国民からも何の抗議をしなかった。

もちろん、これはすべてタヴィストックのデータバンクであらかじめ決められていたことだ: 彼らは、原爆投下に対して大衆がどのように反応するか、あるいは反応しないかを正確に知っていたのだ。もし、国民がどのように反応するか、事前に不利な判断がなされていれば、セルビアへの空爆が実行されることはなかっただろう。

2002年にラムズフェルドが行った悪名高い「衝撃と畏怖」(shock and awe)作戦で、バグダッドに降り注いだ巡航ミサイルと爆弾に対する国民の反応も、全く同じタヴィストックの研究が用いられている。このような大規模な残虐行為が容認されたのは、大統領とその手下が、それが米国内の世論の反発を招かないことを事前に知っていたからである。

ローマクラブもNATOも、アメリカ政府の外交政策決定にかなりの影響力を持っており、クリントン政権とブッシュ政権がそれぞれ参加したセルビアとイラクへのいわれのない攻撃に見られるように、今日もその影響力を持ち続けているのだ。歴史は、タヴィストックの米国(U.S.)における国家統制の例を他にも示している。

第二次世界大戦が勃発した時、アメリカでは史上最大級の計画的な洗脳キャンペーンにさらされた。タヴィストック研究所が準備し、実行したものです。


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そうすれば、アメリカは自分たちには関係のない戦争にスムーズに参戦する道が開かれ、それに反対する人々を黙らせることができるだろう。ルーズベルトの壮大な演説はすべて、タヴィストックのマインドコントロールに精通した技術者たちによって構成され、その多くはフェビアン協会出身者によって書かれたものであった。

アメリカ人は、戦争はドイツが始めたものだと聞かされていた; 世界平和に対するドイツの危険は、ボルシェビズムよりもはるかに大きな脅威であると知らされた。アメリカのタヴィストック研究所に所属する社会科学者の中から、アメリカの戦争参戦が適切な道であることをアメリカ国民に説得するために、相当数の人間が選ばれたのである。とはいえ、日本が思い通りになったのは、真珠湾攻撃で「最初の一発を撃たざるを得なく」なってからであった。


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第29章
トポロジカル心理学が米国をイラク戦争に巻き込む

クルト・ルヴァンのトポロジカル心理学は -- タヴィストック研究所で標準的に使われ -- その方法論を学ぶために派遣された選ばれたアメリカ(American)の科学者に教えられた。そして、このグループはアメリカ(U.S.)に帰国して、戦争を仕掛けたイギリス(Britain)への支持を強制する運動の先頭に立ち、我々の最善の利益であるとアメリカ人(Americans)に信じさせるため -- 戦争を仕掛けたのは、私たちの利益のためだと、戦争を扇動したのです。トポロジカル心理学は、個人であれ集団であれ、行動を修正させるための最も進んだ方法であることに変わりはない。

不幸なことに、トポロジカル心理学はマスメディアによってあまりにもうまく利用され、イラクでイギリス(British)が作り出したわざとらしく不自然な状況にアメリカ(America)を追い込み、自分たちとは関係のない戦争に首尾よく巻き込んでしまったのだ。この国を動かしているプロの嘘つき、メディアの[金・保身のために変節する]売国奴・裏切者たち、そしてワンワールド政府の反逆罪に値する裏切り者の「スポークスマン」たち -- 新世界秩序は、イラクを攻撃すべきではないと言う人々に対して、まさにトポロジカル心理学を利用し対抗しているのである。

ブッシュ、ベーカー、ヘイグ、ラムズフェルド、ライス、パウエル、マイヤーズ将軍、チェイニー、そして彼らに、どんないやなことでも手段を選ばず媚びへつらい、[独創性なく卑屈に盲従する]奴隷として誇示[威嚇・求愛]行動をする議会関係者 -- アメリカ国民(American people)は、イラクのサダム・フセイン大統領が怪物で悪人、独裁者、世界平和への脅威であると信じるように洗脳された。イラクは米国(United States)に害を及ぼすようなことは何もしていなかったにもかかわらず、フセインを権力の座から排除しなければならないと洗脳したのです。フセインがひどいことをしたという主張には真実があったかもしれないが、ウィルソンやルーズベルトを100万倍に拡大したようなものである。


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タヴィストックによる合衆国憲法に対する[敵意ある]戦略(war)は、アメリカ国民を完全に麻痺させ、憲法がそのような行動を明確に禁じているにもかかわらず、アメリカにはイラクを攻撃してその指導者を排除する権利があると信じ込ませてしまった。もちろん、国際法やニュルンベルク議定書に違反していることは言うまでもない。すでに述べたように、アメリカ国民を熱狂させるためには「見事に仕組まれた人為的な状況」[困難なことを工夫してどうにかやる、きわどい場面]が必要だったのだ。

第一次世界大戦では、カイザーが行ったとした「残虐行為」である。第二次世界大戦では真珠湾攻撃、そして、韓国では、アメリカ海軍の「幽霊魚雷艇」(ghost torpedo boats)を北朝鮮が攻撃したことは一度もない。

イラクでは、エイプリル・グラスピーの欺瞞と嘘が原因だった; セルビアでは、アルバニア人の不法滞在者が母国の経済的困窮から逃れるためにセルビアに殺到しているとされる「迫害」に対するオルブライト夫人の「懸念」は、セルビアに対する彼女の独善的な十字軍・聖戦の口実となったのだ。

タヴィストックは、不法滞在のアルバニア人に新しい名前をつけた; 今後、彼らは「コソボ」(Kosovars)と呼ぶことにした。もちろん、プロファイリングされ、プログラムされたアメリカ国民は、セルビアに何の異議も唱えることはなかった。正当な理由もなく、米国に損害を与えたこともないのに、セルビアは、76昼夜にわたって無慈悲な爆撃を受けたのである。

平和への真の脅威は、中東諸国に対する私たちの一方的な政策と、社会主義的な政府に対する私たちの態度[姿勢]にある。第二次世界大戦の初期に国旗の周りに結集することを訴えたのは、純粋なリースのトポロジカル心理学であった -- そしてそれは、湾岸戦争や朝鮮戦争、イラク(2回)、セルビアでも繰り返されたのだ。


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すぐにまた北朝鮮が舞台になるでしょう。アメリカは25年以上にわたってこの国を迫害してきた。今回は、北朝鮮がアメリカの都市(American city)に核爆弾を落とそうとしているという言い訳をするのだろう!これらの戦争すべてにおいて、アメリカ国民(American people)は、「愛国心」を口実にしたタヴィストックの洗脳ドラム(Big drum)に屈し、大量の恐怖[懸念・心配・不安]という投薬(dose)で染められ、日夜叩かれ続けてきたのです。アメリカ人(Americans)は、ドイツが世界を支配しようとする「悪者」であるという神話を信じていた; 私たちはボルシェビズム政策[レーニンを指導者とするロシア共産党。ロシア語で「多数派」の意味。過激主義](Bolshevism)の脅威を拒絶したのです。

私たちは2度にわたって、ドイツに対して狂乱[乱心]に駆り立てられたのです。私たちは、自分たちが洗脳されて、操られて、そして支配されていることを知らなかったので、支配者を信じてしまったのです。その結果、私たちの息子たちは、大義のためにヨーロッパの戦場で死ぬために送り出された。というのは、アメリカ(America)のがどうのこうのという根拠のない目的に、命を捧げるために送り出されたということなのです。

ウィンストン・チャーチルは、ドイツとの和平合意に成功したので、彼はネヴィル・チェンバレンを追放し、イギリスの首相に就任した直後; 国際法の尊重を信奉する偉大な模範であったチャーチルは、戦時中の文明的行動を規定するために国際法を破り始めたのである。

タヴィストックの理論家リチャード・クロスマンの助言に従って行動した -- ウィンストン・チャーチルが、タヴィストックの民間人へのテロ爆撃計画を採用した。(イラクやセルビアでも同じような政策が実行されることになった)。

チャーチルはイギリス空軍(RAF)に、ドイツの無防備な小都市フライベルクを爆撃するよう命じた。フライベルクは、ドイツやイギリスの無防備都市のリストに載っている都市の一つで、双方が文書協定で合意した「開かれた無防備な都市」であり、爆撃されることはない、爆撃してはならない都市であった。


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1940年2月27日(土)の午後、フライベルクにイギリス空軍の爆撃機「モスキート」による空襲が行われた。学校とはっきりわかる校庭で遊んでいた27人の子供を含む300人の民間人を殺害した。

これが、イギリス空軍によるドイツ民間人に対するテロ爆撃の始まりであった; 悪名高いタヴィストックの発案によるプルデンシャル爆撃調査。これは、ドイツの労働者住宅と民間のインフラだけを狙ったものであった。タビストックは、ドイツの労働者住宅の65%を破壊するという目標を達成すれば、このような大規模なテロ爆撃によってドイツを屈服させることができるとチャーチルに保証したのである。

チャーチルがドイツに対してテロ爆撃を行ったことは、戦争犯罪であり、今も戦争犯罪のままである。チャーチルは戦争犯罪人であり、人類に対する恐ろしい罪のために裁判にかけられるべきである。

フランスと協議せず、ドイツのフライベルクを爆撃したことは、第二次世界大戦における文明的行動からの最初の逸脱であり、その後のドイツ軍による空襲の責任は、ひとえにイギリス政府にある。チャーチルのテロ戦術は、1999年3月に始まったイラク、セルビア、イラク、アフガニスタンに対する無申告戦争で、アメリカは、チャーチルが見せたのと同じように、容赦なく恐怖の戦略を踏襲したのです。

クルト・レヴィンのドイツへの憎悪はとどまるところを知らず、民間住宅へのテロ爆撃政策を展開したのである。レヴィンは、戦略爆撃調査の「父」である。ドイツの労働者住宅の65%を破壊し、できるだけ多くのドイツ民間人を無差別に殺害するために意図的に計画したのである。


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ドイツ軍の死傷者は、戦争による民間人の犠牲者をはるかに上回っていた。「爆撃機」ハリスと、RAF[イギリス空軍] (Royal Air Force)の重爆撃機によるドイツ労働者住宅への夜間空襲の結果である。これは重大な戦争犯罪であり、いまだに罰せられないでいる。

このことは、ドイツがこのようなテロ空襲が始まったというタヴィストックのプロパガンダのための嘘となった。事実は、8週間にわたるベルリンへのテロ攻撃で、民間の住宅に大きな損害が生じ、非軍事目標で何千人もの民間人の命が奪われた後、ドイツ空軍はロンドンに報復したのである。ドイツの報復は、ヒトラーがチャーチルに何度も合意破棄をやめるよう訴えたが、「偉大なる人物」(great man)が、これを拒否した後に行われたのだ。

チャーチルは、嘘つきの達人、完璧な嘘つきであり、レヴィンの協力と指導のもとで、ドイツが意図的な政策として民間人爆撃を始めたと世界に説得することができました。それをチャーチルが主導したのだ。イギリス陸軍省(British War Office)と空軍(RAF)の文書は、この立場を反映している。ドイツ空軍がロンドンに与えた被害は、イギリス空軍がドイツの都市に与えた被害と比べれば、比較的軽微なものであったが、このことは世界には知られていなかった。

世界は、ドイツ軍の空襲で被害を受けたロンドンのごく一部と、瓦礫の上を歩くチャーチルの姿しか見ていない。顎を突き出し、葉巻を歯の間に挟み、反抗の象徴となったのだ! タヴィストックは、このようなイベントの演出を、よく教えたものだ! (チャーチルの影響を受けた物言いは、ジョージ・ブッシュにも見られるが、彼もまた何らかの「訓練」を受けているようだ)。チャーチルの「ブルドッグ」キャラはタヴィストックによって作られたものである。彼の本当の性格は決して明らかにされなかった。


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フライベルクへの冷たく、残忍で、非キリスト教的、非人道的な焼夷弾爆撃は、開放的で無防備な都市ドレスデンへの爆撃に匹敵し、その後の広島への原爆攻撃よりも多くの人命が失われた。

ドレスデン爆撃とそのタイミングは、「偉大なる人物」がタヴィストックと相談して、「衝撃と畏怖」を引き起こし、友人であるヨシフ・スターリンに感銘を与えるために行った冷徹な決断であった。また、四旬節の時期に合わせて行われたキリスト教への徹底的な攻撃でもあった。

レヴィンが標的に選んだドレスデンを焼夷弾で爆撃することには、軍事的にも戦略的にも何の理由もなかったのである。私の考えでは、四旬節のお祝いの時期、ドレスデンは東方からのロシアの猛攻から逃れるドイツの民間人の難民でごった返していたようだ。これは史上最も凶悪な戦争犯罪であろう。しかし、英米の国民は徹底的にプログラムされ、条件づけられ、徹底的に洗脳されていたため、抗議の声はほとんど聞かれなかった。戦争犯罪人である「爆撃機」ハリス、チャーチル、レヴィン、ルーズベルトは、この人類に対する恐ろしい犯罪を平然と行い、逃げおおせたのである。

2005年5月5日、ロシアのプーチン大統領は、ベルリンを公式訪問した際、ドイツのシュローダー首相と共同会見を行い、ドイツの新聞『Beeld』に対して、「ドレスデン爆撃を含む第二次世界大戦の惨禍について連合国を許すことができない」と述べた: 「西側諸国は特殊な人間性で、問題ある人物がたくさんいる」と言ったそうだ。「なぜドレスデンが破壊されたのか、今でも理解できない。軍事的な理由はなかったのだ」と。

おそらくこのロシアの指導者は、恐ろしい爆撃を命じたタヴィストックと、その「用心深く自由裁量権のある爆撃調査」(Prudential Bombing Survey)について知らなかったのだろうが、


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確実に、本書の読者は、この野蛮で恐ろしい残虐行為が、どういうわけで行われたかを知ることになるだろう。

リースの話に戻ると、タヴィストックでの彼の初期の仕事は、8万人の英国陸軍兵士に対する洗脳実験に関わるものであった。これらの兵士を5年間「再プログラム」した後、リースは、精神的に安定した人々を病気にする彼のシステムは、どんな大衆集団にも有効であると確信していました。リースは、大勢の人々[大衆集団]が望もうが望むまいが、「治療」[処理、待遇を与えること]ができると確信していた。そして、被害者は、自分の心に何が行われているのかにさえ気づいていなかったのです。リースは、自分の行為の妥当性を問われた時、「実験を始める前に、まず 「被験者 [実験台、臣民]から許可を得る必要はないのだ」と答えている。

リースとその教祖[グル]たちが開発した[身につけられた](developed)手口は、成功していることが分かりました。心を不法[不正]に改ざんするリース - レヴィン方式は、非常に効果的であることが証明され、2005年の今日でも、アメリカで広く使用されています。私たちは、自分の意見を勝手に作られ、改ざんされているのだ。このような行動修正の目的は何だったのでしょうか?それは、私たちの同意なしに、そして何が起こっているのかにさえ気づかないまま、私たちの[生活様式]生き方を強制的に変化・変更することだったのです。

リースは、優秀な学生の中から、彼が「私の最初のチーム」と呼ぶものたちを選び、英国情報部、陸軍、議会、そして後に連合遠征軍最高司令部(SHAEF)内部の要職に就く[共に選ばれた]「表に出ない大学[同僚・集団]の卒業生」「奇襲部隊」の第1期生としたのです。

「第1期卒業生チーム」[原義:ある子孫・家族・種族・系統・部族・子作り・子種・一緒に軛をかけられた一組の徴兵動物(人)の群れを引っ張り、手綱を引く、訴訟を起こすために一緒に行動する人の集団として、獣を取り込みチームに編成する最高クラスの学位[ノウハウ]を取得した一番前にある、第一位を占める人(子孫、一族)]によって、アイゼンハワー将軍は完全にコントロールされ、彼らの手の中で操り人形に過ぎない存在になっていったのだ。


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「第1期卒業生チーム」は、アメリカのあらゆる政策決定機関に潜り込んでいたのです。

アメリカの政策を決定したのは、「第1期卒業生チーム」である。その後、「秘密部隊」と呼ばれるようになった彼らは、大統領の公開処刑の責任者であり、大統領のミッションを公の場で遂行する役割を担っていた。ジョン・F・ケネディは、「オリンピアン」から受け取ったすべての指令に従わなければならないという未来の大統領への教訓として、アメリカと世界が見守る中、公開処刑されることになったのである。キッシンジャーは、アメリカ政府、O.S.S.、FBIの内部で権威ある地位に置かれた多くの「第1期卒業生チーム」の一人であった。

カナダ人の(ユダヤ社会のリーダーとして認められていた)ルイス・モーティマー・ブルームフィールド少佐は、第二次世界大戦中、連邦捜査局(FBI)第5課で防諜を仕切っていた。イギリスでは、ヘンリー・ビクター・ディックスが、議会はもちろん、英国国教会、外務省、陸軍省などの諜報機関の要職に「第1期卒業生チーム」を配置する役割を担っていたのである。

タヴィストックは、あらゆる(便宜のために作られた)施設[機関・組織・設備・能力・才能]を駆使して、平時から戦時の実験を行うことを可能にした。この経験を生かして、アメリカ(U.S.)とイギリス(British)の軍部[軍用機地]や諜報機関への締め付けをより強化することができたのです。

アメリカ(America)では、タヴィストックの不吉な実験が、アメリカ(American)の生活様式を完全に、そして永久的に変えてしまったのです。この真実が国民の大多数に認識され、タヴィストックが私たちの日常生活に及ぼす広範囲な支配が理解されたとき、初めて我々は反撃することができるだろう、もし、その時までに、私たちが完全な[無力感を引き起こす]シェルショック[洗脳]を受けた自動人形[機械仕掛けの人形、西洋からくり人形]になっていないのであれば。


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1942 年まで、イギリスとアメリカの軍と諜報機関の指揮系統は、もはや互いに分離・区別がつかないほど緊密に入り組んでいた。

これが、我が国の政府がとる多くの奇妙で[発見場所に属さない、好奇心をそそる、外部・外地・外国(余分な割り増し)による見慣れない]おかしな政策を生んだ。そのほとんどが、合衆国憲法や権利章典[人権宣言][神なる命令・密封文書~首用のお守り、誰かへの告発・請求書](Bill of Rights)に真っ向から反し、議会で選ばれた代表者を通して表明されたように「われわれ国民」の意向に反する政策である。要するに、私たちが選んだ代表者たちは、政府をコントロールできなくなっていたのです。ウィンストン・チャーチルは、これを「特別な関係」[他と区別される普通でない状況で与えられた特殊(例外的)な種類に属する(重要な仕事のために選ばれた)[同姓を同族でないと区別した]血縁・親族・婚姻で結ばれた人・その他の同盟関係(恋愛や性的な親密さ)のもとへ運ぶ取引関係](a special relationship)と呼んだ。

第二次世界大戦末期、英米の政界・軍部の高官の中から厳選してプロファイリングされた数名が、リースが議長を務める会議に招かれた。この会議に出席した人物の一人で、匿名希望の人物によってまとめられた秘密ノートから、リースが語った内容を紹介する:

「もし、私たちが表に出て、現代の国家的(national)、社会的問題を攻撃しようとするならば、私たちは「奇襲部隊」を持たなければなりません。そして、それは施設に依存する精神医学では提供できないものなのです。

そのためには精神科医のモバイルチームを編成し、現地を自由に動き回り、特定の地域の状況に接触できるようにし、現地の事情に精通する必要があります。完全に狂ってしまった世界の中で、互いに結びついた精神科医のグループが互いにリンクし、政治と行政府の全領域に影響を及ぼすことができる各人が、裁定者、権力の中枢でなければならない[その中枢であるに違いない]のです」と。


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リースは、精神科医のグループが、彼の表に出ない大学[団体]の「先発隊」を構成するために結ばれた無法な行為を提唱しているのです。社会的、倫理的[習慣・作法]、法的に拘束するもの[制限・制約・自制・慎み]から解放され、精神的に良好[元気](well)な人口集団の地域に移動[感動]させることができる人を、逆心理学による「治療」[取り扱い、待遇、取り扱い]で精神的に病気にする必要がある、というのが、リースたちの意見です。集団洗脳に抵抗することに成功した、どんな地域[共同体]も、「ウェル」(well)である[申し分がない]ことを「世論調査」[投票](polling)の結果、明らかにした。

「先発隊」の後には、環境保護団体の中に見られるような「奇襲部隊」が続くことになる。そして、アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)はタヴィストックの「環境への懸念」[環境問題](environmental concerns)によって作られたモンスターであることから、これは驚くべきことではないのだ。この懸念[課題・関心事]はタヴィストック自身によって生み出され、そして「奇襲部隊」を経由して、環境保護庁[=環境の保護貿易(政策)意識が強い諜報機関](Environmental Protection Agency、EPA)に連絡を取って引き渡されたのですから。

EPAだけがタヴィストックによって引き起こされた唯一の創造物(ではありません。中絶と同性愛はタヴィストックも生み出し出し、支援された異常な事態[精神の異常、一時的精神錯乱]です。

タヴィストックによって作られ、支援されたプログラムのせいで、私たちアメリカ人は、道徳的生活、宗教的生活のひどい劣化に苦しんでいます; ロックンロールという「音楽」の異常さによる音楽の堕落[劣化]は、ビートルズに続いてラップやヒップホップが登場し、事態は悪化の一途をたどった; 芸術の破壊は、メイプルソープに見られるように、PBS[北米公共放送]の堕落によって引き起こされる嘲笑の対象である。私たちは、麻薬文化の拡散と黄金の子牛[偶像]《未熟・無垢・愚かさの象徴》(Golden Calf)への崇拝[熱愛]の激化を目の当たりにしてきました。どの文明社会においても、今の文明ほど金銭に対する欲望が高まったことはありません。


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これらは、[共に選ばれた]「表に出ない大学[同僚・集団]の卒業生」によって社会に植え付けられたタヴィストック政策の苦い果実[成果]である。彼らは教育委員会のメンバーになり、私たちの教会で指導的役割に入り込み、リーダーシップを発揮しています。また、都市や州レベルの政党政治の重要なポジションに就くように仕向け、潜在意識に繰り返し働きかけているのです。彼らの影響は、どこにいても感じられる。

「卒業生」たちは、労働調停委員会、教育委員会、大学理事会、労働組合、軍隊、教会、通信メディア、娯楽メディア、公務員のメンバーとなり; 議会と同様に、訓練された観察者には、タヴィストックが政府の手綱を握っていることは、明らかだった。

リースとタヴィストックの仲間たちは、政府の基盤となる主要な機関を掌握し、彼らの想像を超える成功を収めた。親である -- 300人委員会は -- ローマクラブというまだ歴史が浅いクラブによって成し遂げられた成果を喜んでいるに違いない。

7月4日は無意味なものになった。もはや、アメリカの「独立」を祝うことはできない。1776年の勝利は否定され、大きく覆され、新世界秩序の利益を優先して(in favor of)合衆国憲法を不要なカードとして捨て、廃止されるのも時間の問題である。G.W.ブッシュの在任期間中に、そのプロセスが加速したことがわかる。


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第30章
私が選んだ候補者は、私が選んだのではない

選挙がどのように行われるか見てみよう。アメリカ国民は大統領に投票するのではない。彼らは、300人委員会の完全な支配下にある党の選出者によって選ばれた党の候補者に投票するのである。これは、よく言われるように、私たちが候補者を選ぶための投票ではない。実際には、有権者はあらかじめ選ばれた候補者の中から選ぶ以外の選択肢はないということなのです。

国民が選択して賛成投票していると思っている候補者(私たちの選択)は、タヴィストック研究所によって徹底的に調べられ吟味されているのである。そして私たちは、彼らを[宗教的法則に適合し、優れた特性、道徳的で、騎士にふさわしい資質を持つ]美徳と思うように洗脳されたのである。

こうした印象やサウンドバイト[印象操作で繰り返し使われるキャッチフレーズ・パワーワード。人々の意見や生活・経歴などの”一コマ”]は、タヴィストック出身のダニエル・ヤンケロビッチが運営するヤンケロビッチ、スカーリー、ホワイトといったシンクタンクの研究成果として生み出されているのだ。タヴィストックに支配された「シンクタンク」は、彼らが選んだ方法で投票を行うよう私たちに指示する。ヤンケロビッチの出現以来、〔特殊な目的を持つ〕公共機関・施設・団体・協会・機構といった「プロファイリング」[特徴分析グループ]産業の数は150を超えるまでに急増している。ジェームス・アール・カーターやジョージ・ブッシュの例を見てみよう。カーターは無名からホワイトハウスを「勝ち取った」のである。メディア王[メディア界の大物たち]は、「アメリカのシステムがうまく機能していることを証明した」と述べた。

実際、カーターの選挙で証明されたのは、タヴィストックがこの国を支配しており、大多数の有権者がほとんど何も知らない人物に投票するよう誘導できることを証明したのである。 カーターに関して、そして後にウィリアム・ジェファーソン・クリントンに関して「システムはうまく機能した」と言ったのは、タヴィストックが大量洗脳された民衆からは期待していた通りの[環境・目的などに]不適応な反応だったからです。

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カーターが反映しているのは、有権者はあらかじめ選ばれた候補者に投票する、ということだ。スカル・アンド・ボーンズのメンバーであるジョージ・ブッシュを副大統領にしようと考える人はいなかっただろうが、ブッシュは我々が手にしたものだ。カーターがホワイトハウスにたどり着けたのはなぜか?それは次のように起こった。タヴィストックの社内社会心理学者であるピーター・ボーン博士に、タヴィストックが操れるような候補者を見つけるという任務が与えられたのです。つまり、ボーンはタヴィストックのルールに従って、有権者に売り込むことができる「正しい」[右派、保守系?](right)候補者を探すことになったのである。

ボーンは、カーターの経歴を知った上で、カーターを候補に挙げたのだ。カーター氏の経歴が認められると、アメリカの有権者たちは「トリートメント」[治療/施術]を受けることになった。つまり「カーターを選んだのは自分たちだ」と信じ込ませるために、洗脳工作が延々と続けられたのです。実際、タヴィストックがこの仕事を完成させた頃には、選挙を行う必要性はほとんどなくなっていたのである。単なる形式的なものになったのです。カーターの勝利は、リース(Reese)にとって個人的な勝利であり、ブッシュの勝利は、タビストックの方法論の勝利であった。さらに、ウィリアム・ジェファーソン・クリントンがホワイトハウスの候補者として売り出されるという、さらに大きな「サクセスストーリー」が待っていた。これは、他の国ではありえないだろう芸当[早わざ]です。

そして、失敗したビジネスマンであり、ベトナムへの従軍を、はぐらかして敬遠[回避]した男である、非常に経験の薄いジョージ・W・ブッシュが売り出されたのです。

タヴィストックは気合を入れざるを得なかったが、それさえも十分でなかった。ブッシュが勝てないと判断すると、連邦最高裁が州の選挙に違法に介入し、敗者に賞金を与えたのである。

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唖然とし(殻に閉じこもった)有権者は、米国憲法の巨大な違反を疑問視[議論]せず放置し、それによって彼らの未来が新世界秩序 -- 国際共産主義の「一つの世界政府」-- 国際共産主義者による独裁の中で生きることを確実にしたのである。

リースは、タヴィストックの拠点を拡大し続け、高度な技能を有する人口動態プロファイラーであるドーウィン・カートライトを迎え入れた。彼の専門は、食糧不足に対する住民の反応を測定することだった。その目的は、タヴィストックの規制に従おうとしない集団[住民グループ]に対して、食糧という兵器を投入したときの経験を積む[収益を増大させ勝利を獲得する]ためである。

タヴィストックはこのように計画している: 国際的な食糧カルテルが、世界の食糧生産と食糧資源の分配[配給]を追い詰めるでしょう。(ある地域・期間の)飢饉[物資のたいへんな不足]は戦争の武器であり、気象変動[荒天の中での栄枯盛衰による(英国防省による)修正、乾かす加減]が戦争の武器であるのと同じである。タヴィストックは時期が来れば、飢饉という武器を遠慮なく使うだろう。タヴィストックの拡大を続けるリースは、ロナルド・リッパートを採用した。

タヴィストックがリッパートを雇ったときに考えていたのは、将来的に幼児から始まる教育のコントロールに足がかりを得ることだった。リッパートは幼い子供たちの心をいじくる専門家だった。元戦略情報局OSS[Office of Strategic Services:第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の諜報機関、国務省情報調査局(INR)と、中央情報局(CIA)の前身]の工作員で、高度な理論家であり、国境を弱める方法としての人種混血の専門家であった。タヴィストックに赴任したリッパートは、まず「シンクタンク」を設立し、彼が「コミュニティ相互関係」と呼ぶ、自然な人種の壁を解体する方法を模索する仕事を始めた。

いわゆる「公民権」法案は、単にリースとリッパートのものであり、憲法上の根拠はない。


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(いわゆる「公民権」についての詳しい説明は「知っておきたいアメリカ憲法のこと」をご覧ください)。

一応言っておくと、アメリカの公民権法はすべて憲法修正第14条を前提にしているが、問題は第14条が一度も批准[内容が確定している条約について、条約を締結する権利をもつ国家機関が確認、同意]されていないことである。従って、この法律は合衆国憲法の一部ではなく、これを前提とした法律はすべて無効である。要するに、憲法には公民権[市民権]に関する規定がないのです。

リッパートは、連邦憲法にその根拠が存在しないことを覆して、マーティン・ルーサー・キングの「公民権」の根拠を確立したのである。バスを使った子供たちの通学路の確保も、子供たちを学校からバスで送ることも[学校に通わせることも]、リッパートとリースの洗脳の成功例である。子供たちを目的地までバスで送ること[バスで目的地を通過すること]は、確かに「権利」(right)ではなかった。アメリカの一般大衆に「公民権」という考えを広く売り込むために、3つの「シンクタンク」が設立された:

科学政策研究センター(The Science Policy Research Center)
社会調査研究所(Institute for Social Research)
ナショナル・トレーニング・ラボラトリーズ(National Training Laboratories)

科学政策研究ユニットを通じて、リッパートは、洗脳された何千人もの「卒業生」を、アメリカ、西ヨーロッパ(イギリスを含む)、フランス、イタリア中の要職に就かせることができたのである。現在、イギリス、フランス、イタリア、ドイツでは、すべて社会主義政権が誕生しているが、その下地はタヴィストックによって準備されたものである。

アメリカの一流企業の何百人もの上層幹部が、リッパートの教育機関のいずれかで研修[訓練]を受けたのである。ナショナル・トレーニング・ラボラトリーズは、200万人規模の全米教育協会を支配下に置き、アメリカの学校と大学の教育を完全にコントロールすることで、この成功を収めた。


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しかし、アメリカに最も大きな影響を与えたのは、タヴィストックによるNASAの支配であろう。それは、アナトール・ラパポート博士がローマクラブのために書いた NASA の宇宙計画に関する特別報告書によるものでした。この驚くべき報告書は、1967年5月のセミナーで発表された。このセミナーには、最も先進的な国のビジネスと政府のトップ層から最も慎重に選ばれ、プロファイルされた代表者のみが招待されたのである。

出席者の中には外交政策研究所(Foreign Policy Institute)のメンバーもおり、国務省が監視団の一員[観察の目]として派遣したのは、「水瓶座の時代」の共謀者、ズビグニュー・ブレジンスキーであった。タヴィストックに支配されたシンポジウムは、その最終報告書の中で、NASAの仕事を「不適切」と揶揄し、その宇宙開発計画を直ちに中止するよう提案している。アメリカ(U.S.)政府は、当然ながら資金援助を打ち切ったことで、NASAは9年間も休眠状態に陥り -- そしてそれは、ソ連の宇宙開発がアメリカに追いつき、追い越すには十分な時間であった。アメリカ(United States)はその差を縮めることができないでいる。

ラパポートの NASA 特別報告書では、NASA が「あまりにも多くの熟練した人々、あまりにも多くの科学者とエンジニアを出し過ぎている」とし、ローマクラブが提唱する、より小さく、美しいポスト工業社会では、そのサービスは必要ないだろうと述べている。ラパポートは、高度な技術と訓練を積んだ宇宙科学者やエンジニアを「余分な存在」 と呼んだ。アメリカ政府は、私がすでに指摘したように、タヴィストックの支配下にあるようで、その結果、資金を削減しました。NASAへの干渉は、イギリスがいかにアメリカの内政と外交をコントロールしているかを示す好例である。


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タヴィストックで特に優れているの[王冠の宝石]は、コロラド州のアスペン研究所である。この研究所は、長年、シカゴ大学を卒業したロバート・アンダーソンの指揮下にあり、アメリカの洗脳分野では群を抜いている。アスペン研究所は、北米におけるローマクラブの本拠地であり、王政復古[君主制の復活]はアメリカにとって非常に有益だと教えている。タヴィストック出身のジョン・ネスビットは、アスペンでかなり定期的にセミナーを開き、トップビジネスマンたちの間で君主制の確立を推進していた。

ネスビットの教え子の一人に、当時すでに大統領候補として有力視されていたウィリアム・ジェファーソン・クリントンがいた。ネスビットはアンダーソンと同じように、イギリス王室に目がくらみ、エコロジー[スコットランドの氏族、興味や目標を共にする仲間~家(王室)の学術論~人間社会生態学/環境保護政治]へのインチキ[不法/偽札・偽硬貨/偽造者の器具]な懸念という彼らのカタリ派[フランスプロバンス地方の「清浄な」を意味するカタロスに由来するキリスト教派; 禁欲主義]の教義に従っている。

哲学的急進派は、ボゴミールやカタリ派の信仰をイギリスの社会主義界に持ち込んでいたのだ。アンダーソンの子飼いのマーガレット・サッチャーとジョージ・ブッシュは、湾岸戦争での行動から、タヴィストックが宿題をきちんとこなしていたことがわかる。アンダーソンは、騙されて洗脳された「大学院生リーダー」の典型であり、彼の専門は、ビジネスリーダーを対象にした環境教育の指導である。

エコロジーはアンダーソンの得意分野である。アンダーソン氏は、その活動の一部を自らの巨額の資金で賄っているが、エリザベス女王とその配偶者であるフィリップ殿下をはじめ、世界各国から寄付を受けている。急進的過激派のエコロジー運動「地球の友」や「国連環境会議」を創設したのもアンダーソンである。


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アスペンでの活動の傍ら、アンダーソンはアトランティックリッチフィールドカンパニー傘下の -- ARCOの会長兼CEOを務めており、その取締役会には次のような著名人が名を連ねている:

ジャック・コンウェイ
彼は、ユナイテッド・ウェイ・アピール・ファンド(United Way Appeal Fund)や社会主義インターナショナル・フォード財団の理事としての仕事でよく知られているが、どちらも限りなくアメリカ的でないとしか言いようがない。コンウェイはまた、タヴィストック奇襲部隊の専門家集団である「センター・フォー・チェンジ」のディレクターも務めていた。

フィリップ・ホーリー。
彼は、反キリスト教、反家族、中絶推進、レズビアン推進、同性愛[ゲイ]推進、麻薬推進の映画を専門に作る「トランスアメリカ」と接点を持つロサンゼルス会社「ホーリー・アンド・ヘイル」(Hawley and Hale)の会長である。ホーリーはバンク・オブ・アメリカと関係があり、この銀行は、麻薬使用と麻薬の合法化を推進する古典的なタヴィストック洗脳機関のシンクタンクである民主制度研究センターに資金を提供しています。

ジョエル・フォート博士
このイギリス人(British national)のフォートは、ロンドンの「オブザーバー」紙の取締役を、デイヴィッド・アスターやマーク・ターナー卿とともに務めていた。王立国際問題研究所(RIIA)のディレクターであり、その忌まわしいアメリカの召使[下僕]がヘンリー・キッシンジャーである。

王立国際問題研究所(RIIA)
外交問題評議会(CFR)は、アメリカの事実上の中堅秘密政府の姉妹組織として設立され、「300人委員会」の執行機関であった。1982年5月、キッシンジャーはタヴィストックがアメリカを支配していることを誇らしげに宣言した。


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この日は、RIIAの会員を招いての夕食会だった。キッシンジャーは、タビストック出身者らしく、イギリス政府を絶賛した。キッシンジャーは、得意げな口調でこう言った: 「ホワイトハウス時代、私はアメリカ国務省よりもイギリス外務省に情報を流していた」と。

リッパートの3つの〔特殊な目的を持つ〕機関に共通しているのは、もともとタヴィストックで教えられていた洗脳の方法論である。リッパートの3つの研究所はすべて政府の補助金によって運営されていた。これらの研究所では、政府の上級管理者や政策立案者が、西洋文明と合衆国憲法を基盤にしたアメリカの確立された生活様式を弱体化させる方法を訓練され、今も訓練されている。その意図は、アメリカの基盤を構成する制度を弱め、最終的には崩壊させる[解体する]ことである。

全米教育協会
リッパートのNEAに対する支配力の大きさは、洗脳された会員の教師たちが、指導者の指示に従って、ウィリアム・ジェファーソン・クリントンに対して集団で投票したことからも、うかがい知ることができるだろう。

コーニング・グループ。
同社はワイ農園(Wye Plantation)をアスペン研究所に寄贈し、アスペン研究所はニューエイジの新人と 「奇襲部隊」の主要な訓練場となった。コミングの副会長であるジェームズ・ホートンは、ウォール街のモルガン・ギャランティ・アンド・トラストのピエポイント・モルガン一族のメッセンジャーである。モルガンは毎日ロンドンから直接RIIAからのブリーフィング[簡潔な指令]を受け、そのブリーフィングが「指令、教えられた知識」(INSTRUCTIONS)となって米国国務長官に伝えられる。


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ウィリアム・ファウラー元財務長官は、コーニング - アスペンインターフェイスの一員だった。彼は、米国の財政政策を国際通貨基金(IMF)に移管することを主導し、国際決済銀行による米国内の銀行業務の管理を継続的に推し進めた人物である。ワイ農園が、「ワイ合意」として知られるアラブ・イスラエル和平交渉の舞台となった場所として重要な意味を持つ。

ロバート・L・シュワルツの指揮のもと、行動修正を教える「プロフェッショナル・トレーニング・センター」として、エサレン協会[退却の合図、引きこもり・隠れ家、宗教的な研修施設]の流れを汲む活動を展開しています。

シュワルツはエサレン協会に3年間滞在し、オルダス・ハクスリーと密接に仕事をし、アメリカの大学生にLSDを紹介したタヴィストックきっての「評判」(respectable)をもつ麻薬文化推進の第一人者である。シュワルツは、人類学者マーガレット・ミードとその夫グレゴリー・ベイトソンとも親交があった。シュワルツはスタンフォードとエサレンから、ウエストチェスターにあるメアリー・ビドル・デュークの所有するテリータウン・ハウスに移り、IBMとAT&Tからの巨額の助成金を得て、エグゼクティブ・コンファレンス・センターを開設したのである; これは、アメリカのビジネス、工業[産業]、貿易、銀行など、あらゆる分野から集められた、一流の企業幹部を対象とする水瓶座の新時代の最初の全日制「大学院」であった。

アメリカの企業、特にビジネスエリートの中からフォーチュン500社のトップエグゼクティブやマネージャー数千人が、それぞれ750ドルを支払い、シュワルツ、ミードが行うセミナーを通じて、水瓶座の時代の手法、ベイトソンや他のタヴィストックの洗脳の専門家の指導を受けたのです。


204

シュワルツは一時期サイエントロジーと密接に連携しており、『TIME』誌の編集者でもあった。アスペン研究所のニューエイジセンターは、IBMとAT&Tから多額の資金提供を受けていた。

このような情報にアクセスできないアメリカ人にとって、アメリカの企業で有名なIBMとAT&Tが、マインドコントロール、洗脳、行動修正、超越瞑想、バハイ教[バハイ共同体?]の感受性トレーニング、禅仏教、逆心理学、その他アメリカの道徳を損ない家庭生活を弱めるために作られたニューエイジ「水瓶座の時代」のあらゆるプログラムと関係があるとは信じがたいと思うだろう。キリスト教は教えられていない。

アメリカ企業が、憲法や権利章典を脅かすような危険な方法で、国内外を支配していることを知らない多くのアメリカ人は、疑念を抱いているだろう。アメリカ企業がなければ、ベトナム戦争や湾岸戦争、セルビアへの戦争、そして第二次イラク戦争に見舞われることもなかっただろう。また、カーターやクリントンが、あらゆる見込みに反してホワイトハウスに居座るチャンスの亡霊(ghost)をつかむこともなかっただろう。

もし、ここに書かれていることが正確でないなら、これらの企業はいつでもその真実を否定することができますが、今のところ、そうしていません。驚くべきことに、アメリカ国民に名を知られている多くの巨大企業が、幹部や上層部の管理職を、シュワルツ、ミード、ベイトソン、ジョン・ネスビット、レヴィン、カートライトなど、タヴィストックの行動修正とマインドコントロールの専門家に脳をスクランブルさせたのである。エグゼクティブ・コンファレンス・センターでは、企業の重役たちが、ウィンザー家として知られる黒い貴族とゲルフ家、RIIA、ミルナー・ラウンドテーブル・グループ、ローマクラブ、アスペン研究所に


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忠誠を誓うジョン・ネスビットに会っている。ネスビットは、イギリス(British)政府がアメリカ(U.S.)や外国の政策を誘導するために利用する工作員の典型である。

ネスビットは頑強な君主論者であり、ローマクラブの専門家として、産業、特に重工業のゼロ成長を主張している。彼は、世界を封建的な国家に戻すほど、ポスト工業主義のゼロ成長を信奉している。ある洗脳会議で、彼は(私の新語)「ビジネス・アメリカ」(Business America)の幹部たちにこう言った:

「アメリカ(United States)は、英国(Britain)のような君主制、議会による統治体制に移行しつつある。ホワイトハウスや最高裁は、単なる象徴的、儀式的なものになります。これこそが真の民主主義である; アメリカ国民は、誰が大統領になるかなんて気にもしていない; どうせ半分くらいは投票に行かないのだから。アメリカの経済は国民国家から離れ、より小さな権力の中心へと進化しており、場合によっては複数の国家へと発展する可能性もあります。私たちは、国民国家を地理的、生態学的な考え方で置き換える必要がある」と。

「アメリカ(United States)は重工業の一極集中から脱却する。自動車も、鉄鋼も、住宅も、もう二度と復活しない。バッファロー、クリーブランド、デトロイトなど、古い工業の中心地は死に絶えるだろう。情報化社会への移行が進んでいる。現在も、そしてこれからも、多くの痛みを伴います。しかし、全体として見れば、バランスよく、10年前よりも景気は良くなっている」と。ネスビットは、実は1982年にダビニョン伯爵が述べた心境をそのまま代弁していたのである。


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第31章
農業と工業のゼロ成長: アメリカの脱工業・産業化社会
(他勢力が中に築くべく勤勉・努力によって生み出される土地を耕す行為[農業]や組織的作業をゼロ[からっぽ/最低の状態]にすべく、アメリカにおける次世代の柱を据えるべく各地にスパイ・工作員・駐屯部隊を配置する仲間の集まり)

1983年、私は「鉄鋼業の死」と題する単行本を書き、ローマクラブのフランス人貴族エティエンヌ・ダビニョン氏が、アメリカの鉄鋼業の縮小を任された経緯を詳しく説明した。

この作品が発表された当時は、多くの人が懐疑的でしが、ローマクラブの情報に基づいて -- 1970年に私が同名の論文を書くまで、ほとんどのアメリカ人や作家はその名前すら聞いたことがなかったのです: 私はネスビットの予言は、7年以内に必ず実現すると確信していた。すべてとは言わないまでも、その予言は的中することになった。ネスビットの予測は一部外れていたが、まだその時は来ていなかった。秘密政府の意図という点では、多くの点で彼は正しかったのだ。

タヴィストックのEEC[欧州経済共同体]洗脳会議に出席していた業界の大物たちは、誰ひとりとしてネスビットの発言に抗議[プロテスト]することはなかった[異議申し立てを適切だと認めませんでした]。それなのに、私のような誰も知らない無名の作家が、インパクトを与えるなんて、どう考えても期待できるわけがない。

タリータウン・ハウスでの幹部会議と研修は、リーズ氏の洗脳技術が隙のないものであることを証明するものだった。それは、アメリカの鉄鋼業界の終焉を喜んでいる、アメリカ企業のトップたちが参加するフォーラムだった。その結果、アメリカを産業大国にした独自の[ユニークな]国内市場を犠牲にし、憲法と権利章典を引き裂いて、世界人口の半分を淘汰する[選び集める]という大量虐殺[ジェノサイド]計画を受け入れたのだ; 東洋の神秘主義と、カバラをキリスト教の代わりに用いて; 国家(nation)のモラルを[外的要因によって、突然力を加えて粉々にして、低い所へ撃ち落とし]急激に悪化・崩壊、絶縁状態、無気力化して、


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家庭生活の破壊[破滅・駆除・絶滅]をもたらすプログラムに拍車をかける; つまり将来、アメリカの未来をバルカン半島[セルビア]化することに拍手喝采[賞賛・同意]しているのです。

誰も否定できないだろう。2005年の今日のアメリカの状況を見ると、リースと彼のタヴィストック方式が、アメリカの下院と上院はもちろん、企業界のリーダー、政治家な、そして宗教的なリーダー、裁判官、教育者、そして国家のモラルを守る者たちを洗脳するために、[米国下院と上院について言及したり[触れたり、思い出させたり、心に呼びかけたり、自分の心を述べさせたり]しないよう洗脳することにおいて]驚くべき仕事をしたことをです。

1974年、マサチューセッツ工科大学(MIT)のハロルド・アイザックソン教授は、その著書「部族の偶像」の中で、次のように述べている。メキシコ、カナダ、米国をバルカン型の国家に統合するというタヴィストックの青写真[(白地に青、あるいは青地に白の勢力の)詳細な計画/遺伝情報]を暴露したのである。読者の皆さんには、MITがクルト・レヴィンによって設立されたことを思い出させるでしょう。洗脳実験でドイツを追われたクルト・レヴィンのことをです; 戦略爆撃調査を計画したのも同じくレヴィンでした。リースの第一の理論家でもありました。

アイザックソンが行なったことは、スタンフォード=ウィリス・ハーモンの「水瓶座の時代」(Aquarian)研究よりも読みやすく、詳細な方法で「水瓶座の時代」(Aquarian)の青写真を明示したことである。それから7年後の1981年、アイザックソンの考え(タヴィストックの「水瓶座の時代」の青写真)は、ワシントン・ポストの編集者で、イギリスのウィンザー家とローマクラブの口利きをしていたジョエル・ギャロによって、一般に発表された。ギャロは、その発表を「北米の9つの国」(Nine Nations of North America)と題し、プレゼンテーションを行った。ギャロによるタヴィストック式「アメリカ未来設計図の構想」の青写真が描かれた:

鉄鋼業の死と工業地帯である米北東部地方[New York市を含むNew England地方](Northeast)の産業の衰退、そして「北東方向国家」[大東亜国家?米国北東部(ニューイングランド地方)の国家?北極圏の国家?](Nation of the North East)の建国。


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北西太平洋の沿岸縁辺部からなるエトピア。
(ウィリス・ハーモンは「水瓶座の時代」(Age of Aquarius)の論文で、(エコロジー(生態系|環境保護政治)とトピア(地域|木(tree)や低木・未開地(bush)の刈り込み法)からなる造語)「エコトピア」[生態学的理想郷]という言葉を使った)。

アメリカ大陸の南西部の残りは、メキシコと合併して「穀倉地帯」を形成することになる。

中西部を「空白区」[特定の人々、ある方面の人々(カーストの4番目?)の居住区]とする。

カナダで「特別な目的のため」に指定されている地域や島があります。

(おそらくこれらの領土は、すでに信じられないような -- グアンタナモ湾の刑務所再建施設で、実際に心神喪失を伴う精神操作や拷問が行われているように、将来の「収容所」の場所になるのだろう)。

これらの地域には、すべて大都市は存在せず、「エコトピア」と相反するものである。ギャロは、自分が何を言っているのか皆に理解してもらうために、自分の本と一緒に地図も提示した。問題は、アメリカの人々がギャロのことを真剣に受け止め考えなかったことだ。これこそ、タヴィストックが「完璧な不適応の回答」と呼ぶ反応を作らせるために期待した姿なのです。

アメリカの右翼[保守系](right)は、ロックフェラー、ウォーバーグ、フリーメイソン、イルミナティ、外交問題評議会、連邦準備制度の陰謀、三極委員会を背景に成長しました。しかし、その内幕はあまり知られていなかった。


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私が研究を発表し始めた1969年当時、アメリカのほとんどの人は、300人委員会、チーニ財団、マーシャル基金、ローマクラブ、そしてタヴィストック研究所、ベネチアとジェノヴァの黒い貴族たちのことをほとんど聞いたことがなかった。以下は、1969年に出版した私の単行本に記されていた、アメリカのタヴィストック洗脳施設のリストである:

スタンフォード・リサーチ・センター。従業員数は 4,300 人、年間予算は2億ドルを超える。

MIT/スローン。従業員数は5000人、年間予算は2,000万ドル。

ペンシルバニア大学ウォートン・スクール。従業員数は700〜800名、年間予算は3,500万ドル超。

経営と行動に関する研究(Management and Behavioral Research)。従業員数は40人、年間予算は200万ドル。

ランド・コーポレーション。従業員数は2000人以上、年間予算は1億ドル。

ナショナル・トレーニング・ラボラトリーズ。従業員数は700人、年間予算は3,000万ドル。

ハドソン研究所。従業員数は120-140人、年間推定予算は800万ドル。

エサレン研究所。従業員数は1800〜2000人、年間予算は5億ドル超。
(すべて1969年の数字)


このように、アメリカだけでも1989年にはすでに、10〜20の主要な施設と400〜500の中規模の施設、そして5000を超えるサテライト[従者、衛星都市]を組み合わせたグループがタヴィストックを中心に連動するタヴィストック・ネットワークを構築していたのです。彼らは、行動科学、マインド・コントロール、洗脳、世論調査、世論形成の分野で何らかの専門性を持っており、合わせて6万人以上の人々を雇用していた。


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そして、そのすべてが、米国の、憲法、権利章典に反して働いていたのです。

1969年以降、これらの機関は拡大し、多くの新しい機関が加わり、民間や企業の大規模な寄付だけでなく、米国政府自身からも資金提供を受けています。タヴィストックの顧客は以下の通りです:

国務省
米国郵政公社 (The U.S. Postal Service)
国防総省
米海軍海軍情報局(CIA)
国家偵察局(National Reconnaissance Office
国家安全保障会議
FBI
キッシンジャー・アソシエイツ
デューク大学
カリフォルニア州
ジョージタウン大学 他多数


社会のプライベートおよびコーポレート領域において、タヴィストックの顧客は以下の通りです。

ヒューレットパッカード
*RCA
クラウン・ツァイラーバッハ
マクドナルド・ダグラス
IBM、マイクロソフト、アップルコンピュータ、ボーイング
カイザー工業
*TRW
ブライス イーストマンディロン
ウェルズ・ファーゴ バンク・オブ・アメリカ
ベクテル社
ハリバートン
レイセオン


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マクドネル・ダグラス
シェル石油
ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)
コノコ
エクソンモービル
IBM、AT&T


これは決して完全なリストではなく、タヴィストックはこれを厳重に管理しています。これらの名前は、私が入手できたものだけです。私が言いたいのは、ほとんどのアメリカ人は、1946年以来、自分たちに対して行われてきた全面戦争、壊滅的な戦争と容赦ない圧力の中にいることにまったく気づいていないということだ; 壊滅的な規模の戦争と、絶え間ないプレッシャー; この戦争は、私たちが急速に失い[負け]つつあり、「アメリカではありえない」という先入観をアメリカ人が振り払わない限り、圧倒され続けることになる。


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第32章
上層部に並列する秘密政府を暴く

私たちがこの強力で、ずる賢く、追い詰められる機会を待ち、知らぬ間に進行する毒と魅惑、割って入る特徴をもち、油断ならない潜行性の敵に打ち勝つ唯一の方法は、国民[わが仲間]、特に若い人[わが若い仲間]たちに憲法を教育し、キリスト教の信仰を堅持[固執]し、固く拒むことである。そうでなければ、私たちの貴重な遺産は永遠に失われてしまうだろう。この国を支配するタヴィストックの力を断ち切らなければならない。

願わくば、この著書が、敵に対処したいと思いながら、これまでその敵を見分け、特定することができなかった何百万人ものアメリカ人の手に渡るトレーニング・マニュアルとなることを期待しているのです。

秘密結社に支配された政治勢力は、立憲共和制[共和制憲法]というアメリカ[共和党の憲法(起抜けの麻薬・酒・たばこ)]の理想に反対するものばかりで、タヴィストック研究所とそのアメリカに対する不誠実さを暴露しようとする試みを嫌い、ましてやそのような暴露が嘲笑され無視されることはあり得ないのだ。もちろん、秘密政府の行為を暴露する人々は、常にそのような暴露のために必ず高い代償を払うことになる。

アメリカの将来に関心を持つ者なら、タヴィストック研究所がアメリカ国民を前後左右に揺さぶり、相場・物価などを乱高下[繰り返し上下]させて鞭打ち[細身の長のこぎりでひき]、政府を操作した方法[操ってきたこと]を黙殺することはできない。たとえ、ほとんどのアメリカ人が何が起こっているかを知らないままであってもだ。並列する秘密政府のトップが我が国をほぼ完全に支配しているため、アメリカはもはや自由で独立した国家ではなくなってしまったのである。衰退の始まりは、ウッドロウ・ウィルソンがイギリスの貴族政治[エリート層](British aristocracy)に「選ばれた」時と考えるのが普通だろう。


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タヴィストックのアメリカ(United States)における最近の活動のほとんどは、ホワイトハウスに焦点を当てたもので、G・H・W・ブッシュ元大統領、クリントン元大統領、G・W・ブッシュ大統領に対イラク戦争への関与を指示したものであった。タヴィストックは、市民が武器を保持する権利である憲法修正第2条の権利を破壊するキャンペーンを主導している。

また、立法府の主要メンバーに、もはや合衆国憲法は必要ないと進言することもできるため、その結果、合憲性[麻薬の合憲性?]のテストに合格せず、地に堕ちたために法律とは言えない新しい法律が大量に制定されたのです。

タヴィストックは、現在もアメリカとイギリスの研究施設の母体であり、行動修正[所有権・入手法の変更]技術、マインドコントロール、意見形成(opinion making)のリーダー的存在である。

サンタモニカのランド研究所は、タヴィストックの指導のもと、天候に人工的に影響を与える気象改変実験として「エルニーニョ」と呼ばれる現象を作り出しました。タヴィストックはまた、CIAとのマインド・コントロール契約のもと、ニューエイジの「UFO」実験や宇宙人の目撃談にも広く取り組み、深くかかわっていたのである。

ランド研究所は、ICBM計画を担当し、外国政府のために予備的[最も重要・根本的]な分析を行った。ランド研究所とタヴィストックは、アメリカ国務省の援助と強力な支援を受け、共産主義者アフリカ民族会議(African National Congress、ANC)の買収のための予備シナリオ[水際作戦]として、南アフリカの白人住民の分析[プロファイリング]に成功した。白人政権崩壊の前段階で主導的な役割を果たした「司教」[ビショップ]デズモンド・ツツも、タヴィストックの創作物であった。


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ジョージタウン大学は、1938年には早くもタヴィストックに完全に買収[全面占拠]された。大学の構造とプログラムは、タヴィストックの「頭脳集団」[シンクタンク、知恵袋](brain trust)という青写真に合うように、高等教育の中心地として再編成されたのである。ジョージタウン大学は、クリントン氏が大衆操作と、本当の理由を隠すごまかし[隠蔽]の技術を学んだ場所であることを考えると、このことは米国にとって非常に重要なことである。

国務省の現場職員[外勤人員・現場代理人・現場工作人員、フィールドエージェント]は、すべてジョージタウン大学で訓練を受けていた。最も有名な卒業生は、ヘンリー・キッシンジャー、ウィリアム・ジェファーソン・クリントン、リチャード・アーミテージの3人である。ジョージタウンの「見えない軍隊」の忠実な人々[提唱者たち]は、米国に計り知れない害を与えてきた。そして、いずれ彼らが暴かれ、根こそぎ摘発され、無害化されるまで、最後までその役割を全うすることは間違いないだろう。

アメリカに対して行われた最も醜悪で最も恐ろしい行為のいくつかは、タヴィストックで計画されたものです。ベイルート空港の海兵隊[海軍]施設の爆破事件のことで、最も優秀な若い200精鋭兵士の命が奪われた。シュルツ国務長官は、レバノンのテロリストによる攻撃が差し迫っていることを認識していたと考えられている。 当時、未確認の報道で示唆されていたように、シュルツは攻撃が行われる前に、イスラエルの秘密情報機関モサドから情報を得ていたのである。

もしシュルツがそのようなタイムリーな警告を受けたとしても、彼はそれをベイルートの海兵隊基地司令官に伝えることはなかった。シュルツは、ベクテル社を通じて300人委員会の忠実な下僕であったし、今もそうである。

しかし、私がシュルツとベクテルについて疑念を表明した1年後(1989年)、モサドの不満を持つ上級諜報員が仲間割れして、自分の体験を本にしたのである。


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この本の一部には、私が1年前に発表した内容と全く同じ情報が含まれており、私が1989年にシュルツ氏について表明した疑惑は、あながち的外れではなかったと思わせるものであった。このエピソードは、日本軍の真珠湾攻撃に関する情報をハワイ司令官に意図的に隠したマーシャル将軍の背信行為を思い起こさせる。

タヴィストックがCIAに与えているインプット[中に入れ取りつける投入資本と労働力、提供された情報や考え、アドバイス、貢献度、慈善団体などへの寄付、コンピュータへの入力信号など]と、[流れ込むものの]影響力が増大していることを示す証拠は山ほどある。タヴィストックから指示を受けている情報機関は他にも非常に多く、特に国家偵察局(NRO)、国防情報局(DJA)、財務省情報局、国務省情報局などがそうである。

毎年、ジョン・ケネディ大統領殺害事件の記念日を迎えるたびに、私は彼の公開処刑を計画した主役のことを思い出す; 特にMI6が果たした役割について。JFK殺害事件の20年にわたる徹底的な捜査の結果、私は真相に近づいたと思う。このことは、単行本「ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件」(The Assassination of President John F. Kennedy)で詳しく紹介されています。

ケネディ大統領の未解決の殺人事件は、米国が象徴するすべてに対する重大な侮辱であり続けている。自由で主権的な国家であるはずの私たちが、毎年毎年、犯罪の隠蔽を許しているのはなぜなのか?我々の諜報機関は、犯人が誰であるかを知っているのだろうか?JFKの殺害が白昼堂々、何百万人ものアメリカ人の前で行われたことも知っているはずだ。これは侮辱であり、300人委員会の力が、選挙で選ばれた最高権力者でさえ自分を守ることができないほど強大であることを警告していることは確かでしょう。


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犯罪の加害者たちは、自分たちが決して裁かれないことを知っているので、私たちの混乱を笑い飛ばし、不正行為の成功と、私たち国民が彼らの顔を隠す企業のベールをはがす[洞察する、見抜く]ことができないことを喜び、ほくそ笑んでいるのである。

ケネディ暗殺の大規模な隠蔽工作は今も続いている。下院暗殺委員会がいかにその責務を果たさなかったか、我々はその全容を把握しているのである。強力な証拠を無視し、薄っぺらな「ここだけの話」にすがり; ベセスダ病院で撮影されたケネディの頭部のX線写真が改ざんされていたという明白な事実を無視したのである。

300人委員会とその手先であるタヴィストック研究所の罪は枚挙にいとまがない。上院委員会はなぜ、ケネディの死亡診断書の奇妙な消失について調査しようとしなかったのだろうか。どんなに時間がかかっても、どんなに費用がかかっても、発見されるはずの重要な証拠品なのに。また、死亡診断書に署名した海軍士官バーケリー提督は、この重要な証拠の一部が奇妙に -- 非常に奇妙に -- 説明のつかない形で消失したことについて、真剣に調査しなかったのだろうか。

ここで、MI6とFBI 5課の責任者であるルイス・モーティマー・ブルームフィールド少佐が実行したジョン・F・ケネディ殺害事件(これはタヴィストック関連のプロジェクトであったと私は考えている)の話題から離れなければならない。CIAはタヴィストックの顧客であり、その他文字通り数多くの米国政府機関も顧客であった。この殺人事件から数十年、これらの機関の中で、タヴィストックとの取引を中止した機関は一つもありません。 それどころか、タヴィストックはその顧客リストに新しい政府機関の名前をたくさん加えているのだ。


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資料を調べてみると、リースがタヴィストックを設立した1921年当時、彼はイギリスの諜報機関SISの支配下にあったことがわかった。

このように、タヴィストックはその設立当初から、今日に至るまで、常に諜報活動と密接に結びついているのです。ルドルフ・ヘスの事件は、おそらく多くの読者にとって興味深いものでしょう。ヘスは釈放される前夜に、シュパンダウ刑務所の独房で2人のSIS諜報員に殺害されたことは記憶に新しいところです。

RIIAは、これまで秘密にされてきた、ウィンストン・チャーチルら英国寡頭政治家とヘス率いるドイツ・トゥーレ協会との密接な関係をヘスが暴露することを恐れていたのだ。

タヴィストック研究所が、ベッドフォードの11番目の公爵、タヴィストックの侯爵夫人の名にちなんで命名されたことは、少しばかり興味深いことである。 この爵位は彼の息子であるベッドフォードの12番目の伯爵夫人に受け継がれました。ヘスは、戦争を終わらせるために、彼の邸宅のある領地に飛んできた。しかし、チャーチルはそれを許さず、ヘスの逮捕と投獄を命じた。ベッドフォード公爵の妻は、戦争が終わってもヘスが釈放されないことが明らかになったため、睡眠薬を過剰に摂取して自殺してしまった。

私の著作『誰がルドルフ・ヘスを殺したか』(Who Murdered Rudolph Hess)、『王を作り、王を壊す -- セシル家』(King Makers, King Breakers—The Cecils)の中で、私は第二次世界大戦開始前に、ヘスをはじめとするヒトラーの重要な側近たちと、いかに親密な関係にあったかを明らかにしている。もしヘスがベッドフォード公爵へのミッションを成功させていたら、チャーチルをはじめ、ほとんどすべてのイギリス寡頭政治は詐欺師であることが露呈していただろう。


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ヘスがベルリンのシュパンダウに独房で監禁されていなければ、同じことが起こっていたかもしれない。第二次世界大戦後、イギリス、アメリカ、ソ連から集められた軍隊によって、何年にもわたって守られてきたのです。理不尽な代償[莫大なコスト]を払いながら。(1日5万ドルと推定)

変わり果てたロシアは、アメリカとイギリス、特にイギリスを困らせることができると考えたため、突然ヘスを釈放すると発表したのである。イギリスは戦時中の指導者が暴露されるリスクを負うわけにはいかないので、ヘスの殺害命令が下されたのだ。

タヴィストックは、アメリカのどの都市にもあるような、不吉な性質のサービスを提供しています。彼らは、警察署であろうと、市政府またはその他の機関であろうと、その都市の有力者を手のひらの上で操っているのです。

どの都市でも同じで、イルミナティとフリーメーソンはタヴィストックと一緒になって、憲法[組織構造、強さ、体質、健康、活力、病気などで害などを与えたり、1日の最初の一服の麻薬、購買者、支持層]と権利章典の上を歩き回る秘密の権力を行使しているのである。

憲法や権利章典の知識がなかったために、どれだけの罪のない人々が今日、刑務所にいるのだろうかと思う; タヴィストックの犠牲者、そのすべて。テレビシリーズ『全米警察24時 コップス』「COPS」[組織としての警察]をよく見てください。

これは、タヴィストックの標準的なマインドコントロールと意見形成のため定番です。その中で、個人の憲法上の権利に対するすべての可能な侵害が停止されたことが確認できます。警察に逮捕されたとか、止められる人の憲法上の権利に対するあらゆる違反が描かれているのです。「COPS」は一般大衆を調教し、私たちが目撃するような重大な権利侵害が当たり前であると信じ込ませるためのものだというのが、私の確固たる意見であり信念です; 警察が実際にそのような過剰な権限を持っており、すべての市民に権利がある憲法の保護措置は実際には存在しないと信じさせるためのものだと、私は確信しているのです。


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「COPS」は、最も陰湿な洗脳、意見形成のコントロールプログラムであり、どこかにタヴィストックが紛れ込んでいても全く不思議はないだろう。


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第33章
アメリカにおけるインターポール: その起源と目的が明らかに

タヴィストックは、多くの国際機関にサービスを提供していますが、その中には、デビッド・ロックフェラーの民間諜報機関、通称「インターポール」[国際刑事警察機構]も含まれています。この違法な組織が、ワシントンD.C.の連邦政府の敷地内で、政府の保護下で機能し、活動を続けることが許されているのは、法的義務を完全に放棄した職務怠慢である。 (米国の法律では、外国の民間警察機関が米国内で活動することは禁じられている。インターポールは、米国議会が見て見ぬふりをする中で、米国内で活動する民間の外国警察機関である。いつかこの有害なイラクサ[葉にトゲがあって刺さると炎症を起こす]を掴んで、根こそぎ引き抜かれる[(その権限を)剥奪される]かもしれないと恐れているのだ。)

インターポールとは何か?米国司法省は、重要な問題を回避することで[重要な質問を避けて]インターポールを説明しようとしている。その1988年のマニュアルによると、「国際刑事警察機構(インターポール)は、政府間の活動を行う機関ですが、国際条約、条約、または同様の法的文書に基づくものではありません。警察官のグループが作成した憲法をもとに設立されたもので、外交官たちの署名にも応じなかった。また、政府による批准[承認、同意]のために提出したこともない。

なんて面白いんだ! なんという告白でしょうか! もしインターポールが合衆国憲法を侵害しないのであれば、何も問題はない。下院と上院の監視役たちはどこへ行ってしまったのだろうか?タヴィストックとその強力な後ろ盾であるデイヴィッド・ロックフェラーを恐れているのだろうか?議会は300人委員会を恐れているのだろうか?確かにそのような気もする。インターポールは米国の国境内で活動する違法な組織です。私たち国民の承認なしに、アメリカ合衆国憲法と50州の憲法に目に余る違反をしたのです。


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そのメンバーは、米国政府との協議することなく、各国政府によって任命された人々[個人]で構成されています。メンバーリストは、これまで一度も上下両院の委員会に提出されたことはありません。

この米国の[堂々とした]態度は、これまで一度も条約によって制裁されたことがありません。このため、コロンビア、メキシコ、パナマ、レバノン、ニカラグアなど、麻薬取引によって支配されている特定の政府が、麻薬取引に関与している人々を代表として選んだのではないかという一連の疑惑が生まれました。

米国司法省国家中央局(NCB)のビバリー・スウェットマン氏によると(その存在そのものが憲法違反である)、この米国政府機関は、インターポールとの情報交換のためだけに存在する。

デービッド・ロックフェラーが所有し、支配しているインターポールは、地球全体に手を広げるという状態で、コミュニケーションネットワーク[通信網]を持つ民間の機関であり、アフガニスタンからパキスタン、そしてアメリカへの麻薬取引に、何らかの形で深く関わっているのです。

パナマのニバルド・マドリン中佐、コロンビアのギレルモ・メディナ・サンチェス将軍、そしてメキシコ連邦警察のインターポール所属資格をもつ一部のメンバーの交流は、すべてこのような方向を示している。インターポールに所属しながら麻薬取引に関与した彼らの歴史はあまりにも長いので、ここでは紹介しきれないが、汚れた歴史であることは言うまでもない。

しかし、インターポールは民間組織でありながら、1975年に国連から「オブザーバー資格」を与えられ、加盟国でもなく政府の地位もないにもかかわらず(国連憲章に完全に違反している)、この資格によって、会議に出席し、決議に投票することができるようになったのである。


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国連憲章によると、国連に加盟できるのは国家(States)のみです(言葉の完全な定義において)。インターポールは国家(States)ではないのに、なぜ国連は憲章に違反するのでしょうか?

国連がアメリカ政府と、「条約」を結び、すべての民間人の武装を解除したら、国連は、米国市民が憲法修正第2条の権利に基づいて、保有する私的な武器の所在[所有]を突き止めるために、インターポールのネットワークに大きく依存すると考えられる。

憲法を守り抜くべきアメリカの法律家たちはどこにいるのだろう。往年の偉大な政治家たちはどこにいるのだろう。インターポールが示していることは、自分たちが作った法律を施行しない政治家、議員に取って代わられたということです。というのも、もし彼らが職務の宣誓を守るのであれば、あらゆるところに溢れている明白な間違いを正すために、恐怖に怯えることになるからです。そうなれば、楽で快適な仕事失うことになる可能性が高くなるからだ。

すでに提供された情報の一部をおさらいする。タヴィストック研究所は、マインドコントロールと世論作りのために、1921年にイギリスのサセックス州に設立されました。人間の心が、長時間の心理的苦痛を受けると、どの時点で崩壊するかを、慎重に検討された科学的根拠に基づいて確立するためです。第一次世界大戦前の時代、タヴィストック侯爵夫人である第11代ベッドフォード公爵によって初めて設立されたことは、別のところで紹介することにしよう。

1930年代初めには、ロックフェラー兄弟財団基金もタヴィストックに多額の資金を提供した。


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実際、マインドコントロールや行動変容の主要な実践者の多くは、昔も今も多く存在する。そして、カルトの様々な思想や信条を受け入れる秘密結社と密接に関連しており、特にイシス・オシリス、カバラ、スーフィズム、カタリ派、ボゴミル派、バハイ教(マニ教)の神秘主義(mysticism)には注意が必要である。

素人には、権威ある一流の研究機関やその科学者がカルトや悪魔崇拝、イルミナティに関与しているという発想自体が信じがたい話である。しかし、そのつながりは非常にリアルです。タヴィストックがなぜこのようなテーマに関心を持ったのか、その理由がよくわかる。

慢性的なストレスにさらされた若者による、学校での乱射事件。このような悲劇的な出来事の多くは、依存性薬物の影響下にあるという点で注目に値します。犯人はほとんどの場合、「声によって命がけの仕事をするよう指示された」と言いながら、凶行に及ぶ。これらの悲劇的な事件には、マインドコントロールが大いに作用していたことは間違いない。残念ながら、大衆が何が起こっているのか悟るまで、このような悲劇的な事件は、まだまだ続くだろう。

カルト宗教[邪教]、マインドコントロール、心理的ストレスの適用、行動の修正などは、タヴィストックの科学者たちが教えていることのごく一部[重要な部分]なのです。実際、英国下院はタヴィストック科学者とのつながりを示すリークに非常に警戒し、タヴィストックのようなところが「物理的研究」[自然、乱暴・肉欲・肉体・組織的存在・構造にかかわるもの・体格検査・激烈・粗野的・(外的なものに対する)薬用、感覚によって知覚されるもののうち、物質に関するもの、周囲の人を口説くのが好き、人の体に触りたがる...など、遠くからの音・現実の法則を、自然(界)に従って、徹底的に調べ捜し求める研究]と呼ばれるものを行うことを合法とする法律を可決しました。

さて、「物理学研究」という言葉は、あまりにあいまいなため、それが本当に意味するところは何か、あるいは一部の評論家が主張するように、実際に行われていることを隠すために使われた言葉なのか、重大な疑念を生じさせるものである。


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いずれにせよ、タヴィストックは一般大衆の信頼を得ようとはしなかった。しかし、私が確実に言えるのは、英国諜報機関MI6とCIAの工作員は、タヴィストックで形而上学、マインドコントロール、(報酬・罰などによって望ましい習慣や行動を確立する)行動修正[行動変容](behavior modifications)、超能力(ESP)、催眠術、オカルト、悪魔主義、イルミニズム、マニ教カルトの訓練を受けているということだ。

これらは、中世の遺物に基づく単なる信仰ではありません。それは、ほんの少し前までは不可能だった方法で、マインドコントロールのレベルを変えるような方法で教えられている邪悪な力なのです。私は恐れることなくこう予言する。今後数年のうちに、学校、郵便局、ショッピングセンターで起こるすべての乱射事件は、けっして乱射事件ではないことに気づくだろう。それらは、慎重に探され、プロザック、AZT、リタリンなどの危険な気分転換薬を投与された、条件付きでマインドコントロールされた被験者によって実行されたのです。

「サムの息子」と呼ばれる殺人鬼、デヴィッド・バーコウィッツを始めとするいくつかの乱射事件[無差別殺人]の共通点は; 例外なく全員が「彼を撃て」と言う「声」を聞いたと、捜査当局に供述しているのだ。

父と母を撃ったオレゴン州の少年、クリップ・キンケルの場合、高校で銃を乱射した事件で、彼を事情聴取した捜査官に自白した内容が話題となった。父と母を撃った理由を聞かれたキンケルは、「撃てという "声 "が聞こえたから」と答えた。キンケルたちがCIAのマインドコントロール実験の犠牲者であったのか、あるいは「アメリカ国防高等研究計画局」(DARPA)のコンピュータープログラマーが行ったトランスファーによって引き起こされた「声」を本当に聞いたのか、誰も証明することはできないだろう。


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責任ある下院監視委員会は、マインドコントロールを網羅したCIAの文書を要求し、学校銃乱射事件との関連性を探らなければならない。そのような命令は、これ以上時間を無駄にすることなく、CIAに出すことが急務だと私は考えている。

「物理的研究」というテーマに関する私自身の研究に加え、CIAに14年間在籍したビクター・マラケッティは、タヴィストックが考案[設計]した物理的研究プログラムの存在を明らかにし、その中でCIA工作員が死亡した元工作員の霊[魂]と接触しようとしたことを明らかにした。前掲の研究論文[モノグラフ]で述べたように、私は「形而上学」[抽象的な]の分野で個人的に多くの経験を持っており、多くの英米の諜報部員がこの考えを教え込まれていた[洗脳されていた]事実として知っている。

タヴィストックはこれを「行動科学」と呼んでいるが、ここ10年間で急速に発展したため、エージェント[捜査官]が受けるトレーニングの中でも最も重要なものの1つとなっている。タヴィストックのESPプログラムでは、参加者一人ひとりが「ボランティア」[自発的な、志願兵]であり、自分の性格を超感覚的知覚[超能力](ESP)で「相関」させることに同意する人; ということです。言い換えれば、彼らは、なぜある特定の人が[普通の種(しゅ)とは別の特別な]超感覚的知覚(ESP)を持ち、ある人は生まれつき超感覚的知覚(ESP)の才能を持つのかという答えを、タヴィストックが見つけるのを手伝うことに同意しているのです。

この実験の目的は、MI6やCIAの諜報員一人ひとりを、超感覚的知覚(ESP)が鋭く発達させた高度の[心霊作用を受けやすい]超能力者「サイキック、霊能者」(psychic)にすることである。私がこのような問題に直接関わってから数年が経過したので、私はまだ[この儀式・礼拝の]「現役」である同僚に相談し、タヴィストックの実験がどの程度成功しているのかを尋ねた。彼は、タヴィストックがその技術を完成させ、選ばれたMI6やCIAの諜報員を「ESP - 超感覚的知覚は、(現象として、見かけ上は)完璧にする(作られる、据える~作り変える?)」(ESP-Perfect)ことが可能になった、と教えてくれた。ここで重要なのは、CIAとMI6がこのような問題に関して非常に高いレベルの機密を保持していることを説明する必要があることである。


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これらのプログラムに参加している諜報員の大半は、ほとんどの場合、イルミナティとフリーメーソンのメンバー、あるいはその両方である。要するに、通常世界[はかない喜びなどの象徴、神々の国・霊界に対する人間の住む世界、人が活動する領域]で成功した「長距離侵入」技術が、今や、霊界[精神世界]に適用[応用]されているのだ!

すでに何度か見てきたクルト・レヴィン博士が開発したタヴィストックの「長距離浸透と内的方向性の条件付け」は、主に大衆集団に対して思想統制を実践するプログラム[マインド・コントロール・プロジェクト]であった。このプログラムを誕生さたのは、第一次世界大戦中にイギリス陸軍の心理戦局が行ったプロパガンダの全面的な使用でした。それが行った大規模なプロパガンダは、イギリスの労働者(workingman)に戦争が必要であることを納得させることを目的としていた。もう一つは、イギリス国民に、ドイツは敵であり、その指導者は正真正銘の悪魔[怪物]であると信じさせることであった。

この大規模な計画は、1912年から1914年にかけて行われなければならなかった。なぜなら、イギリスの労働者階級が、ドイツが戦争を望んでいるとは思っておらず、イギリス国民が戦争を望んでいるとも思っておらず、ドイツを嫌ってさえいなかったからである。そのような国民の認識をすべて変えなければならなかった。二次的な任務ではあったが、それに劣らず重要だったのは、アメリカを戦争に参加させることであった。この計画の重要な要素は、ドイツを刺激して、破滅的なタイタニック号の後に建造された大西洋横断大型客船「ルシタニア号」を沈没させることであった。

ニューヨークの新聞に掲載された広告で、ルシタニア号は武装巡洋艦[武装商船](AMC)に改造されたため、ジュネーブ条約に違反する[条約に基づき公平に扱われる]ゲームであるという警告が広告に掲載されたにもかかわらず、ルシタニア号は乗客全員を乗せてリバプールに向けて出航し、その中には何百人ものアメリカ人乗客も含まれていたのだ。


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船倉には、英国陸軍向けの軍需品が大量に積まれており、旅客船で運ぶことは国際的な戦争規則で禁止されていた。

魚雷一本が命中した時点で、ルシタニア号は本来、武装巡洋艦[武装商船](Armed Merchant Cruiser AMC)であった。大西洋の両岸の報道機関は、無防備な旅客船に対するドイツの野蛮でいわれのない攻撃についての記述であふれたが、まだ多くの〔心理的〕「条件付け~条件反射作用」[調整、調教、訓練、薫陶]を必要としていたアメリカとイギリスの国民は、この話を受け入れよう[信じよう]とはしなかった。彼らは、「デンマークという国はどこか腐っている」と感じていた。ルシタニア号の沈没は、ウィルソン大統領が必要としていた「仕組まれた状況」であり、アメリカの世論をドイツに対して煽るものであった。

この経験を生かして、英国陸軍心理戦局は、英国王室[イギリス君主](British monarchy)の命令でタヴィストック人間関係研究所を設立し、英国の新聞王(British newspaper magnate)アルフレッド・ハームズワース(ダブリン近郊チャペリゾッドに生まれた法廷弁護士の息子)を配置したのである。彼は後に第12代ベッドフォード公爵ノースクリフ卿の称号を得た。

1897年、ハームズワースは、来るべき戦争を見越して、G・W・スティーブンスという作家[ライター]をドイツに派遣し、『鉄の踵の下で』というタイトルの記事を16回にわたって連載させた。

真の逆心理学では、これらの記事はドイツ軍を惜しみなく賞賛する一方で、ドイツと戦争が勃発すればイギリス国家(British nation)は敗北すると警告する、まさに逆説的な内容であった。


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1909年、ノースクリフは、社会党の幹部であるロバート・ブラッチフォードに、ドイツに行って、ドイツ軍がイギリスにとっていかに危険であるかという記事を書くように依頼した。ブラッチフォードのテーマは、視察の結果、ドイツは「大英帝国を破壊するために意図的に準備している」とという見解によって信じさせることであった。それは、1900年にノースクリフが『デイリー・メール』(彼の新聞の一つ)に発表した「ドイツとイギリスの間に戦争が起こる」という予言と一致するものであった。ノースクリフは、イギリスは国防費にもっと予算を使うべきだという社説を書いた。

戦争が始まると、ノースクリフは『スター』紙の編集者から、戦争の風潮を喧伝[助長]したと非難された。「カイザーに次いで、ノースクライフ卿は生きている人間の誰よりも戦争を引き起すことに貢献した」と。

この哀れな編集者は、自分自身がプロパガンダの犠牲になったことに気づいていなかった。というのも、カイザーは戦争を促進するようなことはほとんどしておらず、イギリスの軍事組織からは軽蔑的に扱われていたからだ。歴史家の間では、皇帝はドイツ軍を統制する立場にはなかった[能力がなかった]というのが大方の一致した意見である。『スター』紙が言及すべきはルデンドルフ将軍であった。英独二国間の戦争が始まったその日から、徴兵制を煽り始めたのはノースクリフであった。

この施設は、集団洗脳と公的条件付けのあらゆる側面を前面に押し出す機関となった。一連の方針と規則が策定され、1930年のタヴィストックの「長距離浸透と内的条件付け」が頂点に達し、1931年にドイツに対して展開されたのです。


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第二次世界大戦までの数年間、ルーズベルト(彼自身は33度のメイソンで、シンシナティ協会を通じてイルミナティのメンバーであった)は、アメリカを戦争に参加させるためにタヴィストックの助けを求めたのである。ルーズベルトは「300人」の男たちに導かれて、イギリスのために火中の栗を拾う[引き抜きの]手伝いをしていたが、そのためには、何か大きな事件をとらえる[キッカケを掴む]必要があったのである。

1939年から1941年にかけて、アイスランドに駐留するアメリカ海軍の潜水艦は、中立条約によって戦闘員との敵対行為への関与が禁じられていたにもかかわらず、ドイツの艦船を攻撃し撃沈していったのだ。しかし、ドイツが報復行動に出ることはなかった。アメリカの第二次世界大戦参戦のきっかけとなる大事件は、日本の真珠湾攻撃であった。これは、両国に対するタヴィストックの陰謀であった。アメリカのマーシャル国務長官は、このような攻撃を助長するために、差し迫った、来るべき紛争を回避しようとする日本の使節団との会談を拒否したのです。

マーシャルもまた、真珠湾攻撃の開始後まで、真珠湾の司令官への警告を意図的に遅らせた。要するに、ルーズベルトとマーシャルの二人は、差し迫った攻撃について知っていながら、その情報を真珠湾の現場の将校に意図的に隠すように命じていたのである。タヴィストックはルーズベルトに、アメリカをを第二次世界大戦に巻き込むのは「たった一つの大きな出来事」であると告げていたのです。スティムソン、ノックス、ルーズベルトは、差し迫った攻撃について知っていたが、それを止めるために何もしなかった。

時折、思慮深い人たちから聞かれることがある。「しかし、ヘイグ卿、チャーチル、ルーズベルト、ブッシュのような指導者は、世界大戦でどれだけの命が失われるかを理解しないのだろうか?」と。


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その答えは、プログラムされた個人として、「偉人」(great men)たちは、人命という高い代償を気にしなかったということだ。ヘイグ将軍 -- (有名なフリーメイソン、イルミニズム、サタニスト)は、イギリスの下層階級が嫌いだと何度も宣言し、難攻不落のドイツ軍戦線に[全員で公平に分けた、共有の、互いにとって役立つ](聖書で「汚れた、清くない」、品のない、野蛮な)「一般[普通]のイギリス兵」(common British soldiers)を次々と投入してこれを証明したが、まともな軍事戦略家なら敬遠するような戦術であったろう。

ヘイグが自国の軍隊を無慈悲に無視した結果、「下層階級」の若いイギリス兵が何十万人も悲劇的かつ無用な死を遂げたのである。これによって、イギリス国民は、イギリス陸軍心理戦局が予言[予測]したとおりに、ドイツを憎むようになったのである。本書に収録した内容の多くは、最初の暴露の際に意図的に抑えたものである。アメリカの人々がタヴィストックの形而上学的な側面を理解する準備ができているとは思えなかったからだ。赤ちゃんに肉を食べさせることはできません。このようにタヴィストックを紹介することで、多くの人々の心が開かれ、他の方法では閉ざされたままであったはずの考え方に触れることができたのです。


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第34章
東インド会社のカルト計画[活動]

何世紀にもわたって、イギリスの寡頭政治は、オカルト、形而上学、神秘主義、マインドコントロールの本場であった。ブルワー・リットンが『エジプト死者の書の秘密』(The Secrets of the Egyptian Book of the Dead)を書いたように、アニー・ベサントの神智学協会の信奉者の多くはイギリスの上流階級の出身であり、今日でも彼らに人気があるのである。南仏や北イタリアのカタリ派やアルビジェン派[アルビジョア十字軍]の子孫がイギリスに移住して、「サヴォワール」という名前を採用していたのです。その前にはバルカン半島のボゴミル派や小アジアのペリカン派が来ていた。これらの宗派はすべてバビロニアのマニキウス派[マニ教]を起源とするものであった。

このようなオカルト[肉眼では見えない、隠された、超自然的な、魔術的、神秘的、霊術、霊的行為、秘学]信仰者に踏み込み研究しているのが、タヴィストック研究所である。クルト・レヴィンとその研究チームによって開発されたマインドコントロールのテクニックの一部を用いて、この神秘主義を進展させたのである。(詳細は「300人委員会」参照)。

東インド会社(EIC)、後にイギリス東インド会社(BEIC)は、その子孫が今日世界を支配している「300人」の元祖である。アヘンと麻薬の取引は、当時から現在に至るまで商売の種であった。この高度に組織化された複雑な構造から、社会主義、マルクス主義、共産主義、国家社会主義、ファシズムが発展した。

1914年以降、ニューヨークのコールド・スプリング・ハーバーでは、大規模なマインドコントロール実験が行われるようになったのだ。このセンターは、当時ニューヨーク州知事で、アメリカやヨーロッパで著名な政治家となった[鉄道王E・H・ハリマンの息子で「賢人」と呼ばれた外交政策長老グループの中心メンバーでもあった]アヴリル・ハリマンの母、E・E・ハリマン夫人[メアリー・ウィリアムソン・アヴェレル・ハリマン(Mary Williamson Averell Harriman)]がスポンサー《発起人、起草者、出資者。洗礼を受ける者の[名付け親]保証人、信仰生活を支える人、教父母》となった人種優生学[民俗学、人間の改善のプロセス、人種改良過程]の先端・中心地でもあった。


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大女史は、このプロジェクトに何百万ドルもの資金を注ぎ込み、ドイツの科学者を招いてフォーラムを共同で開催しました[そしてドイツの科学者にフォーラムを共有するよう求めました]。タヴィストックのマインド・コントロール・テクニックの多くは、特にリースが教えた「逆心理学」[逆行する精神の学問]の技術はタヴィストックが発祥で、今日、アメリカ国民の心に、黒人や有色人種は白人より優れているという観念、つまり「人種差別主義」[民族的優越感、人種的偏見、人種差別政策]を逆にアメリカ国民の心に植え付けるためのマインドコントロール演習の基礎になっている。

ドイツの科学者たちは、当時の有力な市民からなるハリマン夫人とそのグループに招かれて、コールド・ハーバーの教化に参加した(1915年)。コールド・スプリング・ハーバーでの1、2年の滞在の後、ドイツ人派遣団はドイツに帰国し、ヒトラーのもとで、コールド・スプリング・ハーバーで学んだ人種優生学を実践していくことになった。このような情報は、拙著『暗号枢機卿』(Codeword Cardinal)や、それに先立つ数冊の単行本、さらに拙著『エイズ-その全容解明』(Aids-The Full Disclosure)で明らかにされるまで、すべてアメリカの人々には隠されたままであった。

タヴィストックとホワイトハウス

タヴィストックのマインド・コンディショニング・テクニックは、アメリカ(United States)において、ウッドロウ・ウィルソンに始まり、ルーズベルト大統領に至るまで、歴史上最高で最も重要な政治家たちによって一貫して使用されてきました。ルーズベルトに始まる、ルーズベルト以降のすべてのアメリカ大統領は、「300」とタヴィストック研究所の支配下におかれてきたのである。

ルーズベルトはタヴィストック方式で訓練された典型的なマインドコントロールのプログラムされた被験者であった。彼は、戦争の準備をしながら平和を語る。彼は、ウィルソン大統領の違法行為を引き合いに出して、合衆国憲法上、自分に与えられていない権限を奪い取り、「炉辺談話」を通じて自分の行動を説明した。


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これは、アメリカ国民を欺くためのタヴィストックのアイデアだった。もう一人のタヴィストック・ロボット、ジェームズ・アール・カーター大統領と、その後継者であるブッシュ大統領は、アメリカ国民に、どんなにあからさまに違憲であっても、自分のすることはすべてアメリカ国民の利益のために行われたのだと信じ込ませたのであった。ルーズベルトは、自分が悪いことをしていることをよく知っていたが、それにもかかわらず、意気揚々と任務を遂行し、カルト信者に共通する人命軽視のタヴィストック=英国王室の使命を果たしたのだ。

パパ・ブッシュ大統領がパナマへの侵攻を命じたとき、それは7000人のパナマ人の命を犠牲にしたあからさまな違憲行為であったが、ブッシュ氏は決して活動を休眠し[ずり落ち、葬られ]なかったし、世論を測るための「試運転」に続く宣戦布告なしの(違法)対イラク戦争で15万人のイラク兵が犠牲になることにもまばたきもせず見て見ないふりをしたのだ。

カーターはオカルト好きで疎いわけではない、彼の姉妹の一人はアメリカでも有数の魔女(witch)であった。カーターは、自分が「生まれ変わったクリスチャン」[生まれながらのキリスト教徒](born again Christian)であると信じていた。しかし、彼の政治家としての全キャリアは、社会主義や共産主義の理想と原則に染まって[貫かれて]おり、それを実践することにためらいはなかったのである。カーターは、タヴィストックから生まれた真の分裂人格の産物であった。このことは、1979年7月に主流メディアの著名なコラムニストであるヒュー・サイディが、「ホワイトハウスの閉じたドアの向こう[密室]で今働いているジミー・カーターは、大統領就任後30日間で私たちが知るようになったジミー・カーターではない」と書いたことからも分かる。

カーターは、タヴィストックの卒業生であるピーター・ボーン博士によってプログラムされたもので、カーターがアナポリスに在籍していた頃、同じくタヴィストックの心理学者であるハイメン・リックオーバー提督提督の手を通して出会っていました。


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カーターは、ロスチャイルド家が「特殊訓練を受けるにふさわしい人物」「状況の変化に適応できる人物」「信条[原則]から逸脱することを厭わない人物」として、あらかじめ選んでいたのだ。

ジョン・フォスター・ダレスもまた、タヴィストックに洗脳された人物で、国務長官の地位にありながらホワイトハウスに近いところにいた。ダレスは、国際連合(UN)の公聴会で、米国上院委員会に公然と嘘をつき、米国がこの世界組織に属することの合憲性について、宣誓のもとに堂々と証言した。

ダレスは、アメリカ(U.S.)が国連に加盟することの合憲性について、上院議員たちを感嘆[眩惑・混乱]させ、欺いたのだ。そして、いわゆる条約に賛成するよう十分な数の上院議員を説得したが、これは条約ではなく、不確かな合意[協定]であった。

合衆国憲法は「協定」を認めておらず、関係国が署名した「条約」のみを認めている。しかし、ダレスが直面した問題は、国連は国(country)ではないので、タヴィストックは国務省にこの文書を「協定」と呼ぶように助言して、この障害を回避したのである。ダレスは悪魔崇拝者であり、イルミナティであり、多くのオカルト学会[上を覆い隠す人知(世論)の及ばない秘密の超自然的魔術社会]のメンバーであった。

ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ[パパ・ブッシュ]もまた、タヴィストックのマインド・コントロール・システムの「製品訓練」修了者であることが証明された人物の一人だ。この第33期のメーソン[石工]のパナマとイラクでの行動は、すべてを雄弁に物語っている。

パナマでは、RIIAとCFRの命令で、パパ・ブッシュは、ロックフェラーがパナマに所有する銀行に送金し、麻薬資金を保護するために動いたのです。ノリエガ将軍が、そのうちの2つが麻薬取引のマネーロンダリング[不正資金浄化]の便宜を図る施設であることを暴露した後のことです。


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ブッシュは、唯一の憲法上の方法で表明された権限を持たずに、米軍にパナマへの侵攻を命じたのである。米国下院と上院の共同宣戦布告は、大統領としての憲法上の権限を著しく逸脱し、重大な違反を犯したのだ。

建国の父たちは、大統領職が戦争を起こす権限を持つことを明確に禁じている。しかし、(少数派集団[民族]に与える)政治権力の強化[自由裁量権の増大への権限付与~エンパワーメント]が進んでいないにもかかわらず、ブッシュは米軍にイラク侵攻を命じ、合衆国憲法への重大な違反行為を繰り返し、また、宣戦布告をすることなく、権力を行使したのである。タヴィストックによる戦争で殻に閉じこめられた犠牲者である「内的条件づけられた」アメリカ国民は、憲法がズタズタに引き裂かれるのを見ながらも、憲法に目を向けることはなかった。

エリザベス二世女王陛下は、イラク戦争を「成功」させたパパ・ブッシュを熱烈に賞賛して、合衆国憲法に反抗した彼にナイトの称号を与えた。エリザベス女王がアメリカの法律違反者[破砕者]に高い栄誉を与えたのは、これが初めてではない。

石油カルテルに所属する英米のカルト教団とイルミニストは、2005年現在もイラクに対して消耗戦を繰り広げている。ミルナーが英領ボーア戦争[第二次ボーア戦争、または南アフリカ戦争]でボーア人から金を奪ったように、彼らはイラクの石油資源を血まみれの欲深い手で奪うまで止めないだろう。

この情報に対して、あなたは「不適応な方法」で反応していることに気づきましたか?「このような行動は、アメリカの大統領の行動であるはずがない」とでも言いたいのでしょうか?それはナンセンスだ。


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もしこれがあなたの不適応反応なら、ボーア戦争に目を向ければ、ブッシュはボーア民族に対する殲滅戦[絶滅戦争]でキッチナー将軍とミルナー卿の悪魔的蛮行を模倣しただけだということがすぐに分かるだろう。また、「ウェーコ包囲」の悲劇は、ブッシュ大統領時代の監視下で始まったことを思い起こすとよいだろう。そして、デビッド・コレシュへの復讐は、共和党のリーダー[の恨み]によって続けられたことも忘れてはならない。

ジャネット・レノ司法長官とクリントンが、コレッシュの意図した実際の破壊政策を実行する一方で、ジョージ・ブッシュは、コレッシュと彼の信奉者87人が死亡した恐ろしい惨状を描く上で主導的な役割を果たしたのです。

一般には知られていませんが、タヴィストックは、コレシュとブランチ・ダビディアン[ダビデ教会]に対する、FBIとATF[米アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局]の猛攻撃の計画に関与し、指示した可能性さえあります。タヴィストックは、ATFとFBIにコレシュとその信奉者を破壊し、彼らの教会を焼き払う方法を訓練するために関与した英国SASの部隊を代表していました。ウェーコは、邪悪な黒魔術の悪魔主義的行動であり、それ以上でも以下でもありません。

コレシュとその信奉者の燃える炎のような最期は、悪魔崇拝が働いた典型的な姿である。重大な犯罪や人権侵害、憲法1条、2条、5条、10条の権利侵害に加担した者がほとんどであるにもかかわらず、自分たちが悪魔崇拝者の手に落ちていることに気づいていなかった。自分たちが闇の勢力[霊的な暗黒の力、最も黒い精神的な力~光がなく、最も隠れた→見えなくする→暗い、特定の生まれのよい種族[生まれ・性質を同じくするもの]による生命の息吹[呼吸]、教会[宗教上]の霊的な知性による[支配力・暴力を伴う]人の手に負えない力]に利用されていることに、少しも気づいていないのです。

タヴィストックによるアメリカの大衆洗脳は、国民をコレシュとブランチ・ダビディアンに敵対させ、憲法と権利章典を完全に無視して、ウェーコでの人命と財産の破壊の舞台を整えたのです。


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テキサス州(あるいは他のどの州でも)において司法権[管轄権]を持たない連邦政府のエージェントによる、罪[悪意]のない無垢な生命[人生・生活]と、財産[所有物・不動産]の無謀な[理由のない]破壊[駆除・大量殺人]、そして[一緒に従い、後に続いた]当然の結果として、彼らが行なったことを行使する[本の引用、議論・聖書の一節を解決する権威ある声明、理性や経験に対抗する権威ある教義]権限[生み出す人~その影響力]を持たない -- 連邦政府による行き過ぎた行為から市民を守るための憲法修正第10条に違反するものであった。テキサス州は、合衆国憲法とテキサス州憲法のもとで知事がすべきこととして、ウェーコで進行していた憲法修正第10条の違反に踏み込まず、その侵害行為[暴行]を阻止しなかったのである。

タヴィストックは、1895年にラムゼイ・マクドナルドが「社会主義のために土地偵察するスパイ」としてアメリカに派遣されて以来、長い道のり[長期計画の道](long way)を歩んできたのである。ラムゼイは、アメリカが社会主義国家にするためにはどうしたらよいかをフェビアン会議に報告した。それには州憲法と連邦憲法を(順に)破壊する必要があった; ウェーコは、その目標を体現したものだったのです。

ロペス事件は、米国の第3代最高裁長官ジョン・マーシャルと第9巡回区控訴裁判所による判決で、米ドルの偽造が捜査対象でない限り、連邦捜査官は米州境界内では司法権を持たないことが、きっぱりと示されたのである。いわゆる「米ドル」は米ドルではなく、「連邦準備銀行券」なので、これ自体が矛盾している -- アメリカの通貨ではなく -- 民間の非政府系中央銀行の紙幣であるからだ。

なぜ詐欺を守るのでしょうか?たとえそれが、アメリカ政府によって行われたとしてもです。憲法が起草されたとき、建国の父たちは、中央銀行制度を否定することで、連邦準備制度のようなインチキな制度が作られ運用が行われるのを防ぐことができると考えました。憲法の規定は、米国債[米国財務省中期証券]が偽造されないように保護するものである。米ドルではない連邦準備銀行の紙幣[アメリカドルの紙幣~準備銀行は加盟銀行に紙幣を流通させて、準備銀行の債務となり、米国の債務となること]が、合衆国憲法の保護を享受しているかどうかは疑問である。


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ウェーコでは、FBIが合衆国憲法に基づく、なりすましの捜査をしていなかったため、保安官はタヴィストックのエージェントとFBIを郡外に退去するよう命じる義務を果たせませんでした。FBIは違法にウェーコにいたのです。これはすべて、連邦政府がどの程度まで憲法違反の限りを尽くせるか、注意深く計画された演習[キャンペーン]の一環だったのです。

ちょうど第一次世界大戦の開戦時[存在するようになる始まりの行為、事実。学位授与式、卒業式のとき、司祭として始めたとき]に、イギリスの下層階級と中層階級がドイツに対して燃え上がったのと同じように、ベルギーとオランダに侵攻した際、カイザーが兵士に命じて幼い子供の腕を切り落とさせたというプロパガンダの嘘によって、タヴィストックがアメリカ人にコレシュを憎むようにプログラムしたように。

コレシュに関するタヴィストックのウソは、昼夜を問わず電波に乗り、コレッシュは(インド・マレー半島・中国などにあるような欧州人[白人]の)「屋敷・結合拠点」[コンパウンド]で幼い子供たちとセックスしていた、といった情報が広まりました。彼の教会は木造の簡素な建物でしたが、タヴィストックのマインド・コントローラー達によって「コンパウンド」[白人収容所]とレッテルを貼られたのです。タヴィストックのもう一つの下品[重大]な嘘は、ダビデ教徒が「コンパウンド」[拠点工場]の中でアンフェタミン[覚醒剤]の実験室を運営しているというものでした。 「コンパウンド」[薬を調合する]はタヴィストックによって作られた流行語になった。

クリントンが、ダビデ派の人々をガス処刑で殺し、銃で撃ち、昼も夜も悪魔のような音楽に耐えること、そして最後は生きたまま焼き殺すことにゴーサインを出したことは、驚くにはあたらない。クリントンは、オックスフォード大学在学中に、故パメラ・ハリマン氏を通じてタヴィストックに入門し、そのマインドコントロール[教義・学問・軍事知識などを無批判に叩き込む]洗脳教化のイニシエーション[秘法の伝授、儀式によって正式入会資格]にパスした。その後、社会主義、マルクス主義、共産主義に入門し、用済みになったパパ・ブッシュの後継者としてタヴィストックに承認されたのである。


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タヴィストックは、クリントンを国家運営にふさわしい人物としてアメリカ国民の心に植え付けるため、世論調査[投票(率)](polling)のプロファイリングを使って大規模なメディア活動を計画し、実行したのです。

ジェニファー・フラワーズが12年来の恋人であったことを暴露した後、厳密にコントロールされたクリントンのCBSインタビューを手配したのもタヴィストックであり、CBSインタビューの後のアメリカ国民の反応をコントロールしたのもタヴィストックであった。このように、タヴィストックがCBSのインタビューを最初から最後までコントロールしていなければ、クリントンは不名誉な辞任に追い込まれていたことは間違いないが、世論調査[投票](polling)や世論形成(opinion-making)の資産という遠大なネットワークを通じて、クリントン大統領の座が揺らぐことはなかったのである。

もしあなたが証拠を探しているのであれば; もしあなたの反応が「不適応」なら、クリントンの逃亡と、はるかに軽い罪でのゲイリー・ハートの有罪判決と比較してみてください。「水瓶座の新時代」のホワイトハウスの弁護士で、タヴィストックの方法論の訓練を受けた最初の人は、マーク・ファビアニであった。誰もがクリントンを沈めるだろうと予想した状況を巧みに処理し、ワシントンの話題となった。

ファビアニの成功の秘密が何であったかは、イルミナティとフリーメーソン階層の側近13人だけが知っていた。 ファビアニの後を継いだラニー・デイヴィスは、さらに大きな成功を収めたのであった。「ドクター・スピン」[情報操作博士、偏った解釈・論点のすり替えを教える(動物・大衆を去勢する)人、選挙コンサルタント・広報担当、手を加え、改竄する、飲食物に異物(薬物)を加える...学者](Dr. Spin)と呼ばれるデイビスは、ウォルシュ判事とケネス・スターという二人の特別検察官を出し抜き、議会で共和党が仕掛けたあらゆる攻撃を退け、共和党を完全に混乱させた。


242

このタヴィストックの訓練を受けたこの弁護士は、議会内のクリントンの敵の多くに対して大胆な襲撃を行った。デイビスは、DNCの選挙資金に関するトンプソン委員会の公聴会とアーカンソー州のスキャンダルの数々で、その手腕を発揮した。

タヴィストックの計画は単純で、他の単純な計画と同様、天才的な一撃であった。デイビスは、クリントンの悪行、資金調達のスキャンダル、ホワイトウォーターに関するわずかな記事でも掲載したことのある全米の新聞をすべて集めたのだ。トンプソン委員会が本格的に始動し、大統領を血祭りに上げる日に、デイビスに仕える多くの側近の一人が満員の公聴会場を通り抜け、デイビスが編集した新聞の切り抜きファイルを委員一人一人に手渡したのである。

このファイルには、デイビスの署名入りのメモが添えられていた:委員会が何百万ドルもかけて調査していたのは、「古いニュース」の集まりに過ぎなかったのだ。クリントンに対する容疑が昨日のニュースなのに、何を調査する必要があるのだろうか?と。

トンプソン委員会は不意を突かれ、その後、力尽き、活動を停止としたが、これはタヴィストックとホワイトハウスにとっては大勝利であった。ブレア首相は、ブッシュ・ジュニアと一緒に戦争に行く理由について嘘をついたという議会批評家たちの非難に反論するために、同じ方式を使うことになったのである。ブレア首相は、「デイリー・ミラー」紙の報道はすべて「古臭いニュース」だと、非難されかねない質問に対して答えた。この質問をした国会議員は、ブレアに対する弾劾訴追を求める運動のリーダーであった。ブレアは答える代わりに、その質問をはぐらかしたのである。議会の規則では、その議員は「出番」を終えたので、ブレアから真実を引き出そうとする機会はもう与えられないだろう。


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第35章
音楽産業、マインドコントロール、プロパガンダ、戦争

タヴィストックのアメリカでの影響力は、1946年にアメリカに支局を設立して以来、拡大していることに注目したい。タヴィストックは、偽情報[情報操作]の技術をきめ細かいレベルにまで磨きをかけている。このような偽情報キャンペーンは、手の込んだ噂から始まる。このような噂は、右翼界隈に植え付けられ、そこで成長し、野火のように広がっていく。タヴィストックは、右翼が噂の作成と拡散のための肥沃な温床であることを以前から知っていた。

私の経験では、私が何らかの噂[やかましい人の声、雑音]を確認するよう求められない日はなく、大抵の場合、そのことをよく知っているはずの人たちから尋ねられる。噂を通じて偽情報を広めるという巧妙な戦略には、二重の利点がある:


1) 保守派[一緒に保持する傾向にある・性質を持つ人々]によって仕組まれた[植えた苗木]ストーリー[保守派に不利な話し]に、うわべだけの見せかけの、根拠のない信憑性を持たせることができる。

2) その情報が虚偽であることが証明される頃には、偽情報は、その提供者を「変人」[コカイン・マリファナ、一流の強盗による狙い撃ち、精鋭たちの破滅、好機に投じる一回の賭け金、バギナ・室内便器...]と表現しても差し支えない程度に汚染している。「保守派の偏執狂」、「過激派」[過激論者]等と呼べる程度にまで堕落させたといったところでしょうか。


次にこの種の噂を耳にしたら、それを伝える前に、その噂の出所についてじっくり[一生懸命]考えてみてください。タヴィストックの操り人形[巧みな操縦者]がどのように動き、どのように作用するのか、思い出してみてください: 噂が真実[有益]であればあるほど、それを広めようとする傾向が強くなり、知らず知らずのうちに、あなたもタヴィストックの陰湿な潜行性の偽情報操作に加担し、マシン[無感情・無思考で機械的に働く、政党組織機構の幹部連の仕上げ工作の]の一部となってしまうのです。


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ここで、タヴィストック研究所が教え、卒業生を送り出しているもう一つの専門分野、つまり買収できない、黙らせなければならない重要な政治家の暗殺について見てみよう。リンカーン、ガーフィールド、マッキンリー、ケネディの各大統領の暗殺事件はすべて、英国諜報機関MI6と関連があり、1923年以降はタヴィストック研究所と関連があるのです。

ケネディ大統領は、タヴィストックによるマインドコントロールに耐えられないことが判明したため、権力を狙う者たちに「300人委員会より上位の者はいない」と警告するために、公開処刑に選ばれた[神の選民となった]のです。

ケネディの公開処刑という悲惨な光景は、アメリカ国民に向けたメッセージであった; 彼らはいま、それに気づいていないかもしれない。おそらくタヴィストック研究所は、ケネディの処刑のための青写真を提供したのだろう。明らかにマインドコントロールされていたリー・ハーヴェイ・オズワルドに始まり、それほどでもなかったリンドン・ジョンソンに至るまで、参加者一人一人を注意深く選んでいたのかもしれません。それに従わない者、あるいは真実を暴こう、語ろうとする者は、恥辱、不名誉なものから公の場から追放されるもの、さらには死といった、さまざまな罰を受けることになったのである。

タヴィストックによるアメリカ大統領の過去と、未来の支配を離れて、音楽とエンターテイメント業界に目を向けてみる。「音楽・エンターテイメント業界」[芸能界]ほど劇的で、アメリカ国民の巨大な層に対するマインドコントロールの「洗脳」が顕著なところはないだろう。数十年経った今でも、私が「ビートルズ」をタヴィストックのプロジェクトであると暴露したことで、見当違いの、何も知らない人たちが私に腹を立てている。さて、私は、「ビートルズ」の歴史を知り尽くしている、彼らはミュージシャンで私はそうではないと言った同じ人々が、次のような疑問を持つことを私は十分に期待している。


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いわゆる「ラップ」音楽もタヴィストックのプログラムの一つであることをご存知でしょうか?"「ヒップホップ」もそうです。これらの言葉は、空虚でバカバカしい(「歌詞」とは言い難い)もので、それらはマインド・コントロールと行動修正の技術者によって作られ、アメリカの主要都市におけるタヴィストックのギャング戦争プログラムの不可欠な部分となり、適合するようになったのです。この「音楽」、そしていわゆる「ロック」や「ポップス」(タヴィストック専門用語の使用のお許しくを)の主な提供者は以下の通りである:

タイム・ワーナー
年間売上高237億ドル(1996年の数字)。音楽出版事業では、子会社のワーナー・チャペルを通じて100万曲を保有している。これらにはマドンナやマイケル・ジャクソンの曲も含まれる。また、楽譜の印刷・出版も行っている。タイム・ワーナーの「ラップ」と「ポップ」のレコードレーベルには、アンフェタミンレプタイル、アサイラムサイアー、ライノ、マーベリック、レボリューション、ルカバップ、ビッグ・ヘッド・トッド、ザ・モンスターズがあり、ワーナー・レムを通じて販売されている。

タイム・ワーナーは、子会社を通じてオルタナティブ・ミュージック・レーベルの配給も行っています。[米国ワーナーミュージック・グループの子会社で]オルタナティブ・ディストリビューション・アライアンス(Alternative Distribution Alliance、ADA)の配給は、ヨーロッパの大部分をカバーし、特にイギリスとドイツで強力である。この2カ国がタヴィストックの工作員に狙われたのは、決して偶然ではないだろう。
(※2020年10月、世界第2位の音楽市場である日本に参入することを発表)


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暴力、奔放なセックス、アナーキズム、悪魔主義を、ほとんどサブリミナル的に、しかしますます公然と、あからさまに扇動しているのが、タイム・ワーナー社が所有する曲の中にふんだんに見受けられるのである。西ヨーロッパの若者たち(ソ連崩壊後はロシアと日本にも忍び込んでいる)のこのほとんどカルト的な支配は、数千年かけて築き上げ成熟してきたヨーロッパの文明を脅かしている。この種の全くくだらないクズな「音楽」に対する若者の膨大な支持と飽くなき欲求は、タヴィストックが、それを聴く人々の心に及ぼす影響と同様に、リスナーの心を支配していることは、見るだに恐ろしいものである。

タイム・ワーナーは、自社が100%保有する音楽クラブや他社と提携した音楽クラブを通じて音楽を配信している。コロンビア・ハウスはその一例である。ソニーはコロンビア・ハウスの50%の株を保有している。

タイム・ワーナーの製造部門であるWEA はCD,CD-ROM, オーディオ,ビデオ,デジタル多用途ディスクを製造し、もう一つの 子会社であるアイビー・ヒルはCD ジャケットや挿入物の印刷を行っ ている。もう一つの子会社であるアメリカン・ファミリー・エンタープライズはハートランド・ミュージックと50%の株式を持ち、音楽、書籍、雑誌を販売している。

タイム・ワーナー・モーション・ピクチャーズは、ワーナー・ブラザーズ、キャッスル・ロック・エンターテイメンツ、ニューライン・シネマズからなるスタジオとプロダクションを有している。タイム・ワーナー・モーション・ピクチャーズは、米国に467スクリーン、ヨーロッパに464スクリーンを所有している。(1989年の数字。2005年の現在ではもっと多い)

放送ネットワークは、WBネットワーク、プライムスター、シネマックス、コメディー、セントラル・コートTV、セガ・チャンネル、ターナー・クラシック・ムービーズ(テッド・ターナーはタイム・ワーナーの株式の10%を所有)などがあります。


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中国、日本、ニュージーランド、フランス、ハンガリーでも放送している。ケーブルテレビ局の加入者数は1,230万人。

テレビ/制作/配給には、ワーナー・ブラザース テレビジョン、HBOインディペンデント プロダクション、ワーナー・ブラザース テレビジョン アニメーションズ、テレピクチャーズ プロダクション、キャッスルロック テレビジョン、ニューライン テレビジョン、シタデル エンターテイメント、ハンナ バーバラ カートゥーンズ、ワールドチャンピオンシップ レスリング、ターナー オリジナル プロダクション、タイムワーナー スポーツ、ターナー ラーニング、ターナー ホーム ビデオがあり、そのライブラリーには28500本のテレビタイトルとショートアニメがある。

タイム・ワーナーはテッド・ターナーから買収したCNNラジオを所有しています。また、161 の小売アウトレット店、ワーナー・ブックス、リッテル、ブラウン、サンセット・ブックス、オックスモア・ハウス、ブック・オブ・ザ・マンス・クラブを所有している。

タイム・ワーナーは以下の雑誌を所有しています。人物、スポーツ図解、時間、運勢、人生、お金、エンターテイメント、週刊、プログレッシブ ファーマー、サザンアクセント、子育て、健康、ヒポクラテス、アジアウィーク、ウェイト ウォッチャー、マッド マガジン、DC コミック、アメリカン エキスプレスの旅行とレジャー、食べ物とワイン などの雑誌がある。タイム・ワーナーはテーマパークも多数所有している。シックス・フラッグス、ワーナー・ブラザーズ、ムービー・ワールド、シーワールド・オブ・オーストラリアなど。

ここで一度、タイム・ワーナー社の手に握られている、善にも悪にもなりうる巨大な力について、読者の皆さんに考えていただきたいと思います。明らかに、この巨大な企業は、誰をも成功させ、あるいは失敗させることができる。そして、この会社はタヴィストック研究所の顧客であることも忘れてはならない。この巨大な機械が、ディズニーワールドの「ゲイの日」のように、世論や若者の心の形成に何をしでかすか、想像するのも恐ろしいほどだ。


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SONY
ソニーの1999年の売上は487億ドルと推定されています。世界最大のエレクトロニクス企業である。その音楽部門は、ロック/ラップ/ポップ、コロンビア、ラットハウス、レガシー・レコーディングス、ソニー・インディペンデント・レーベル、MIJレーベル、(マイケル・ジャクソン)、ソニーミュージックナッシュビル、コロンビア・ナッシュビルを管理しています。ソニーは、ブルース・スプリングスティーン、ソーソーデフ、スラムジャズ、ボーン・サグズン・ハーモニー、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レイザー・シャープ、ゴーストフェイス・キラー、クレイヴ、ルースレス・リラティヴィティを含むロック/ポップのレーベルを数千件所有しています。

この、非常に示唆に富む言葉で暴力を煽るようなひどい馬鹿騒ぎ[恐ろしい蛮行]が、なぜ短期間にこれほどまでに大きくなったのか、不思議に思ったことがあるなら、もうお分かりでしょう。それは、ソニーの全面的なバックアップがあるからです。 タヴィストックは、ラップをアナーキー[指導者・規則のない無秩序、無政府状態]と、カオス[宇宙、暗黒の空間、底なしの淵、天地創造以前の混沌・大混乱]に先立つ有用なメッセンジャーと見なしてきた -- それは、ますます近づいていることを先取りしているのです。

ソニーはパンク・オルタナティブ・ロックのレーベルであるエピタフ・レコード、ヘルキャット、ランシド、クランク・ポッサム・レコード、ブルー・スティング・レイによるエピトーム・サーフ・ミュージックを販売しています。さらに、ソニーはソニー/ATVミュージックパブリッシングを通じて音楽を出版しています。ソニーは、マイケル・ジャクソンの全曲とビートルズのほぼ全曲を所有しています。

ソニーはロウズ・シアターズ、ソニー・シアターズを所有し、テレビ事業ではネットワーク・ゲームショーなどを手がけています。音楽販売、楽譜では市場の約15%を占めており、世界最大の国際音楽企業である。ソニーのその他の製品には、CDレコード、コンパクトディスク、オーディオおよびビデオテープがある。

モンテカルロにあるロウズホテルの敷地は、麻薬取引の情報収集所となっており、ホテル内で起きている「不審な動き」は、従業員が直接モンテカルロ警察に報告することになっている。


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(「怪しい」とは、取引に介入しようとする部外者のことである)フロントスタッフの中には、モンテカルロ警察の訓練を受けている上級職が何人もいて、目を光らせているのです。

これは、麻薬取引を根絶するためではなく、「新参者」が麻薬取引に手を染めないようにするためである。ロウズ・ホテルに到着した「部外者」は、そのことを知らされ、すぐに逮捕される。このような出来事は、マスコミや世界のニュースメディアに「麻薬捜査」として売られる。ソニーの映画部門は、コロンビア・ピクチャーズ、トライスター・ピクチャーズ、ソニー・ピクチャーズ、クラシック・トライアンフ、コロンビア・ホーム・トライスター映画の権利を持つトライアンフ・フィルムズで構成されています。テレビ事業にはネットワークゲーム番組が含まれる。

ベルテルスマンA.G.
ラインハルト・モーンがオーナーを務めるドイツの非上場企業で、1999年の推定売上高は157億ドルでした。ベルテルスマンは40カ国から200の音楽レーベルを所有しており、そのレーベルはラップ/ロック/ポップをカバーしています。ホイットニー・ヒューストン; グレイトフル・デッド: バッド・ボーイズ: NGレコード, ボルカノエンタープライズ; 踊る猫; 常習者; ジー・ストリート(ジャングル・ブラザーズ)とグローバル・ソウルなどです。これらはすべて、性倒錯、薬物摂取、アナーキー、暴力への露骨な扇動が含まれています。バーテルスマン社は、カントリー&ウェスタンを扱うアリスタ・ナッシュビル(パム・ティリス)、キャリア(リロイ・パーネル)、RCAレーベル・グループ、BNA(ロリー・モーガン)などを所有しています。BMGミュージックを通じて楽譜を出版しており、ザ・ビーチ・ボーイズ、B.B.キング、バリー・マニロウ、パラマウントスタジオのフェイマス・ミュージックなど10万曲、70万曲の権利を持っている。米国とカナダに7つのミュージッククラブを所有し、MBNA銀行のクレジットカードを製造しています。

ベルテルスマンA.Gは、世界中で膨大な書籍ビジネスを展開しており、まさに「300人の委員会」の関連会社である。


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ベルテルスマン社は、ダブルデイ、デル出版、ファミリー・サークル、ペアレント・アンド・チャイルド、フィットネス、アメリカン・ホームズ・アンド・ガーデンズを保有し、スペイン、フランス、イタリア、ハンガリー、ポーランドで38誌を発行しています。ベルテルスマン社のテレビと衛星チャンネルはヨーロッパにあり、最大の放送局である。この会社は非常に執念深く、会社の利益にならないかもしれないと考えることをあえて明らかにしようとする者は、躊躇なく攻撃する。

EMI
英国に本拠を置く企業で、1999年の推定売上高は60億ドル、世界46カ国に60の音楽レーベルを所有しています。ロック/ポップ/ラップ、ビートルボーイズ、クリサリス、グランドロイヤル、パーラフォン、パンプキンスマッシャーズ、ヴァージン、ポイントブランク。

EMI はローリング・ストーンズ、ダック・ダウン、ノー・リミット、 N00 トライブ、ラップ・ア・ロット(ゲットー・ボーイズ)などを所有・管理し、巨大な楽譜出版事業も行っている。HMV、ヴァージン・メガストア、ディロンズ(米国)など7カ国231店舗に直接出資または完全所有している。EMIはイギリスとヨーロッパ中にネットワーク局を持ち、そのうちのいくつかはベルテルスマンと共同で仕事をしている。


キャピタル・グループ
このロサンゼルスにある投資グループは、ブロンシュタインの酒類会社で、300人委員会の上位に位置するシーグラム社に株式の35%を売却した。シーグラムはユニバーサルミュージックグループ(旧MCA)の80%の株式を持ち、現在は松下電器産業の財産となっている。

1999年の売上は140億ドルと推定されています。シーグラムは15万を超える著作権を所有しており、その中には「インパクト」の著作権も含まれています。メカニック、ゼブラ、レディオアクティブ・レコーズ、フォート・アパッチ・レコーズ、ヘビーD&ザ・ボーイズなどの著作権を含む、150,000以上の著作権を所有しています。


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キャピタル・グループはスティーブン・スピルバーグ、ジェフリー・カッツェンバーグ、デビッド・ゲッフェンとジョイント・ベンチャーを行っています。カントリー&ウェスタン部門では、リーバ・マッキンタイア、Wynona、ジョージ·ストレイト、ドリー・パートン、リアン・ライムス、ハンク・ウィリアムズを擁しています。

シーグラムを通じて、フィドラーズ・グリーン(デンバー)、ブロッサム・ミュージック・センター(クリーブランド)、ゴージ・アンフィシアター(ワシントン州)、スタープレックス(ダラス)などのコンサートホールを所有しています。また、トロントとアトランタにも進出しています。キャピタル・グループは、モーション・ピクチャード[映画]部門を通じて、デミ・ムーア、ダニー・デ・ヴィート、ペニー・マーシャル、そして映画製作業界のマイナーな人たちを多く所有しています。ユニバーサル・フィルムズ・ライブラリーもキャピタル・グループの所有物である。同社は、ハリウッドのユニバーサル・スタジオと同様に、500の小売店、いくつかのホテルを所有している。


ザ・インディーズ
音楽とエンターテインメントの分野では小規模な会社の一つで、その年間売上高は50億ドルと推定されている。同社はロック/ラップ/ポップスのレコードレーベルの相当なポートフォリオ[個人投資家や金融機関が所有する有価証券、運用資産の組み合わせ]を持っており、そのほとんどがかなり風変わりな性質のものである。

カントリー&ウエスタン部門は、ウィリー・ネルソンを擁し、流通は「ビッグ6」を通じて行われている。独立系の小売店やアウトレットを一切持たずとも、全米の音楽販売の21%という驚異的なシェアを獲得することに成功したのである。

その意味は、その収益のほとんどが、暴力、罵倒、汚い言葉、性的に示唆に富むタイトル、アナーキー-アメリカの若者の行く末を示すラップ/ポップ/ロックの奇妙な売り上げからきているということだ。


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フィリップスエレクトロニック
このオランダの会社は、1996年には158億ドルの売上高を記録している。主にエレクトロニクス系の会社ですが、ポリグラム・ミュージックの75%を所有[出資]していることから、「ビッグ6」のカテゴリーに属しています。レーベルのポートフォリオ[レコード]は、ロック/ポップ/ラップが中心。エルトン・ジョンもその資産の一つである。フィリップスは音楽出版事業では第3位で、37万5千の著作権タイトルがある。

ヨーロッパとイギリスの子会社を通じて、1998年にフィリップスは5億4千万枚のCDとVHSテープを生産した。同社の映画部門はジョディ・フォスターを、フィリップス・テレビはロバート・レッドフォードのサンダンス・フィルムとプロパガンダ・フィルムズを所有している。

上記の情報は、この巨大な産業が、私たちの日常生活に対していかに大きな力を行使しているか、アメリカの若者の心をいかに形成しているかを、読者の皆様にご理解いただくためのものです。この産業は、タヴィストック社を通じて提供されたコントロールと高度なテクノロジーなしには、驚異的な発展を遂げることはできなかっただろう。私が提供した情報は、私たちが見る「ニュース」で何を見るか、どんな「ホームムービー」やテレビネットワークの映画を見ることを許されるか、どんな音楽を聴くかをタヴィストックがコントロールしていることに気づけば、あなたの根底を揺るがすことになるはずです。

この巨大な事業の背後には、タヴィストック人間関係研究所がある。私がはっきりと示したように、アメリカは巨大な映画・音楽産業と歩調を合わせて前進している。これまで知られていなかった強力な力、その唯一の目的・目標は、若者の心を変質させ、ねじ曲げ、誤って伝え、歪めることであり、300人委員会が社会主義新世界秩序を導入しやすいようにするためであり -- これは、新しい共産主義が世界を支配する世界政府と同じものである。


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私が皆さんに提供する情報は、皆さんの子供たちやアメリカの若者たちの将来を考える上で大きな警鐘となるはずです。彼らはすでに無政府主義のイデオロギー、革命的熱意、薬物使用やフリーセックス、中絶、レズビアンや同性愛受容の扇動に満ちていることを知り、理解した後の将来を考える上で、大きな懸念材料となるはずです。

この巨大な音楽・娯楽産業がなければ、マイケル・ジャクソンはただの幼稚な、下品で無味乾燥な無価値な存在でしかなかっただろう。しかし彼は「膨れ上がって」られ、タヴィストックは我が国の若者に、彼がいかに偉大で、いかに彼ら -- 西洋世界の若者たちが彼を愛しているかを伝えたのだ! それはまた、メディアをコントロールする力とも関係がある。

音楽とエンターテイメント産業は、私がタヴィストック研究所によって設計された「公然の秘密」と呼んでいるものなので、この重要なテーマに関する私の研究が、少なくとも私が神の怒りのすべてがアメリカ合衆国に降りかかる「ハルマゲドン」(全面核CAB戦争)が発生すると予想している2015年までは、すべての真実として受け入れられるとは思っていない。しかし、大規模なメディアコントロールという点では、米国には確かにタヴィストック研究所の産物であるコントロールされたメディアがあることは、素人目にも見聞きし、読み取ることは、訓練を受けていない観察者にとっても難しいことではありません。この事実[要因]が、ブッシュ大統領を当選させ、全ヨーロッパと少なくともアメリカの有権者の半分が驚いたことに、彼の嘆かわしい記録にもかかわらず、2期目の当選を見ることになったのである。

なぜ、こんなことになったのか?この問いに答えるのは簡単だ。アメリカを象徴する愛国的[全国的]な放送局が崩壊したからである。伝統的な放送局は、公共の利益を促進する義務を放棄し、問題の2面性を報道する義務を感じなくなったのだ。


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国(national)のメディアは、『宇宙戦争』[H・G・ウェルズ(1898)の小説・トム・クルーズ主演映画(2005)|世界大戦?](War of Worlds)から始まった「ニュースとフィクションの混在」政策を強化した。

これは視聴者を惹きつけ、収入を増加させたが、自由な社会における情報の流れに不可欠な放送の公平性という長年の原則には何の役にも立たなかった。近年、右派の「サンダースクワッド」[中華民国特種警察??]の台頭で、この深刻な問題に拍車をかけ深刻化しているが、彼らは反対意見を許さないのである。彼らはブッシュ政権の意見だけを放送し、タヴィストック流にニュースを捻じ曲げ、「スピニング」[(蚕の)糸紡ぎ、めぐり・かえり方向・位置・状態などが変わる・変えること、回転すること、創造・運命を象徴]することも辞さない。

このことは、2004年に「政策[統治、管理、証明]研究センター」(Center on Policy Studies)、「政策(普段と違った、悪い)態度[適正、心構え]研究センター」(Center on Policy Attitudes)、「国際政策態度[意識]プログラム」(Program on International Policy Attitudes)、国際的な政策意識に関するプログラム(Program on International Policy Attitudes、PIPA)と、安全保障学(Security Studies)が行った共同調査でも、このことは確認されている。彼らが発見したことは、まさにブッシュがなぜまだホワイトハウスに留まっているのかの鍵であり、プロのプロパガンダの力への賛辞なのだ:

ブッシュ信奉者の75%は、イラクがアルカイダと何の関係もないという大統領委員会の所見に納得していない。

ブッシュ支持者の大多数は、イスラム世界の大多数が、アメリカ(U.S.)のイラク侵攻を支持していると考えていた。これは事実と全く食い違っている。イスラム教国であるエジプトはアメリカを支持しておらず、エジプト人の大多数はアメリカのイラクからの撤退を望んでいる。トルコは世俗的な国ではあるが、圧倒的にイスラム教徒が多く、87%の人がアメリカのイラク駐留に反対し、侵略の正当性を否定している。

ブッシュ信者の70%は、イラクが大量破壊兵器を保有していると考えている。


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私がここに書いたことは紛れもない真実であるが、それを確認するには、私の著書『300人委員会』が14年、『ローマクラブの報告書』(Club of Rome Report)が[アウレリオ・ペッチェイとローマクラブを共同設立した持続可能な開発運動のパイオニア]アレキサンダー・キング自身によって確認されるまで25年かかったのと同じように、大きな出来事が必要であろう。しかし、2005年の今日、タヴィストックがアメリカの生活のあらゆる側面を完全に掌握していることに疑いの余地はない。タヴィストックに気づかれないものは一つもない。

2005年、私たちはタヴィストック研究所とその上層部のマスターである300人委員会の驚くべき影響力と力を、ジョージ・ブッシュ大統領によるアメリカの運営方法と、ブッシュの言動に対する問題点や疑問点を状況に応じて受け止め、目の当たりにしているのです。

このような勘違いをした理由を見つけるのは、難しいことではない。ブッシュ政権は1994年、イラクが使用可能な核兵器を保有していることを何度もアメリカ国民に伝えた。また、フセイン大統領がイラクのアルカイダ部隊を支援しており、アルカイダが世界貿易センター(WTC)攻撃に責任があるというブッシュ政権の報告も真実として流されたが、これらはすべて根拠のない虚偽であった。しかし『ローリング・ライト・ラジオ・ネットワーク』(Roaring Right Radio Network、RRRN)のメンバー、とりわけハニティ、コムズとフォックス・ニュースは、嬉々としてこれらの誤りを繰り返した。ハニティ氏は愛想よく[義務的に]、武器はシリアに移されたと視聴者に告げた。彼は、自分の発言を裏付ける証拠のかけらも提供しなかった。さらに、フォックス・ニュースや他のトーク・ラジオ・ショーに加え、大量のプロパガンダを作り出している。ブッシュ政権に代わってラジオでプロパガンダを行う代表的な人物は以下の通りである:

ラッシュ・リンボー、マット・ドラッジ、ショーン・ハニティー、 ビル・オライリー


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タッカー・カールソン、 オリバー・ノース、 ジョン・ストッセル、 ゴードン・リディ、 ペギー・ヌーナン、 ラリー・キング、 マイケル・レーガン、 ゴードン・リディ(?)、 ディック・モリス、 ウィリアム・ジョン・ベネット、 マイケル・サヴェジ、 ジョー・スカーバラ

ラリー・キングは最もよく訓練されたタヴィストック操り人形の一人である。まれにブッシュの戦争に反対する人物を自分の番組に登場させると、彼らに2分ほど自分の主張をさせ、すぐに5人の親ブッシュの「専門家が大胆に反対する人物に反論する」のである。

前述のラジオパーソナリティのほぼ全員が、多かれ少なかれ、タヴィストックの専門家から指導を受けている。彼らのやり方を調べると、タヴィストックで確立されたプレゼンテーションの方法と明らかに類似しているのである。同じことは、テレビのタレントや「ニュースキャスター」、そして彼らの伝える「ニュース」にも見られるが、その内容や伝え方に違いはない。これらは例外なく、タヴィストック研究所の刻印が押されているのだ。

アメリカ(United States)は、最大かつ継続的な大衆マインド・コントロール(洗脳)と「条件付け」プログラムの支配下にあり、それは社会のあらゆるレベルに反映されている。スピン[捏造]、欺瞞、悪才に長けた策略[共謀]、本当の理由を隠蔽し、[内容は嘘ではないが、偏見に満ちた]半端な真実、そしてその双子の兄弟である明白な嘘の達人たちは、アメリカ国民を喉から手が出るほど欲しがっているのだ。


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チャーチルは「転身」する前に下院で、ボルシェビキは「ロシアを頭髪で掌握している」と宣言した。我々は、「タヴィストックはアメリカ人の頭と心を掌握した」と豪語しているのだ。

1776年の精神と、建国の父に続く世代の間で起こったリバイバル[ルネッサンス、復活]の偉大な覚醒がない限り、アメリカ(United States)はギリシャ文明やローナン文明が崩壊したように、崩壊する運命にあるのです。

必要なのは、私たち自身の「見えない軍隊」である「ショック部隊」を編成し、アメリカ(United States)のすべての村、すべての町、すべての都市に入り込む[浸透する]ことです。反撃し、タヴィストック軍を完全撤退させ、最終的に敗北に追い込むカウンターパンチを放つために。


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付録
世界恐慌

当時イングランド銀行総裁で、フェビアン社会主義者ベアトリス・ポッター・ウェッブの一族と親交のあったモンタグ・ノーマンが、世界恐慌の先駆けとなる前哨戦としてアメリカを奇襲訪問したのである。 ルシタニア号沈没事故がアメリカを第一次世界大戦に巻き込んだように、「周到に計画された出来事」ともいえる。

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